六月も終わり七月になった。
最後の障壁であるテストも終わり万事解決という感じである。
俺は水道の横に設置された冷水機から水を飲むと、さっきから後ろをついてきている気配にため息をつき、嫌々ながら振り返った。
「何」
「テストが終わりましたね」
「うん」
「そういうことです」
「どういうこと?」
今日も外骨格が逞しいジガバチ系文学少女こと、逆瀬川美穂だ。
彼女は夏が近づいて短くなったブラウスの袖を掴む。
「ほら、最近勉強で忙しかったじゃないですか」
「うん」
「そして今は開放されましたね」
「受験勉強は今から始まってるんだよ」
「三年マイナス六学期とか言い出す感じですか?」
流石に言わないが。
大学進学は二年と数カ月後。高校生活は短いとよく言うし、学生のうちにできることはしておきたい。
なので化け物には早急に退場してもらって。
普通の恋愛ができないから。
美穂はこれみよがしに「はぁ……」と息を漏らして、さもこちらの察しが悪いかのように振る舞う。おまけに欧米のごとく、肩を竦めるというオーバーなリアクション。俺は彼女の言いたいことがわからなかった。
「お出かけしましょう」
「やだよ」
「ありがとうございます」
ちょうど行きたかったパスタのお店があったんですよね、と彼女は微笑む。もちろん昆虫であるために人間と同様に確実な読み取りはできないが。おそらく微笑んだのであろう。振る舞い的に。
何だか雪花みたいな強引さが出てきたなぁ。
元々引っ込み思案な文学少女だったはずなのだけれども。
大人しかった美穂は何処へ行ってしまったのか。
◇
「こちらが、濃厚なトマトクリームパスタが美味しいと評判のお店です」
「ふぅん」
「残念ながらトッピングはできないんですけど……」
「そりゃパスタ屋だからね」
海苔トッピングとかされても困る。
ラーメン屋じゃないんだから。
訳のわからないことを言い出した美穂を追いかけて、駅に隣接したファッションビルの最上階に位置する、なるほど人気らしい店に並んだ。
やはり人は人を呼ぶのか行列が構築されている。
回転率がどんなものかは知らないが、多分二十分くらいは待つだろうか。
「曜くん」
「ん」
「暇ですよね」
俺としてはスマホを弄って時間を潰すというムーブをしても全く構わないのだが、どうやら彼女はコミュニケーションを重要視するタイプの動物界節足動物門昆虫綱膜翅目ジガバチ族らしいので、わかってないですね感を醸し出しながら首を振った。
「ゲームをしましょう」
「うーん」
「これは私が考えたゲームなのですが、きっと楽しいですよ」
美穂は「ふふふ」と指を一本立てた。
まぁ昆虫なので指というか何というか。
とにかく不思議なそれを立てた。
「世紀の発明です」
「ずいぶんとハードルを上げていくね」
「
「普通は超えていくことを期待するけど」
「私は常識には縛られません」
そりゃ見た目からして常識に反しているけども。
よほど面白いことをしなければ断頭台に送られても仕方ない空気感を作りつつ、彼女は腰に手を当てて胸を張った。ジガバチゆえに腰が細い。胸部から腹部にかけての落差が凄まじく、そこに大きな服のたるみができた。
「――古今東西ゲームって知ってますか?」
「オーケー、終了」
「どうしてですか!?」
どうしても何も。
聞いたことのあるフレーズである。
具体的には大学見学のときに聞いた。
「こ、これは魑魅魍魎を互いに言い合っていくという……」
「同じ遊びをしたことがある」
「自分としてはオリジナリティーに富んで、かつオンデマンド的でガジェットを必要としないイノベーションなゲームだと思っていたのですが」
世間は狭いのですねぇ。
と彼女は肩を落とした。
井の中の蛙大海を知らずである。
その後もくだらない話に花を咲かせて暇をつぶしていると、ずっと働き詰めのようで疲労感を隠しきれない店員の人が、ウェイティングリストを見て「二名様の化野様」と声を上げた。
名前を書きに行ったのは美穂なので自分の名前を使うものだと思っていたのだが、こちらの名前を勝手に使われたらしい。何らかの罪に抵触してそう。ラブコメ詐欺罪とか。
「こうすると何だか二人とも同じ苗字みたいじゃないですか?」
「ほざけ」
おや。つい思っていたことをそのまま口に出してしまったようだ。
紳士的な男子高校生を標榜している俺としては、このように相手を傷つける可能性のある言葉は自重する必要がある。
これからは柔らかい言葉遣いを意識していこう。しかしすぐに言動を変えるのは難しい。物事の基本は模倣なので、お淑やかな言動をする人を目標にするのだ。具体的には英国人と京都人。
さり気なく袖口を掴まれ、るんるんと歩いていく美穂に引きずられる。
まるでキャリーケースにでもなった気分だ。
扉に下げられた暖簾をくぐると、食欲をそそる匂いが鼻腔に飛び込んできた。やはり彼女が言っていた通りトマトクリームパスタが有名なのか、香りはその系統の。
はしたないが一瞬だけ机の上を覗き見る。色からするにトマトクリームパスタばかり。仮に菜々花と来ていたら地獄だっただろうな。
「むぅ、他の女の子とのこと考えてます?」
「別に」
席に座った美穂が不満げに問いかけてきたが、俺は自信を持って断言した。
決して「女の子」のことなど考えていない。
女の子ではなく肉塊である。