「一度ついた指紋は何があっても取り消すことはできない。自分で届けない場合、政府に強制的に回収され調べられてしまう。まあ、そんなに相田が好きなら、矢野も、自ら国の対象者になったらどうだ?」
……自ら対象者?
「国の結婚制度の対象者ってことですか?」
「ああ、そしたら矢野も国に決められる側になるだろう? 何万人対象者がいるかは分からないが、もしかしたら相田と結ばれることがあるかもしれんぞ」
矢野は悔しそうに唇を噛んだ。
そりゃそうだ。何万人分の一の確率だなんて、宝くじに当たる確率じゃないと無理に決まっている。
「国は少子化がどうとか言ってましたが、そもそも好きでもない人と体を重ねることをするわけないですよ。こんなの間違ってる」
少子化対策と言っていたけれど、こんなんで子供が増えるとは思えずに続けて反論する。
「そもそも少子化対策したいなら、結婚せずに身体の関係を持たせるだけでいいじゃないですか。結婚しなくてもいくらでもやりようはあるでしょ」
「国が決めたことだ。先生に言うな。まあ、でも、お前たちのどっちかが国の結婚制度を受けておかしくないからな。覚悟はしておくように」
――ふざけんなよ、これ以上大人のいいようにさせられてたまるか。
「矢野……どうする」
煮え切らない怒りを抱えながら矢野に問いかける。
「は? どうするって何が……」
「国に結婚相手を決められる相手は、本来は小谷だった。こんなこと言ったらアレだけど、タグを受け取っていた時点で、小谷は国に決められなきゃいけない存在だと思う」
「ああ、まあな。それは俺もそう思う」
「もし、小谷がタグを受け取らなかったら……国の制度の対象者になれるか?」
矢野は顔を歪ませて口を開こうとしない。
「小谷がすんなり受け入れてくれたら、残りの一人は僕たちどっちかが行くべきだと思う」
矢野は僕の質問に「は?」と口を開いた。
だって僕は何かあったら責任持つって決めてたんだ。
先生は僕達を見て呆れながら忠告する。
「言っとくが、国に結婚相手を決められるヤツらは国の奴隷だ。普通に生活できるか分からんぞ」
――それなら尚更、そんなところに相田さんを置いていられるはずがない。
「……僕が行く。国の対象者になるのは僕と小谷だ」
矢野は僕の胸倉を掴んだ。
生徒指導の立場で普段厳しい菊地先生も、状況が状況だからか、今にも殴り出してしまいそうな僕らを止めずに傍観している。
「何が『国の対象者になるのは僕と小谷』だよ。柄にもなくかっこつけてんじゃねぇぞ。国に結婚相手を決められるんだぞ!?」
「分かってる。けど、元はといえば小谷に変に寄り添ってた僕の責任だし、僕はただ、相田さんが心配なだけだ」
「相田が心配ってだけで、国に結婚相手決められに行くっていうのか? バカかてめぇは。何万人もいる中で相田と一緒になれるわけねぇだろ!」
そのまま僕を突き飛ばす矢野。下から矢野の顔を見上げると悔しそうに涙を浮かべていた。
「俺にはそんな度胸ねぇよ。それなら柊と結婚した方が何百倍もマシだ!」
相田さんを三年間想い続けていた矢野。
理由はどうあれ、この言葉が矢野の本心じゃないことくらい分かる。
「矢野が相田さんを想っていたように、僕も柊さんを想ってた……」
僕は柊さんと結ばれたかった。
本当は「柊さんをよろしく」なんて言いたくないけど、
「クラスの皆と一緒の意見で申し訳ないんだけど、矢野だから柊さんを託せられる」
矢野に右手を差し出すと矢野も僕の手を握ってくれた。
「飯倉に柊は理想高すぎだろ」
「分かってるけど……優しくしてくれるんだから好きにならないわけないだろ!」
手と手を取り合う僕達を見て、菊地先生はポケットの中から何かを取り出した。それを僕に向かって差し出す。
青色のタグで数字が書かれていたそれを二つ受け取る。小谷と僕の分なのだろうが、一つ疑問が浮かんだ。
「数字のタグって一個じゃないんですか?」
「学校へまとめて送られてくるからな。パートナーがいない者や、パートナーと別れたりしたとき、都度それを配ることになっている。だから常にポケットには5個ほど忍び込ませている」
菊地先生から小谷の分も受け取り、「一緒に行く」と言ってきかなかった矢野から、逃げるように小谷の家へやってきた。
何かの拍子に矢野の指紋がついてしまうという、二の舞の出来事は避けたかった。
小谷の家のインターホンを押す。
会ってはくれず、玄関前のインターホンのみで会話することになった。
『アレ返しにきたんだろ…、俺、絶対会わないからな』
小谷はタグを返しにきたと思っていたようだった。
――そうだよ、返せたらそれが一番よかったよ……
このままポストに入れてもいいが、また誰かに擦り付けられたら取り返しがつかない。
「……小谷、相田さんが国の制度の対象者として、結婚相手を決めさせられることになった」
『……へ、へえ。用はそれだけ? じゃあもういいだろ』
早々に会話を終わらせようとする小谷に会話を続ける。
「……で、僕と小谷が国の制度の対象者になった」
『は!?』
インターホン越しでガチャッとぶつ切りされた音が聞こえてきたと思ったら、焦った様子で早々に小谷が玄関から飛び出してきた。
パジャマ姿な小谷。
おおかた仮病でもつかって休んだのだろう。
「なんで!?」
小谷の家の近くは住宅街らしく、他の家も密集していたため、こんなところで大声で話をしていたら近所迷惑になってしまう。
「説明するから入れて」
「……分かったよ。茶は出さないからな」
小谷は不満気な顔で、僕を家の中に招き入れる。