曜が鳥辺野村にたどり着いたとき、太郎はすでに会話ができない状態だった。ときどき咳をする音が聞こえる程度。
間違っても回復したなど言えない姿に、曜は走って走って走る。
村に唯一ある診療所の扉を蹴破るように開けた。
なかにいた人間たちは驚いたように顔を向ける。
曜は一切彼らに構わず叫んだ。
「タローが危ないんです!」
あまりの大きさに、診察をしていたのであろう医師も出てくる。訝しげな表情が背負われた太郎を見るやいなや、一瞬にして険しくなった。
緊迫感のある雰囲気で彼は連れて行かれる。
もはや曜にできることはない。ただ椅子に力なく座るばかりだ。
遅れて診療所に入ってきた雪花は、おずおずと声をあげる。
「お、お兄ちゃん……」
「……タローは多分大丈夫だよ」
「私が、私が誘ったから……?」
「それは違う」
たしかに一因ではあったかもしれない。
けれども、絶対に彼女だけのせいではなかった。
むしろ無理にでも止めなかった自分のほうが悪いのではないか。
曜は自責の念を抑えることができなかった。
どれほど時間が経過しただろう。施設内にはすでに他の患者はいない。暗くなった外からは冷たい空気が忍び込んでくる。
二人は沈鬱な表情を変えることはなかった。
連絡を受けて迎えに来た親に対しても、「せめてタローがどうなったかだけでも知りたい」と帰ることを拒否する。
やがて額に汗をにじませた医師が部屋から出てきた。
「……おそらく、問題はありません」
「タローは助かったってことですか」
「予断は許しませんが」
曜と雪花は見つめ合う。
そして、破顔した。
「――よかったねぇ!」
「うん。本当に、よかった」
診療所内にもホッとした空気が流れる。
太郎は一応の様子を見るということで、今日は家に帰らないようだ。
安心した二人は親に手を引かれながら施設から出た。
意識していなかったが寒い。反射的に体を震わせて、それすらも気がつかないほど心配していんだなぁ、と。
曜は胸をなでおろした。
一時はどうなることかと思った。
考えたくないことだが、もしもあのまま太郎が死んでしまったとしたら、もちろん皆が悲しむだろうが……。
それ以上に、雪花の精神状態が心配だった。
太郎の様子を聞くまではずっとうつむいていたのだ。
自分のせいだ、自分が誘わなければ、と呟きながら。
非常に危うかった。
だが助かってよかった。
「だけど、これからはあんまり遊べないな」
ひとり曜は囁く。
本人は外で走り回りたがるだろうが、さすがにこんなことを経験してしまえば、はいそうですねと頷けない。
少なくとも刺激が弱くなるまで。
つまり冬が終わるまでは遊べないだろう。
まぁタローには我慢してもらおう。
僕たちを心配させた罰だよ。
曜は希望に満ちた未来を夢想しながら、帰路についた。
数日後。
数少ない病床に転がった太郎は、つまらなそうに窓の外を眺めていた。
すると扉が開く。
物憂げに向けられた目はみるみると丸くなり、やがて喜色を帯びた。
「あっちー!」
「病院だから静かにね」
「でも俺以外に患者さんいないぜ」
「いなくても関係ない。そういうところだから、静かにするんだよ」
ベッドの横においてある椅子。
そこに腰を下ろして、曜は首を傾げた。
「元気いっぱいじゃん」
「当たり前だろ。俺は死なないぜ」
「……縁起でもないことを」
「逆だね。死亡フラグって知ってるか? 詳しくは知らないんだけど、漫画とかでこれから死にそうなセリフとかを言うことなんだと。でも立てまくれば逆に死ななくなるんだってさ」
意味ありげに断言する太郎の手元には、先程まで読んでいたであろう漫画本がある。きっとそれに影響されたのだろう。
シリアスな空気がなくなったことに安堵しつつ、曜は適当に見繕ってきた果物を入れた籠を、ベッドの脇に置いた。
だけどこの分じゃ必要なかったかもな。
彼は小学生に似つかわしくない、慣れた様子で嘆息する。
「あっちー。
「……木だね」
「ただの木じゃないぜ。桜なんだ」
「だから何」
「秘密基地を作ったときに言ったじゃん」
「……あぁ、花言葉か」
しばらくぶりに思い出した。
どこかの外国語の花言葉だ。
たしか――。
「〝私を忘れないで〟」
「……そうだったね。たしか」
「忘れてくれていいぜ」
太郎は何の気負いもなしに言った。
自然すぎて、曜は数瞬意味が理解できない。
心臓が拍動して血流が一周する。
その頃に、ようやっと噛み砕けた。
「……は?」
「考えてみたんだよ。そしたらさ、思ったんだ。自分を忘れないでくれって、めっちゃ重くね? って」
気恥ずかしそうな笑み。
しかし曜は顔をしかめる。
「重いものかよ。当然だよ、その思いは」
「寿命の話したじゃん。なんかさ、俺もう駄目みたいで」
「……何だよ、駄目って」
流暢に言葉が流れる。まるで何度も練習したかのように、とても簡単に流れる。耳に引っかからず空気に溶けていく。
あるいは脳が理解するのを拒んでいるのか。
一体どちらなのか、曜にはわからなかった。
「調子がよかったら春くらいまで生きられたんだけど、病状が悪化した。多分そこまでは無理だろうって。先生が言ってた」
――本当に、わからなかった。