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十八、往診

十八、往診


 廊下で鷹の姿を見かけて駆け寄った。薊は三本の麻酔銃のうち一本を鷹に渡す。


「麻酔銃か」

「ええ、できれば殺したくはない」

「もう一本は誰に?」

「虎がいいけれど……」


 すると鷹が二本目の銃を受け取る。


「渡すよ」

「虎は今どこにいる?」

「囚人棟だ」


 この島で薊が信頼を置いているのは、鷹と虎の二人だ。虎は御年六十七歳と高齢だが、筋肉質な体で、鷹と同じく身長は百八十ほどある。元警察官の虎は色々訳ありだが、誠実な人だと薊は知っていた。


 白髪の虎は、若いころ白バイ警官だったそうだ。しかしある夏の日、白バイに乗って走っていた虎はよろけて、人の家の石垣に突っ込んでしまった。幸い怪我人はおらず、物損のみだったのだが、それ以来白バイに乗らず、都会の警察署から、東北の山奥に移動するように自ら懇願したそうだ。薊は詳しいことは知らないが、姉の話では、死刑執行に携わる仕事をしていたとかどうとか。


 薊の父、高松光は虎と同級生だったらしい。


「あいつは偏屈だ」


 父の光はどうやら虎のことを気に入ってはいなかったそうだが、姉はどこからどうやって、拷問組に虎を選出したのか。


 薊が虎に信頼を置いているのは、あることがきっかけだった。


 外科医として働いていた薊は父の病院の跡を継いで経営していたが、その傍ら、訪問医療を行っていた。東北の山間部にはたくさんの集落がある。診療所すら近くにないそれらの集落をまわって、患者を診察していた。


 山奥の中塚佑星なかつか ゆうせい茉莉まり夫妻の家も月に一度問診に伺っていた薊は、ある日虎の姿を目撃する。畑でとれた作物を積んだトラックが、雨水の溜まった溝にはまって動けなくなっていた。虎は必死でそのトラックを押していた。


 それ以外にも虎を見かけたことがある。どうやら近くに住んでいるらしいと住民から聞いた薊ではあるが、直接関わることはなかった。ただ、村の人たちは「あの人に助けられた」と口にする。


 東京では最新の家電ロボットが各家庭に一台、二台あるのが当たり前で、科学技術の進歩は低迷しているとはいえ、裕福で便利な暮らしをしている一方、地方の限界集落では、様々な問題が起こっていた。廃墟の倒壊や、医療施設の不足、車がないと生活できないのはいつまで経っても変わらないし、ネットで何でも買い物できる時代ではあったが、健康までは買うことができない。それでも故郷を愛する人はその土地に残り続けていた。


 中塚家には四年ほど問診に通っていたが、ある時から何か異変を感じるようになった。二人はニコニコといつも優しいのだが、なんだろう、匂いがするのだ。夫妻とは別の……誰かがいるような気配がしていた。


 この島に来ることが決まって、しばらく往診ができないという話をしに行った時、中塚夫妻は何かを必死に探しまわっていた。


「どうしたのですか?」


 薊は尋ねる。すると、慌てた様子の二人が「あ、いえいえつい物を無くしてしまって……」と明らかに何か隠しているようだったけれど、医師としてはプライベートなことにまでつっこめないので、何をなくしたのかと思っていたら、茉莉さんが着るには派手ではないかと思う女性用下着の洗濯物がチラリと見えた。


 隠していたのは……女の子? 事件性があるのかないのか不明だが、薊は刑事ではない。昔、娘を亡くしたとは言っていたが、その娘の下着まで残しているのか。


―――


「虎が囚人棟にいるのなら、そちらを警備してほしい。今職員棟に、五人のうちいるのはあなただけ?」


 薊が尋ねると鷹が甲ならいる。と答える。結果、麻酔銃は甲に渡すことにした。甲は職員棟の入口付近を見張っていた。麻酔銃を手渡して、薊は職員棟の一階を隅々まで見てまわる。


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