ジガバチとパスタ。
SNSに投稿したら炎上間違い無しの光景が目の前に広がっている。
しかし
皿の上の彩りとして存在感を発しているのではなく、普通に向かいの席で存在感を発していた。そっちのほうが嫌である。
「わぁ、美味しそうですね」
「部分的にそう」
「部分的に美味しそうってどういうことですか?」
美穂は理解不能と言いたいかのように首を傾げた。
動きにつられて揺れる触覚。
蛍光灯の光が複眼に鈍く反射している。
ここのパスタは量が多いのが特色らしく、メニューにはMサイズと書かれていたものを注文したはずが、机の上には大きな皿が鎮座していた。これでMサイズならばLサイズなどどうなってしまうのだろうか。質量が大きすぎてブラックホールができたりするのだろうか。
俺は「そりゃあ昆虫と相席してたら、いくら美味しいフルコースを食べても埃みたいな味するよね」と言いたかったところを、ぐっと堪えて不器用な笑みを作った。
「実はトマトアレルギーなんだよね」
「なんで軽率に死線をくぐろうとするんですか?」
「嘘だけど」
もくもくと湯気を上げる二皿のトマトクリームパスタ。
トマトアレルギーを持っているのであれば消極的な自殺。
けれども特段アレルギーは持っていないので、ただの美味しそうな光景だ。
どうして嘘をつくのですか、と美穂はつーんと唇を尖らせて――昆虫だから本当に比喩表現であるが――机の端に置いてある長方形の箱から、二本のフォークを取り出して渡してきた。見た目こそ怒っているふりをしているものの、こうして優しい振る舞いをしているので、真の意味で拗ねているわけではないだろう。
儀式的な意味合いしか持たない謝罪を一つして、俺達はトマトクリームパスタを口に運び始めた。
彼女が器用に操るフォークの三叉に、ほのかに白い、あるいは、ほのかに赤い麺が絡まる。上面に分散していたパセリが美穂の動作によって一点に集まり、思い切って一口に放り込まれた。
果たしてジガバチである彼女がどのように飲食をするのか気になるところであるが、普通に飲食をしているとしか。ジガバチの幼虫が餌をむしゃむしゃしている動画を見てもらったほうが早い。
非日常ここに極まれり、という光景であるが俺にとっては日常である。悲しいことだけど。学校には普通に人間の女子がいるんだけどね。一緒にご飯とはいかない。一緒にご飯を食べるのは化け物ばかり。
もはや振り切った、世界に対する怒りをパスタに巻き付け、思い切り噛み締めた。
むせた。
「ごほっごほっ」
「や、やっぱりアレルギーあるんじゃないですか?」
「あるかもしれない……」
知らなかっただけで。
食べていたものが食べていたものだから、闇夜に紛れていたら吐血をしたと勘違いされてもおかしくない光景を作り出して、机に置かれていた鼻をかむのには使えないタイプのティッシュで拭う。
「ゆっくり食べてくださいね」
「高校生にもなって、そんなことを言われるとは」
「誰しもに間違いはあるのですよ」
「確かに」
ジガバチとご飯を食べているという、とびきりの間違いを犯していた。世が世なら魔女裁判で殺されていただろう。ちなみに魔女裁判は「魔女」と名付けられているものの、普通に男も「魔女」とされたらしい。化け物連中を魔女裁判にかけたら一発でアウトにならないかな。
楽しげに揺れる触覚を視界の隅で捉えながら、今度は絶対にむせないように意識して、落ち着いて口に運ぶ。
やはり評判になっているだけのことはあって美味しかった。
しかし問題が一つ。
「……曜くん」
「言いたいことは予想できる」
「これ食べきりますかね」
「今日の胃の調子による」
食べるときは食べるのだが、食べないときはダイエット中のOLみたいな量しか食べられないのだ。つまりはサラダだけでお腹いっぱいになる。
肉食系の昆虫であるはずの美穂も流石にこの量は厳しいらしく――仮にとは言え女子であるから――、青ざめて額に汗を流していた。
「厳しい戦いになります」
「あ、持ち帰り大丈夫らしいよ」
「でも何となく嫌じゃないですか?」
「わかる」
負けた気がするというか。
非常にくだらない感覚ではあるのだが。
くだらない感性を共に持ち合わせているらしい彼女と向き合いながら、どちらからとも言えない苦笑が湧いてくる。
「……失敗しましたね」
「今度からはSサイズを頼もう」
「おや、今度もお出かけしてくれるのですか」
「……失敗したな」
「言質は取りましたよ」
ふふふ、と美穂は悪戯気にフォークを上下に振った。
猫のようにそれの行方を目で追う。
現実逃避代わりに。
それだけ気が抜けていたということなのだろうが、まさか自分がこのような失言をするとは思っていなくて、何だか机に突っ伏してしまいたい気分になった。前に座る美穂が楽しそうなだけに、自分に対する失望感やら何やらもひとしお。
下手をすると一口とは表現できないほど麺を巻いて、抗議するがごとき勢いで食べる。むせる。
「ごほっごほっ」
「何でそんな軽率に死線を潜ろうとするんですか!」
まるで介護されているような感じである。
彼女はウォーターピッチャーから水を注いだコップを差し出してきて、俺は掠れた息で感謝を伝えた。
ごくごくと飲み干した水は異常に美味しい。
生命の危機を脱したからだろうか。
多分砂漠で迷っていた旅人が飲む水と同じくらい美味しいはず。
「死線の上で反復横跳びする癖やめてくださいね」
「前向きに検討する」
「善処くらいはしてくださいよ」
はぁ……とため息をついた美穂は、やれやれと肩を竦めてこちらに意味ありげな視線を送ってきた。
まるで「まったく私がいないと駄目ですね」とでも言いたげである。
この状況だと反論しにくいが、あえて心の中で宣言してみよう。
百年早い。