相田さんは教室内を見渡し、僕の元へイスを寄せる。
「猿渡も何も言ってこないし、教室内、凄い空気悪いけどどうしたの」
相田さんは小さな声で僕に質問をする。
「どうしたの」と聞かれても一言では説明できない。
「相田さんが教室に来る前に色々あったんだ…」
意味深なことを答える僕に、相田さんは一言間を置き、それ以上は特に聞いてくることもなく自分の席へ再度イスを寄せた。
けれど、気になっていないわけではないらしく、
「……後から聞くから」
そう僕に告げると、まだ眠いのかうつらうつらと瞼が落ちている。
◆
国が変わり僕の環境が変わってしまったように、クラスのリーダー的存在、矢野の環境も変わったように思う。
午前中、矢野を監視し続けた結果、休み時間になると光枝くんやいつもいる友達から外れて一人でいることが多くなった。
昼休みになると、
「飯倉、今朝なにがあったのか教えろよ」
相田さんは僕の席へ机をくっつけてきた。
「ああ、うん…それよりさ、相田さんは気にならないの?」
「……だからこうして聞いてんだよ」
「あ、いや、そうじゃなくて。矢野、違うメンバーと飯食ってんじゃん」
ちらちらと矢野と柊さんに視線を向けながら、さりげなく相田さんに質問をする。
「んな小さいこと気にしてる場合じゃなくない?」
矢野と光枝くんが個々でご飯を食べていることよりも、今朝の出来事が気になる相田さん。
「どうせ、朝、何かあったんだろ」
察しが良い。相田さんは間を開けずに言葉を発する。
「まあ、光枝と矢野辺りが言い争いなんて初めてじゃないんだし、矢野のことは飯倉が気にすることじゃないよ」
――言い争いが初めてじゃないにしろ、今回のはさすがに気にしてしまう。
「相田さんは気にならないの? 矢野のこと…」
「そんなことより、うちらパートナーいない組のこと噂になってんだろ?」
「……うん、誰かが広めたみたいで」
「昨日、教室に戻る途中に橋本と沢辺と柊が『内緒にしよう』って言ってたんだよ。だからあいつらは絶対言わない」
……ここで小谷の名前を出してもいいんだろうか。
ニヤニヤと笑っていただけで証拠はないし、相田さんに言ってしまえば小谷に何をするか分からない。
いや…もう小谷のことは庇わなくてもいいのかもしれないけど。
「……やっぱ小谷だろ」
僕が名前を挙げずとも、相田さんも気づいていたようだった。
「証拠がないし…決めつけは良くないけど、僕もそう思う」
相田さんは食べていた菓子パンを口に頬張りイスから立ち上がった。
「まって…小谷には僕が聞いてみるから」
「だけど、一発ひっぱたいてやらなきゃ気が済まない!」
「そうだけど暴力はダメだよ。僕は小谷と一緒に牛丼食べた仲だから…なんとか話してみる…」
沢辺さんのことに関しては仲を取り持ったりすることはできないけど、僕はまだ小谷に良心があることを信じたい。
「私も聞く」と引き下がらない相田さんをなんとか宥めつつ、放課後小谷と二人になることに成功した。
――と思っていたのは僕だけで、小谷は鞄を持ち、今すぐにでも教室から出る勢いだ。
そういえば小谷も今日、ずっと一人だったな。やっぱり沢辺さんと言い争ってしまったことが原因なんだろうか。
教室から出ようとする小谷を呼び止める。
「あ……小谷、ちょっとまって!」
小谷は僕の声に反応し、足を止めた。
「……なんだよ」
「いや……その、もう帰る?」
「帰るけど、なに? 同情してんの?」
僕と話したくなさそうな小谷。いい加減にしてくれといったような口ぶりで僕の質問に答える。
「いや…どっちかっていうと同情じゃなくて疑ってる。小谷、昨日の放課後のこと皆に話した?」
「だったらなんだよ…」
「なんで言ったの? 矢野と柊さんがパートナーを解消するって知ったら、皆動揺するって分からなかった?」
僕の質問に知ったこっちゃないと言わんばかりで、小谷は面倒くさそうに息を吐いた。
「俺はただ、皆に教えてあげようと思っただけだし。悪意で広めたわけじゃねぇんだけど」
「……小谷は一番最初のパートナー決めの時に参加してたんだろ? だったら、矢野と柊さんのことを伝えたら皆が混乱することくらい分かってたろ?」
「だから悪意で広めたわけじゃないって。何回も言わせんなよ…」
小谷はしきりに『悪意で広めたわけじゃない』と連呼するが、今朝ニヤついている表情を見てしまった僕からしてみたら小谷の言葉を真っすぐな気持ちで受け止められない。
だが、これ以上小谷を刺激してウザイヤツと思われちゃダメだ。本心を言えないでいる僕を見て、小谷は言いづらそうに口を開いた。
「悪かったな…飯倉には牛丼まで奢ってもらったのに…こんなことになっちまって」
「……あ、いや……」
「一緒に帰らねえ?」
早く帰りたさそうにしていた小谷だったが、誘ってくれたため、小谷の後を追うように急いで鞄を準備する。
「ちょっとまって。僕今日日朝だから…日誌を届けなきゃいけなくて。職員室に寄ってもいい?」
「ああ、早くしろよ」
戸締まりは大丈夫か等を確認し、小谷と一緒に教室を出る。
「大丈夫だった。――って、あ…先生……」
担任の猿渡先生と生徒指導の菊地先生。
教室に用があるのか、猿渡先生は僕から鍵と日誌を預かった後「さっさと出ろ」と言わんばかりに視線で誘導する。
「また明日……」
ぎこちなく挨拶を返すと、先生は小谷に視線を移した。
「小谷、今週の金曜日忘れるなよ」
小谷も何か言いたげな様子で返事を返すが、先生に何か言うことはせずに廊下を一歩一歩と歩く。
先生に何かを言われている小谷に、小声でそれとなく聞いてみる。
「今週の金曜日……なに?」
「ああ、この札を役所に提出しに行かないといけなくて」
小さめの丸いタグが小谷のポケットから出てきた。「1109」という数字が書かれてあり、裏には指紋を認証するような金属の板が埋め込まれている。