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第16話『幸せになりたくて』


「これを? 役所に?」


「うん、それの提出。透明のシールが被さってるんだけど、ここに指を当てて指紋を読み込むんだって。後は番号……この、「1109」番で管理されるらしい」


 ポツリポツリと僕に現状を伝える小谷。

 管理という言葉がもう、僕たちを番号でしか見ていないような言い草だ。


 なんと言っていいか分からず言葉を返せずにいると、小谷はその場に屈み込んでしまった。



「はあ……なんでこんなことになっちまったんだろ……」



 悔いても悔やみきれない言葉が、小谷の口からポツポツと出てくる。


「……飯倉、おまえは誰と結ばれても幸せになれそうだからいいよな。沢辺も相田も柊も、全部当たりじゃん。その中から誰か一人と結婚できるんだぞ? はあ、羨ましい……」


 小谷から本音が溢れる。


 ……確かに、相田さんも沢辺さんも、皆いい子だと思う。けど、それでもやっぱり僕は……柊さんへの想いを捨てきれない。


 小谷からしてみたら、皮肉にしか聞こえなさそうなことを言ってしまいそうだったため、話題を逸らす。


「すぐすぐ結婚相手が決まるってわけじゃないんだ?」


 そう問いかけると小谷は「さあ…」と、薄笑いしながら遠くを見つめていた。


 そして小谷は、


「……俺、逃げようかな」


 ――と、消えそうな声でポツリと呟いた。


「逃げるって…どこへ」


「分かんねぇよ、けど、おかしいだろ! 少子化になったのは俺達のせいじゃないのに……なんの前触れもなく、いきなり結婚して子どもを作ってくださいなんて…一夫多妻制だったらまだいいよ、奥さん何人も持てるし。その中から好きな人ができるかもしれないから。でも…国が決めた見ず知らずの誰か一人を一生愛し続けてくださいってあんまりだろ」


 小谷はどうしようもない怒りを僕にぶつける。


 ――従わなければこの国にはいられない。

 法律が改正されてから、皆薄々感じていることだ。


「従わなければ生きていけないように変えさせられてるんだと思う」


「……はあ? なんだよそれ……」


「ニュースでも言ってたけど、若者の引きこもりが急増してるのって……多分、そういうことだと思う」


「そういうことってなんだよ? 国に消されるってことか?」


「小谷みたいに不満がある奴らが人生に絶望して自ら殻に閉じこもる選択をせざるを得ないんだと思う。逃げてもいいけど、間違っても死ぬようなことだけは仕出かすなよ」


 僕の励ましなんておせっかいでしかないし、小谷からしてみたらただの綺麗ごとかもしれないけれど、それでも何か言わなければ気が済まなかった。


 小谷は「うるさい」と突っぱねるわけでもなく、「さすがに死ぬ勇気ねぇわ……」と苦笑いしながら今後どうするかをぼんやりと考えているようだった。


 そのとき、猿渡先生の声がドア越しに微かに聞こえてきた。

 見つからないように小谷と耳を近づける。


「…で、先生のクラスは進捗はどうですか?」


「とりあえず、残るクラスメイトが出る可能性はないので、心配ご無用ですよ」


「けれど一人…申請しに行く子がいるんでしょう? その子は大丈夫なんですか?」


「小谷じゃなくても良いんですけどね、誰か一人国が決めた方に行ってくれれば。まあ、あの子だったら大丈夫でしょう。それより菊地先生の方はどうですか?」


 話題はうちのクラスから菊地先生のへと流れた。


「うちのクラスは自ら国に決めてほしいという子がいるんで、先生が橋本を引き受けてくれたのが救いでした。人数調整ができて上手いこといきそうです」


「それはよかったです。我々、上手くいきそうですね」


「未婚なんでヒヤヒヤしてたんですが、これで国の結婚制度のための税を納めなくてすみそうですね。未婚者は稼いだお金3割が結婚制度の税に消えていくだなんて、私は御免ですよ」


「ははは、私もです。いっぱいパートナーを申請して、税金対策をしなければですね〜」


どうやら未婚の大人は、結婚制度のために3割の税を納めなければいけないことが分かった。


「なんだよそれ、結局金のため、自分のためかよ……」


 小谷は立ち上がると、靴箱がある方向へ一歩一歩と歩いていく。そんな小谷の背中を追うように小走りで走ると、小谷は小さく鼻をすすった。


 泣きたくなる気持ちも分かる。僕が仮に小谷の立場だったらきっと泣いてしまっている。


「飯倉…おまえだったらどうする」


 自分が決めた答えと僕の答えを合わせをするために投げかけられた質問にのように感じた。


 なので、僕が小谷だったらどうするかを真剣に考える。


「僕は……国の言う通りにすると思う。逃げても怖くて何されるか分からないし」


「俺は逃げようと思う」


 小谷の意思は固そうだ。


「もう高校を卒業するとかどうでもいい。大企業に就職できなくてもいいし、公務員になれなくてもいい。一生フリーターでいい」


「ま、まて。小谷。なにもそこまで……」


「そこまですることだろ!? あと一年早く生まれてたら…そしたら、3割の税金払うだけで済んでたのに。俺は絶対に国の言いなりなんてイヤだからな!」


 だからって自分のなりたい夢まで犠牲にすることでもないと思う。


 逆に恋愛が上手くいかないのなら、それ以外のことで楽しむしかない。そう割り切るしか、この先僕たちは生き抜くことができない。


「だからって、自分のしたいことまで投げ出してしまったら、それこそ国の思うツボだろ。恋愛が上手くいかないのなら、それ以上にそれ以外のことで充実した生活を送ってほしい……と思う」



「……じゃあ代わってくれよ。他人事だから、そんな適当なことが言えるんだろ。代わってくれよ!」


 小谷の悲痛に近い叫び声が僕へ向けられた。


 ここで「分かった」と言えない僕はズルい。けれど、今発した言葉は決して他人事なわけではないことを分かってほしかった。


 代われない僕が何かを言っても小谷を傷つけるだけだ。


「おまえには俺を見届ける義務があるだろ」


 小谷は僕を睨むように見た。


 一緒に逃亡しようとか、一緒に死のうとか言われたらどうしよう。微かな不安が脳裏に過ったが、


「冗談だよ」


 小谷は困ったように微笑んだ。



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