三十四、焼きそば
姉と会うのは三ヶ月ぶりだ。黒い艶のある髪と高い鼻、白い肌に整った二重まぶたと長い睫毛。内閣総理大臣という多忙な職務にあっても、老いるという言葉を知らないかのように姉はキリリとしていた。視察の時はハイヒールの高さを三センチにすると言っていたが、三センチでは最早ハイヒールとも呼べない。身長が百七十あるので、むしろぺたんこ靴でもよいのではないか。薊は医師なので白いサンダルを履いて、白衣というスタイルで日々過ごしている。
姉は国会の時はいつもスカートを履いているが、今日はパンツスタイルだ。シンプルなベージュのスーツを身にまとい、華麗に歩く。
そんな姉が焼きそばを食べているのがイマイチ画にならないが、薊も姉も食事はさほど贅沢をせずに育ったはずだ。少なくても薊はそうだ。
医者家庭ではあるが、多忙なので家族揃ってのご飯は難しかった。お手伝いさんが作る料理はシンプルな家庭料理で、味噌汁や煮物といった和食からハンバーグやコロッケという庶民のご馳走などが食卓に並んでいた。薊は幼いころから姉の菫と一緒に暮らしていた訳ではない。薊は幼いころ、肉好きだったが、菫と一緒に暮らすうちに、魚料理も好きになった。菫は肉を食べることを嫌がった。自身が牧場のすぐ近くに住んでいて、小さいころに牛や鶏を見ているのが好きだったという。しかし、ある日、彼らは食肉用に育てられているということを知った姉はショックを受けて、それから肉を食べないようになったのだそうだ。そのため、今回の焼きそばの具は豚肉ではなくて、ちくわと魚肉ソーセージが入っていた。
しかし、総理ともなれば会食や海外訪問の際に肉を全く食べないというのは不可能ではないか。フランスを訪問すればフランス料理を頂き、アメリカを訪問すれば、ステーキだって食する。
姉とは違って、薊は牧場の近くにいても肉は普通に食べた。しかし薊は酸っぱいものを食べるのは今も苦手である。その理由は……。臭いだった。
薊が強姦被害を受けたのは二十一歳最後の日だった。今も忘れない、十一月の涼しい日である。白いシャツとシンプルな紺色のスカートを履いて、ストッキングを履いて病院の夜勤を終えて、帰宅しようとした時だった。早朝、無理やり車に乗せられた薊は倉庫の奥に連れていかれて、五人の男に
この頃、実は薊には好きな人がいた。同じ看護師で
処女だった。血が出て酷く痛んだ。そんなことはお構いなしの五人組は狂っているように見えた。目を見るとおそらく薬物を使用しているのだろうと薊は気が遠くなりそうになりながら、男たちが満足するのをひたすら待った。三時間後にやっと解放された薊はぐったりしながら、なんとか家にたどり着いた。
それ以来、薊はストッキングを履かなくなった。姉も実は履いていない。本来なら正装の場合ストッキングは必須なのだろうが、足がモデル並に美しいので、履いていなくても、最早誰もわからない。
スマホで一部始終録音した薊は、家に帰ったあと、この格好のまま警察に行った方が説得力があると思い、破れた服のまま警察署へと向かった。
薊は抵抗しなかったので、殴られることはなかった。恐らく抵抗すれば殴る蹴るなどの暴行も加わっていたであろう。五人とも声をしっかり録音していたので証拠は完璧である。九十九晶、そして他の四人は即逮捕された。
薊はいらないことを思い出したと首を振った。忘れたい記憶こそ脳裏に焼き付いてしまうものだ。
薊は眼の前の平皿に盛られた焼きそばを器用に箸で掴んだ。キャベツ、玉ねぎ、人参、ちくわ、魚肉ソーセージが入っている焼きそばにカツオ節が盛られている。姉はそういえば焼きそばが好きだった。一緒に行った夏祭りの屋台で確か焼きそばを買って、麺を美味しそうに食べていた。残った豚肉だけ食べるのが薊の役目だ。そうか、だから今日の昼食は焼きそばなのか。
あの頃に戻りたい、姉と二人で浴衣を着てお祭りに行ったのはいつのことだったか。あの頃の優しい姉とまた一緒に暮らしたいなんて、もう無理なのはわかっている。薊は急に泣きたい気分になってしまった。九十九晶がいなければ。あの男がいなければと三回心の中で反芻して辞めた。
余計なことを考えている暇はない。午後の業務もきっと息をつく暇もないくらい忙しいであろう。薊はその後、無心で焼きそばを胃袋に流し込んだ。