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六、姉妹 

六、姉妹 


 先週、薊は、右目から血を流して肩がぶらんぶらんしている水釘の姿を見てぎょっとした。


 これはやりすぎではないだろうか。と思ったが、黙って血を拭き取り、処置を行う。医師免許を持っていることは間違いないが、こんな治療をずっと続けるのはさすがにごめんだ。父の経営する病院を本来継ぐはずだった姉が政治の道に進んだため、薊が代理で医師になった。人口が減った秋田県にある病院だったが、地方の医療を担う大病院である。外科で十年ほど働いた後、薊は父の後を継いで経営者となった。若くして経営者になった薊に不満を持つ者も多いのは彼女自身も知っている。


 今回の姉の計画に、最初は反対していた薊ではあったが、「あなたのため」という言葉で引き受けた。姉の菫は二十二歳の時に強姦被害に合った。その時、菫は医学を学ぶため大学に通っており、四回生だった。

突然連れ去られた菫は、人気のない倉庫に連れていかれて、数人の男にもてあそばれた。その主犯の男、九十九晶つくも あきらがこの島にはいる。この島にいる囚人の中で彼のみ殺人を犯していない受刑者である。


 菫が被害を受けた二年後、今度は薊も被害を受けることになった。あの時のことは今も忘れない。薊は医師ではなく看護学部を卒業して、看護師として病院で働き始めたところであった。夜勤明けの早朝、病院を出てすぐのところで薊は誘拐された。九十九をリーダーとする五人グループの黒ワゴンに乗せられた薊は手足を縛られて、例のごとく空き倉庫へと連れ込まれた。菫も薊も九十九晶を恨む気持ちに変わりはないが、菫は突然医学部を辞めて政治の世界へと足を踏み入れた。


「女性が住みやすい社会」を目指して、突き進む菫はいつの間にか総理大臣になっていた。


 そんな菫は、過去に同様の強姦被害にあった女性たちを集めて「被害者の会」を形成した。その会は次第に大きくなり、強姦のみならず、殺人やその他事件により、親族、友人、恋人などを失った女性たちが次々と集まった。「菫組」と命名されたそのグループの者は菫のことを崇めるようになり、やがて信者のように増えた女性たちの数は薊が知るだけでも四十名を超えている。今ここで黒服集団として働いている女たちは菫組の者だ。


 薊はその様子を第三者の視点から常に見てきた。殺人や放火などで大切な人を失った遺族たちの苦しみを姉は理解し、受け止めている。そんな姉が総理大臣になってまで、国の法を改正しようとしているのは理解できなくはないが、今回の件についてはやりすぎだと感じている。実際、姉の菫も国民にこの島の存在を隠そうとしているではないか。二ヶ月ほど前に、ネット上のマップで今まで存在しなかった島があることに気づいた人たちが噂を立て始めた。すると姉はマップ作成している会社は勿論のこと、衛星の管理をしているJAXA(ジャクサ)にまで島の存在をひた隠すように命じた。国民に堂々と見せつけてやるのではなく、あくまでも極秘で行う姉の考えをどう受け止めようかと薊はため息をついた。


 今日も、次々と患者がやってくる。どうしましたと言う間でもなく、体のあちこちにアザや怪我を負った状態で運ばれてくる囚人たちを、工場の流れ作業のように処置していく。消毒液も包帯もいくつあっても足りないと二度目のため息をついた時、医務室に新たにやって来たのは、九十九晶だった。


 医師という仕事はいかなる場合も平常心を保たなければならない。たとえ自分を犯した人物の治療をする時もだ。


 菫が医学部を辞めてから、薊は父に、看護師から医師に転職するように言われた。そう簡単に言わないでくれと言いたくなったが、看護師を辞めて、大学にもう一度入り直した。医学部は六年間あるので、卒業した時には二十八歳になっていた。父の言いなりになっている自覚はあったが、患者を助けたいという気持ちは看護師のときも医師になってからも変わらない。


 手錠をかけられた九十九の手の爪は十本ともすべて剥がされていた。目線を下に落とすと、彼は裸足で、足かせをはめられている足の爪もすべて剥がされている。


 今朝、薊が管理する事務室のパソコンに一通のメールが届いていた。


『九十九晶の男性器を切り落として頂戴 菫』


 まるで魚の頭を切り落とすかのように気安く言わないでほしい。でも、薊は内心どこかでワクワクしている自分がいることにも気づいていた。これこそ本当の復讐である。


 刑務所で働いて、それなりのご飯を食べて、就寝する。そんな人間らしい生活を送る権利など彼にはない。何人の女が貴様のせいで涙を流したと思っているんだと心の中で毒づいた。幸いなのが彼が性病を持っていなかったことだ。しかし、九十九晶自身はそうだとしても、取り巻きのグループは何人も入れ替わっていた。昔は致命傷だった梅毒も今は治すことができるし、クラミジアも治療できる。


 治療できればそれでいいのかといえば、そういう話ではない。何よりも心に傷が残る。それが一番大問題だし、菫組の中の一人はエイズに感染している。

男性器除去となれば、大きな手術となる。助手が必要だ。


 外科で働いていた時は、二日に一度のペースで手術を行っていた。今まで経験した手術は数しれないが、男性器除去は初めてである。


 薊は無線機で、看護師の資格を持つ黒服を数名呼び寄せた。当然麻酔というものは使用しない。薊はメスやその他器具を消毒し始めた。


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