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二十六、水曜日 

二十六、水曜日 


 皮肉にもこの日は水曜日だった。自殺を志願したのは一人だったので、選出する必要はなかった。睡眠をとったとはいえ、約五時間弱しか眠っていないので、瞼が重かった。三方咲苗の足に刺さった針を抜いて、治療を行った後、再び鷹に託した。


「娘のところに連れていく」


 そう言って、鷹は彼女を再び担いで医務室から出ていった。


 水曜日、また一人死者が出るのか、それとも出ないのか。二十四時間自殺ができないという場合も想定される。


 薊は、いつもどおり消毒液とガーゼを持って囚人棟へと向かった。

 拷問場では何やら野次が飛んでいた。今から赤切翼あかぎり つばさが自殺を行うのだろうか。となると、チームメイトが恐らく野次を飛ばしているのだ。


 囚人たちの中で、交通事故で人を殺して死刑囚になった者は赤切と夏原なつはらの計二名。この二人が自殺を志望することを考えて、島には予め廃車を一台運搬、保管していた。


 自殺する者は自分が被害者を殺してしまった方法で死ななければならない。ということは、赤切は車に轢かれて死ぬのが妥当だが、そうなると運転手は誰が担当するのかという問題がある。あくまで自分一人で死ぬっていうのが自殺者に要求される。


 自動運転の車を島に運ぼうかと姉は言っていたが、そもそも自動運転の場合、人を検知して轢かないように設計されているので、コンピューターそのものを改造しなければならない。正直そこまで手がまわらなかったので、赤切と夏原は自分で運転して壁に突っ込むという死に方をしてもらうようにした。薊は拷問場ではなくて医務室の方へ向かう。できることなら人が死ぬ瞬間は見たくないものだ。医師として、過去に病院で最期を迎えた人は何人も見てきたが、人の最期は悲しいものだ。


 あれは何年前の事件だったろうか。赤切翼は、ワゴン車に乗り、け散らかすかのように人を轢きながら歩道を暴走した。彼の暴走理由は「赤霧自身が幼少期に交通事故に合った」ことが原因だ。彼は左手の人差し指から小指までがなかった。親指が一本だけ。


 彼が幼いころ、踏切の途中で転んでしまい、怪我をして痛くて泣いていたのに誰も助けなかった。電車は急ブレーキをかけたが間に合わず、咄嗟に身をかがめた赤切少年は電車の下に潜り込む形でなんとか無事だったのだが、左手の親指以外はレールの上に置いてしまっていた。電車の車輪に踏みつけられた彼の指は、骨が粉砕した。彼が六歳のころ、親は幼い彼をよく家に一人残してパチンコに出かけていたらしい。さみしくなった彼は親を探して街を彷徨っていて事故にあった。転んで泣いていたのに、踏切が警報音を鳴らしていたのに周囲の人が誰も彼を助けなかったことで、彼は世の中の大人を恨むようになった。


 裁判で語られたのは、踏切の外でおばあさんとおじいさんが待っていたのに、オロオロしているだけで何もしなかった。さらにスマホをいじっていたお兄さんもいたらしいが、スマホから目を離さなかった。ということである。


 周囲にいる人が誰か彼に手を差し伸べていたら、彼はこんな事件を起こさずに済んだのかもしれない。


 そんな赤切のターゲットは『大人』である。事件が発生したのは確か敬老の日で、町の公民館での敬老イベントが終了したあと、年配者がそれぞれ帰宅しようとしたところに車で突っ込んだ。結果八人が重軽傷を負い、四人が亡くなった。彼は当然、死刑囚となった。


 もう一人の夏原准なつはら じゅんは会社で不当な扱いを受けていた。わかりやすくいうなら大人のいじめというものだろう。成績優秀な夏原に敢えて、誰でもできるようなコピー取りや社内報の配布などの仕事をさせて、デスクは窓際だったそうだ。

 五年前、ついに夏原はすべてが許せなくなり、愛車を改造してスマートアシスト機能をオフ状態にした。そして出社時間を狙って会社前の歩道を車で暴走した。結果、死者九名、重症者六名の大事件になってしまった。この時亡くなった人は夏原の勤めていた会社の社員が七名と残り二人は全く関係のない親子だった。会社近くに住んでいた親子は保育園に向かうためにたまたまその歩道を歩いていたそうだ。重症者の六名はいずれも会社の人間だったそうだが、いじめには全く加担していない社員食堂のおばちゃんまで巻き込まれていた。不当な扱いを受けていた彼に対する同情と、関係のない人を巻き込んだという批判でマスコミは連日この事件を報道していた。


 赤切も夏原も、ここにいる囚人たちは皆それぞれの人生があり、かわいい赤ちゃんとしてこの世に誕生したのに、人生の歯車が狂いに狂ったがために最後にこんな島に行き着いたのだ。


 薊が囚人棟の医務室にたどり着くと、その時点ではまだ誰もいなかった。ガランとした医務室の丸椅子に座って、ふぅと息を吐いた。


 この島には火葬場がある。火葬はバイトの石塚晋也に任せている。簡素な木製の棺に遺体を収めて焼くための炉に入れる。ここにも最新技術が用いられていて、それさえすればあとは勝手に遺体を焼いてくれる。石塚の仕事は炉に棺桶を入れて着火ボタンを押すだけだ。


 火葬は意外にも難しいと聞く。焼いている途中で突然遺体が起き上がるなんてケースもある。もちろん魂はそこにはなくて、人体の組織と火力の問題でそういった現象が発生するのだが、以前は人がある程度監視をしていたそうだ。ここの最新設備は、遺体を美しく焼く。らしい。美しくと言われても骨と灰に美しいという表現が好ましいのかは謎だ。


 姉の菫は最初、拷問も火葬もロボットにやらせようと言っていた。しかし、数カ月後、気が変わったのか生身の人間にやらせることにしたと言ったので、一体誰が担当するのかと薊は困惑した。いくらお給料がよくても仕事内容が拷問だなんて、職員側も心に傷を負うんじゃないかと姉を説得したが無駄だった。


 ゴーン、ゴーン……今日もいつもどおり朝の鐘が鳴った。今日もまた忙しくなるなと薊は、無機質な天井を眺めた。


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