三十二、再び地獄へ
囚人棟の簡素な部屋を見ると再び絶望感に襲われた。咲苗は体を横たえた。
総理が来るまでのあいだ、通常通りまた拷問を受けることになった。彼女の心に様々な感情が渦巻く。
娘が自分を助けようとしてくれる喜び。この後、自分が一体どうなるのかという不安、どうあがいても、この島からは脱出できないだろうという諦念。そしてかつて好きだった鷹が自分に関心があるのかないのか、彼がどう思っているのか。
咲苗は自分の手のひらをじっと見つめていた。独り暮らしをしていたころの鷹は簡素な部屋で暮らしていた。体格がいいので、六畳の部屋では窮屈だっただろうが、布団と最低限の家財道具以外、何も持ち合わせていなかった。調理器に材料を放り込めばAIが自動で調理をしてくれる時代だったが、咲苗はあえて手作りでご飯を作った。彼は屠殺場で働いていると聞いたので、極力肉料理は避けて魚を調理した。
美味しいとも不味いとも言わず黙々と食べてくれた鷹は、時折笑顔を見せることもあった。寡黙で、自分のことは殆ど話さなかった彼の記憶は戻ることがないようだった。咲苗が覚えている黒田の記憶は、クラスでも浮いていた存在だったということだ。しかし、彼にちょっかいを出す者は一人もいなかった。あやふやな記憶ではあるが、小学生なのに身長がすでに百六十ほどあり、筋肉質だった。当時の咲苗はまだ鷹、すなわち黒田に好意を抱いてはいなかったので、「体格のいいクラスメイト」としか認識していなかった。
秋田の駅前で再会した時、暗い表情の彼を見て咲苗は驚いた。黒田だと理解するのに時間はかからなかった。顔が小学生の頃から殆ど変わっていなかったからだ。ツリ目で高い鼻、尖った顎の彼はまるで臆病な子猫のようにも見えた。
季節が冬だったので寒風がひどく、今にも雪が降りそうだった。いくら体格がよくても、顔色が悪いのは一目瞭然だった。家に誘ったら意外にもすんなり着いてきた。
その頃はまだ自由だったな、と咲苗は冷たい寝床で思う。勇と出会ってから、勇と結婚してから彼女は奈落に落ちていった。
もし……黒田、いや鷹と結婚できていればどんな人生が待っていただろうか。気がつくと咲苗の頬に涙がつたっていた。
翌朝は雨だった。生ぬるい空気が漂う拷問場で今日も何らかの刑が執行される。
囚人たちを嘲笑するかのようにハエが数匹、まとわりついていた。