草壁家を出て帰路についている。
菜々花にはずいぶんと心配されたが、もう大丈夫だからと無理を言って出てきたのだ。雪花も言葉にこそしないが目を細めていた。
覚えていなかったが祖母の家があるのだ。
であれば、そちらに居を構えるのが自然である。
俺はポケットに手を突っ込んで空を見上げる。
すでに闇に覆われ星がまたたいていた。
都会ほど電気がためだろうか。普段眺めているものよりも、ずっと綺麗に思える。
忘れていた。
鳥辺野村でのこと。
太郎とのこと。
雪花とのこと。
菜々花とのこと。
そして――祖母とのこと。
無言で扉を開ける。
やはり俺の来訪を察知していたのだろうか。
そこには祖母が黙って立っていた。
あらゆる場所から角が生え、目が覗いている。
間違っても人間ではない異形。
「【よくぞ来たな、人の子よ】」
「それハマってるの? いい歳した人が……いや人じゃないか」
「……慣れたとは思ったが、さすがに程度というものがあるのではないかねぇ」
俺の祖母――
◇
気絶した曜が目を開けると天井があった。
見慣れたもので、彼の家だ。
正確には祖母の家である。
「
頭が痛い。
そっと額を押さえると、気絶する直前の記憶が蘇ってきた。
追い詰められた雪花。
無力感を感じた帰り道。
心配そうに駆け寄ってきた――肉塊。
あれは何だったのだろう。
精神的な疲れが生み出した幻覚だろうか。
いや、それにしては現実感がありすぎたような。
喉の奥から漏れ出る声を噛み殺す。
布団を口に含んで、決して音が外に出ないように。
そんなことをしていると、静かにふすまが開けられた。直前に足音は聞こえなかった。気配も感じなかった。
曜の祖母――蓮台野直子の特徴だった。
だから彼は直子が来たのだと、何の警戒もせずに顔を向ける。
「ひぃ……っ!?」
化け物がいた。
何本もの角が生え、何個もの眼球がある。
白ひげをたたえた老人のような顔立ちをしている。
ハクタク――という名前が曜の頭をよぎった。
以前、何かの本で読んだことがあったのだ。
様々な知識を持つ
そんなことはどうでもいい。
どうして化け物がいる。
タローが化けて出たか。
曜の意識は再び薄くなる。
目がひっくり返って布団に倒れ込みそうになったところで、
「……あぁ、やはり駄目だったか」
祖母の声が聞こえた。
見た目はまったく違うのに、声だけは同じだった。
わずかな共通点があるせいでむしろ気持ち悪い。
彼女――なのだろうか――は優しく曜を寝かせると、慈しむように髪をすき始める。その触感は覚えのあるもので。
容貌は明らかに異なるのに、やはり祖母なのだ。
「お、おばあちゃん……?」
「そうだよ。おばあちゃんだよ」
「僕……おかしいのかな。なんでかすごく怖く見えるんだよ」
「〝異形の世界〟に近づきすぎてしまったんだね」
直子は目を細める。
「この世界には昔から人間とは姿かたちの違うナニカがいるんだよ。ずっと前には違うところに住んでたんだけどね。もう混じり合ってしまった。ちょうどミルフィーユが潰れるように、一つになってしまったんだよ。不可逆なほどに」
まだ小学生の曜には理解できない。
ただ、直子の語る言葉に嘘が込められていないことだけはわかった。
少なくとも彼女はそう確信しているのだろう。
「〝ナニカ〟はもう人間と変わらない。人間だって違いがわからない。だけど、たまに曜みたいのがいるんだよ」
「ぼ、僕みたいの……?」
「〝ナニカ〟の血が繋がっている者。とくに〝死〟とかそういうものに近づきすぎた者が、向こう側を観測してしまう」
そうしたら、自殺とか何とかすることが多いのさ。
直子はかすかに震える手で曜を撫で続ける。
「僕は……僕は人間なの、化け物なの?」
「曜は人だよ。人の子だ。私の血はそこまで濃くない」
「――倒れる前に変なのを見たんだ。触手の生えた肉塊みたいな。もしかしてあれは、菜々花なんじゃ……」
「そうだね」
簡潔に。
予断の余地を残さないほどに、彼女は断言した。
「でもあの子は自分に気がついていないよ。気がつくほうが稀なんだ。人間なのに向こうの世界が見えるようになってしまった曜は、本当に珍しいんだよ」
「……もう一人、いるんだ」
「雪花ちゃんのことかい?」
「うん。すっかり様子がおかしくて、きっと僕よりも〝異形の世界〟ってやつに近づいちゃったと思う」
まだ祖母の姿には慣れない。
直視すれば恐怖が胸の底から湧き上がってくるし、曜は視線を布団に固定している。
しかし上げた。彼は恐ろしさに耐えて視線を上げた。
ひとえに雪花を想う心ゆえである。
直子は
すると顔をしかめ、重苦しい息を吐く。
「これは……まずいね。自覚してしまっている。完全には認識していないが、自分の姿がときどき違うもののように見えているよ」
曜の場合は説明があった。
説明があっても信じられないし、認めたくない。
だけれども、それすらもない雪花は?
一体どんな思いで生きているんだ?
「じゃあ、雪花ちゃんは――」
「曜。急ぎなさい。雪花ちゃんを助けたいのなら」
直子は危機感を煽らないようにするためであろうか、ことさらに声の調子を抑え、空気をできる限り震えさせずに言った。
「あの泉だ。雪花ちゃんが一人でそこに向かっている」