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五、遺骨と生ゴミ 

五、遺骨と生ゴミ 


 仕事を始めてから七日後、Bのメニュー数が二十二から二十一に減った。また減った。この調子でどんどん減っていくのだろうか。 


 何も説明されないので何もわからない。ただ、いつもどおりに調理を行うだけ。ドレッシングもマヨネーズもない塩をかけただけのサラダと、魚のムニエル。白いご飯と出汁も味噌も使っていない味噌汁、いやただの野菜と豆腐を湯にうかべたものを用意する。


 生ゴミを捨てるため職員棟から出た。ゴミ収集車がやってくる訳ではないので、原始的だが生ゴミは裏の森に掘った穴に埋める。真心がバケツいっぱいの生ゴミと大きめのスコップを持って森の中に入ると人影が見えた。誰? もしかしたら、一名減っていた囚人が脱走して森の中をウロウロしているのではないかと咄嗟に木の影に隠れた。心臓がバクバクいっている。その人も何やら穴を掘っているようだ。もしかして脱獄用のトンネルでも掘っているのかと目を凝らすと、その人はここへ来た時に一緒に船に乗っていた同い年くらいの青年であることがわかった。


 なんだ、ほっとした真心はそっと青年の元に近づく。


「あの……」


 声をかけると青年が身構えた。


「あ、突然すみません私、バイトの者で」

「なんだ、びっくりした」


 青年は色素の薄い髪で、瞳の色も茶色だ。つなぎの作業服を着ている。


「驚かせてすみません。渡倉真心といいます」

「ああ、オレは石塚晋也いしづか しんやだ。お前幾つだ?」

「二十歳です」

「一緒だ。オレも二十歳」


 青年が少し微笑んだので安心した。なんだ、いたって普通の同級生ではないか。


「なんの穴を掘っているんですか?」

「遺骨を入れるための穴だ」

「い……遺骨?」


 ということは誰かが死んだということか。しかも骨になっているということは火葬したのだろうか?


「私、調理員なんですけど、この島のこと何も知らされていなくて。遺骨って誰か亡くなったのですか?」


 その質問に、石塚という青年は気まずそうな顔をする。


「知らないなら、何も知らない方がいい」

「いえ、もし知っているなら教えて頂きたいです」

「渡倉さんは何でここに来たのですか?」

「あ、えっと……生ゴミを埋めるために」

「……生ゴミも遺骨もとりあえずその辺に埋めとけってか……」

「え?」

「いや、何でもない」

「あ、でも囚人たちが集められているのは知っています」

「何だ、知っているのか」

「でも、本当にそれしか知らなくて、ここって刑務所なんですか?」


 石塚が真心の目をじっと見つめてきたので思わずドキっとした。吸い込まれそうな透明感のある瞳だ。


「知りたい?」

「し……知りたいです」


 真心がそう返事すると青年がため息をついた。


「わかった。覚悟して聞きな。ここには、重罪人たちが集められている。この島は東と西に壁を隔てて分けられているけど、西のエリアは囚人たちのエリアで、毎日拷問が行われている。そして、毎週水曜日に囚人たちに自殺志願者を募るんだ。連日の拷問から逃げ出す方法は自殺だけだ。だが、一週間で自殺をしていいのは一人だけ。さらに囚人たちはチーム編成されていて、自分のチームの人間が自殺を行った場合、残されたチームメンバーはペナルティを受けることになる」

「ぺ、ペナルティ?」

「ああ、拷問がさらにひどくなるってことだ」

「……」

「これが遺骨だよ」


 石塚が見せてくれたバケツの中に、頭蓋骨や骨盤、その他粉々になった骨が入れられていた。


「遺骨も生ゴミも同じ扱いなんだな」

「この人が……自殺した人?」

「そう一原宏志いちはら ひろしっていう人。今朝自殺した」

「一原宏志?」


 そういえばネットニュースでその名前を見たことがある。それにしても介護施設の同僚、安田の言うことが本当だったとは……。拷問、そして自殺。そんなところで自分は働いているのか……。


「大丈夫か、震えているぞ」


 確かに手が震えている。


「聞かない方がよかっただろう?」

「ううん、知らずに働いている方が嫌だから……」

「仕事を辞めて帰ることもできると思うぞ」

「うん、でも……」


 帰ってどうなるんだろう。真心の脳裏に次々とリアルな言葉が思い浮かぶ。家賃は? 光熱費は払えるのか? お金がない苦難の貧乏生活か……下手したら路上生活が待ち構えているだけだ。


「ありがとう、教えてくれて」


 真心はとりあえず遺骨を埋めた穴から、十メートルほど離れて穴を掘り始めた。さすがに生ゴミと遺骨を同じ穴に入れるのは囚人とはいえ罰当たりだ。


 しかし、土を掘る作業は予想より重労働だった。スコップを地面にあてて足でくいこませると腰にビリビリと痛みが走った。痛い、と思って手で腰を支えていると、


「どうした? 腰が痛いのか?」


 ふと気づくと石塚が真横にいた。


「うん、実はヘルニアで……」

「うわ、その状態でよく働いているな」


 次の瞬間石塚は真心の持っていたスコップを持ち、地面を掘り始めた。あっという間に二メートルほどの穴ができた。


「ありがとう、助かる」

「これくらいどうってことないよ」


 生ゴミを放り込んで土を被せてふと辺りを見渡すと石塚は消えていた。腰は痛んだがこの島に来て初めて心が温まった。


 ヘルニアとはいえ、ある程度動けるなら介護の仕事に戻った方がいいのだろうか。入浴介助や、年配者を車椅子に座らせる作業はかなり腰にくるが、このおぞましい島の仕事を辞めて帰るという選択肢もあるなら、今すぐ立ち去った方がよいのだろうか。しかし、時給三万円の仕事は本土に帰っても存在しない。ああ、世の中って理不尽だ。真心の頭の中に複雑な感情が渦巻く。同世代の二十歳は親のお金で自由な大学生活を送っている者も多い。真心にはその選択肢がなかった。


 先程降ったスコールのせいで、長靴がぬかるんだ地面に食い込んで歩きづらい。


 昔はスコールなんて日本にはなかったと真心の祖母が言っていた。いつの間にか日本は温暖湿潤気候から亜熱帯気候へと変わったらしい。


 横浜も暑かった。地球温暖化で年々気温は上がり続け、最近では夏の気温が四十度に達する日も増えている。ちょうど五十年ほど前に、温暖化で地球の気温は上がるという意見と氷河期に突入して逆に寒くなるという説が交錯していたが、今のところ氷河期に入ったようには到底思えない。


 祖母は「昔は横浜にも雪が降ったんよ」なんて言っていたが信じられない。雪というのは標高の高い山の頂上付近で降るもの、もしくは新潟、青森、北海道辺りで降るものである。祖母が生まれたという千九百九十年代には、東京や神奈川に雪が積もることもあったそうだ。


 早く帰って夕飯の支度をしなければ。真心は空になったバケツとスコップを持ち、職員棟への道を引き返していった。


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