目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

二十一、差し出された手 

二十一、差し出された手 


 部屋の中は暗い。一つだけある窓のカーテンの隙間から僅かな月光が差し込んでいる。当然だが、真心は人質になったのも刃物を突きつけられたのも生まれて初めてである。


「窓を開けて、布団のシーツをそこから一気に放り投げてください」


 何をする気なのか。明日花は一旦、真心の首元からナイフを遠ざけた。今だ、この瞬間に逃げるんだ。と思ったが、真心はスパイでもない、格闘技を嗜んでいる訳でもないごくごく普通の二十歳だ。機敏な動きなどできる訳もないので、言われたとおりに、自分のベッドのシーツをはがして窓から放り投げた。


「なんですか、あの白い布は⁉」

「七号室だわ、渡倉真心の部屋!」


 当然、見張りの黒服たちは一気に真心の部屋の方へとやってくる。


「窓際に立て!」


 明日花の指示で窓際すれすれに真心は立つ。


「こいつを人質にとった。解放する方法は一つ、この島にいる三方咲苗を解き放て!」


 七号室の窓の外に集まった黒服たちがこちらを見ている。真心は再び首に冷たい感触を覚えた。


「人質だと⁉️」

「三方咲苗とどういう関係だ⁉️」


 黒服たちがざわついている。


「責任者は誰だ⁉️」


 明日花が叫んだ。そういえばこの島の責任者は誰なのか、真心は知らない。いや、それよりも……こんな映画のワンシーンのようなことが実際自分の身に起きているとは。自分は殺されるかもしれない瀬戸際なのだ。もちろん恐怖は感じているのだが、明日花と会話をした限り、悪い人ではない気がした。だから本当に首に刃物を突き刺して殺しはしないだろう。真心の心の中には楽観的な考えが無重力で浮かんでいる。


 人は見かけで判断してはいけないというのはわかっているが、サングラスをかけた明らかに悪そうな男に捕えられているのと、同世代の至って普通の女子に捕えられているのではなんとなく気持ちが違う。それに明日花は母親を助けに来ただけのようで、真心自身を恨んでいる様子は一切ない。


 窓の下の黒服たちが何やら話し合っている。何分経ったであろうか、時刻は夜の十一時ごろではないか。なんとなくそんな気がした。森からはホーホーと何かの生物が鳴く声が聞こえている。天候は悪くはないが、時折月が雲に隠れる。


 しばらくすると、女の人の声が聞こえた。


「はじめまして、私が責任者と言っていいのかわからないですが、医師の高松薊と申します」


 窓の下に現れたのは四十歳くらいのスタイルのいい女性だった。いつも食堂で白衣を着ている女性だ。そうか医者だったのか。今は白衣ではなく、黒いワンピースを着用している。


「高松薊……総理の妹ね」


 明日花の言葉に真心は驚く。そうか、高松という名字は総理大臣と同じで、顔つきもなんとなく似ている。


「本日中に三方咲苗を解放しなさい」


 暗がりではっきりと表情まで見てとれないが、明日花の要求に対して総理の妹がこちらを睨んでいるような気がした。


「本日中は急すぎます。現在時刻が十一時十七分です」


 冷静沈着な声だ。


「ならば明日の正午までに」

「はい、わかりました。とは言えないわ。あなたのお母さんは裁判所にて死刑の判決を受けています」

「母はどうして死刑なのか? 罪が重すぎる」

「ごめんなさい、私は医師なので裁判の内容まで詳しくは知りません」

「母をここに連れて来てください」


 明日花の要求に、総理の妹は黙って考え込んだ後、腰につけていた無線機らしきものを手にした。


 緊張しているからか腰が痛い。喉元につきつけられた刃物はピッタリと動きを止めているので、ほんの少しも動くことはできない。やがて、黒服たちが担架を運んできた。その担架に乗っていたのは一人の女性だった。


「母さん!」

「明日花!」


 担架から飛び降りた女の人の姿を見た真心は、仰天した。

 髪の毛が頭の一部にしか残っておらず、目の下は窪んで、ボロい服を身にまとってみる。二階からだからよく見えないが、傷らしきものも見えた。


「貴様ら……よくも母さんをこんな姿に……」


 明日花からものすごい殺気を感じた。


「おい、高松薊! お前は医者なんだろうが! 医者は人を助けるのが仕事だろう。こんなことをしているって公になれば国民はどう思うだろうな」


 明日花のナイフを持つ手が震えているのがわかった。


「ごめんなさい。私はこの島に呼ばれただけで、実際に考えたのは姉なので何とも言えないわ」

「お前たちは囚人を拷問しているんだろ⁉️」

「どうしてその情報を知っているの? あなたはどうやってこの島にやって来たの?」

「まずはこちらからの要求を呑め。母さんを三時間以内に解放しない限り、この人の命を奪う」


 この人というのは間違いなく刃物を突きつけられている自分……。明日花が自分を殺す気がないなんて思ったのは誤算だった。やはり人は見た目によらないのかもしれない。三時間後に要求が受け入れられない場合は死ぬのか。それは嫌だから早く解放してくれ。と心の中で願う。


 どのくらい時間が経ったかわからないが、じっとしているのも限界だ。そう思った瞬間、七号室のドアが突然開いた。と同時に銃声が鳴り響いた。

 真心は訳がわからなかったが、明日花が一瞬ひるんだ。


「飛び降りろ!」


 窓の外を見ると、そこにいたのは石塚晋也だった。

 訳もわからず真心は窓際に足を置いて思い切り力を入れて蹴った。すると体が宙に舞う。怖い、怖い、バランスを壊したら大怪我だ、なんとか両足をついて着地をすると腰に激痛が走った。


「渡倉」


 振り返ると石塚が手を伸ばしていた。その手を咄嗟に掴む。と同時に体がふわりと浮いた。こ、これは……。恥ずかしいなどと言っている場合ではない。石塚にお姫様抱っこされた真心はその場から立ち去った。立ち去る瞬間に三方咲苗と目が合った。


 連れていかれたのは医務室だった。その後自分の部屋で明日花がどうなったのか気になったが、まずは腰の激痛をどうにかしなければならない。


「あ、ありがとう」


 石塚が真心を診療台の上に下ろした。


「医者は……あいつだよな。来るかな? オレでよかったら応急処置を行うけど、二階から飛び降りた以外にあいつになんかされたか?」


 医務室は本当にシンプルな造りで、六畳ほどの狭い部屋に簡易ベッドが二つ並び、壁際にスチールロッカーが並んでいた。


「だ、大丈夫」


 真心はパジャマ姿だったことに気がついた。そうだ、就寝しようとした時に事件が発生したから……。綿素材のパジャマは至って普通。当然、顔もすっぴんである。石塚も白いTシャツに短パン姿だった。医務室にある時計を確認するとちょうど十二時、日付が変わる。


「痛いのは腰か? 足は?」


 石塚が真心の腰に手を回したのでさらにドキッとした。


「あ、ごめん言ってなかった。オレ医学には詳しいんだ」

「えっ、そうなの⁉️」

「ああ、事情があって大学に行くことができないから独学で……」


 石塚の言葉を遮るようにドアが開いた。


「渡倉さん、大丈夫⁉️」


 医務室に入ってきたのは総理の妹……薊だった。


「あの、明日花さんは?」


 思わず聞いてしまう。


「明日花? ああ、三方咲苗の娘の名前ね。そろそろ眠りについたころよ」

「眠り……?」

「麻酔銃、本当は人間用ではなくて動物用なのよ。麻酔つきの針が刺さるけれど、すぐには効かなくて、だいたい二十分から三十分くらいかしら。針が返しになっていて抜こうと思っても簡単には抜けないようになっているの」


 そう言って薊は壁にかけてあった白衣を身にまとった。


「さっきドアの外でチラリと聞こえたけれど医学に詳しいんだって?」


 薊が石塚の方を見る。


「何も資格等は持っていません。独学で学んでいます」

「そう、じゃあ今後私の協力をしてくれるかしら?」


 薊に見つめられた石塚は彼女の美貌に目を奪われているようだ。無理もない、スタイルはよく、長い睫毛、高い鼻、漆黒の瞳。美人そのものである。真心はなんとなく不快に感じた。さっき、僅かの時間ではあるが、お姫様抱っこをしてもらった時のときめきが、かき消されたような気がした。いや、今はそんな状況ではない。何を考えているのかと頭を振ると、薊が心配そうに「どうした?」と尋ねる。


「あ、いえ何でも」

「腰ちょっと見せてね。あ、手伝いお願いしたけど男子は部屋から出てもらおうか」

「あ、大丈夫です」


 診察台の上でうつ伏せになり、パジャマの裾をあげた。


「レントゲンが撮れるまでの設備はないから触診で」


 薊が真心の腰辺りを触る。


「骨は折れていなさそうね。足は傷まない?」


 今度は薊が真心の足を触診する。怖かった。高さおよそ三メートル飛び降りたのは初めてだが、足を負傷しなくてよかった。しかし、腰はかなり痛い。明日から仕事はできるのだろうか。いや、侵入者が現れたとしても明日からこの島は通常通りのプロセスで進むのか。


「歩けそう?」


 薊に質問されたので真心は首を横に振った。


「そうよね、しばらく安静にしていないとね。石塚くん、悪いけど今晩彼女についてほしいの、私は後処理があるから」

「わかりました」


 そう言うと薊は軽やかに医務室を出ていった。狭い部屋に二十歳前後の男女二人で一晩を過ごすのか……。石塚は一つだけあった丸椅子に座った。


「診察台じゃ寝にくいかもしれないけど睡眠をとったほうがいい」

「うん……。石塚くんはどうするの?」

「オレはここでいいよ」

「丸椅子で寝るの?」


 簡易ベッドは二つある。


「せめてこっち使ったら?」

「いいよオレは病人じゃないし」


 石塚は丸椅子に座って壁に背をつけて腕を組んだ。


「というか、寝てたらお前のこと見てられないから、寝ないよ」


 自分だけここで寝るのも悪い。だが、徹夜はしんどい。

 真心はどう返事していいかわからず、簡易ベッドでじっと朝が来るのを待つ。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?