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世界がおかしくなって

 伊勢屋太郎の葬式はつつがなく進行した。

 数日ほど経過し、学校にも普段どおりの日常が戻ってきている。

 もちろん教室の中心的存在が姿を消したことでピースが足りない感覚はある。それでも、彼らは〝普段通り〟に戻ろうとしていた。



「…………」



 だけれども。

 曜は空席を撫でる。

 雪花がいない。

 彼女は葬儀を最後にして学校にすら来なくなってしまった。



 今日は家を訪れてみようか。

 自分の席に戻り、頬杖を突いて彼は考える。

 菜々花は何も語らない。

 雪花がどうなったのか尋ねても、沈黙で返すばかり。



 であれば直接赴くしかないだろう。

 教師の遠い声を聞き流しながら、曜は放課後を待つのであった。














 以前一度だけ来たことがあるから迷いはしなかった。

 道には迷わなかったが、玄関を叩くのには躊躇ちゅうちょした。

 男一人で異性の家を訪ねるなんて、という背伸びした気恥ずかしさゆえに。



 しかし数分間の葛藤の末。



「――よし!」



 曜は控えめに玄関をノックする。

 しばらく待つと母親が出てきた。

 前回会った頃よりもやつれているだろうか?

 影の残る面差しで、彼女は笑う。



「……あら、曜くんじゃない」

「こんにちは。雪花ちゃん大丈夫ですか?」

「大丈夫……そうね、大丈夫ではないわ」



 家に上がってもいいですか? という曜の質問に首を縦に振った彼女は、足音を立てずに廊下を歩いて言う。



「もうずっと部屋から出てこないの。ご飯もあんまり食べてないみたいで、部屋の前に置いたものも減らないことが多い」

「それは……」



 ひどい。

 想像していたよりもはるかに。



 曜は顔をしかめて、雪花の部屋の前に立った。

 薄いはずの扉がずいぶんと厚く感じる。

 向こう側に雪花がいる。まずは声をかけなくては。



「……雪花?」



 媚びたようなそれに反応はなかった。

 母親に目配せして「……開けるよ」とドアノブをひねる。

 部屋は電気がついていない。薄暗い空間のなか、すっかり輝きを失ってしまった金髪が、ぼうと突っ立っていた。



「……お兄ちゃん」

「ごめんね、勝手に開けて」

「誰かが何かを言ってたと思ったら、お兄ちゃんだったんだ。聞こえなかった」



 そんなはずはない。かなりの声量だった。

 しかし雪花の言葉には嘘が感じられず、曜は愕然とする。

 音が識別できなくなるほど追い詰められているのか。



 自分が希望を持って外を歩いていたとき、彼女はどのような気持ちだったのだろう。己の所業が太郎を殺し、罪の意識に苛まれる数日はどのような気持ちだっただろう。



 想像もできない。

 ただ、ひどく苦しいものであったのだろう。

 それだけは理解できた。

 理解せざるを得なかった。

 雪花の痩せこけた頬を認めれば、理解しないわけにはいかなかった。



 その後も簡単なやり取りだけを交わして、曜は失意のうちに帰ることになる。雪花は返答をしようとしなかった。正確にいえば、返答できなかった。

 おそらく睡眠をまともに取っていなかったのだろう。地面に倒れ込んだ彼女は、揺すっても起きることがなかった。



 帰路の途中、曜は自分を殴ってやりたい気分になる。



 ――何が希望に満ちた未来だ。

 足元も見えないくせに、先のことを考えるなんて。



 うつむいて歩いていると、バッタの死骸が落ちていた。

 寒さに耐えるためかその下には蟻が群がっている。

 いや、食べているのか。

 たびたび跳ねるように動く死体は、まるで生きているようだった。温度のない複眼だけが、それを死んでいると主張している。



 気持ち悪い。



 曜は膝をついてからえずきした。

 何かが胃から駆け上ってくる。

 そんな感覚がするのに何も出てこない。

 唾液だけが重力に引かれて地面に染みを作った。

 涙がにじんで視界がぼやける。

 耳鳴りがして周囲が遠くなる。



 そんなとき、誰かが彼に駆け寄ってきた。

 心配するように肩に手を置き声をかける。



 曜が目を細めながらそちらに視線を向けると。



「――ぁ」



 直立する生々しい肉塊。

 赤黒いそれには血管が走っているように見えて、正体がわからない液体が体表を覆っている。

 粘着質な音を立てて、肩に置かれた触手から糸が伸びた。

 それでいて耳に響く声らしき音は知っているもの・・・・・・・だったから、なおさら気持ち悪くなって曜は吐いた。



「大丈夫ですか!?」



 誰か・・の心配も意味がない。

 あるいは逆効果だ。



 曜は眼球を回して地面に倒れ込む。

 土の匂いが無遠慮に鼻腔に侵入した。

 大して意義のない視界が、眼前にバッタの死骸があることを伝える。



 ――あぁ、気持ち悪い。



     ◇



 俺が目を開けると、覚えていないが知っている天井があった。

 どうやら布団に横になっていたらしい。

 無言で起き上がる。傍らには化け物が座っていた。



「大丈夫ですか!?」

「……あぁ、うん」



 見慣れた肉塊である。

 うにょうにょと触手をうごめかせ、謎の液体を撒き散らす。

 とくに何の感慨も抱かず、俺は立ち上がった。



「気絶しちゃってた?」

「はい。突然倒れてしまって」

「ごめんね。多分寝不足だよ」

「寝不足ってあんな急に気絶するものなんですか……?」

「するする。三回に一回くらいする」

「そんなに!?」



 適当な言葉にも純粋に反応し、触手でもって面白い反応をする菜々花。しばらく彼女のことを眺めて、ぽりぽりと頬を掻いた。



「幼馴染、ね」

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