三十七、震え
心臓がバクバクいっている。総理大臣のために焼きそばを焼くとは思っていなかった。味がどうだったなどの感想はなかったが、どうせなら囚人用の味のない焼きそばも試食したらよかったのに。本物の総理大臣は、美しかった。ネット画像などを見ると、画像加工をしているのかなと思うくらい肌が透き通っていて、シミなんて一つもない。今や、画像の加工は当たり前で世の中、本当の顔なのか造りものなのかわからない芸能人もたくさんいる。
心臓がバクバクいっているのは、自分が作った料理を国のトップが食べたこともあるが、何より人を魅惑するようなオーラがすごい。
きれいな人だ。素直に真心はそう思った。頭と心の中はどうなっているのか。せっかく外見が綺麗なんだから心も綺麗だったらいいのに勿体ない。
今回の視察を期に、あまりに痛々しい囚人の姿を見て、やっぱり辞めましょう。なんて言わないだろうな。真心は食器を洗いながら考える。
夕食はBの担当なので、味付けなしの和食を用意する。出汁すらないなんて、味覚がおかしくなりそうな食事を作るのにもやっと慣れた。慣れたが、やっぱり辞める。退職することを伝えるのは薊先生が一番言いやすいかと、焼きそばを食べたあとの薊を捕まえようとしたらあっという間に消えていた。早い、食べ始めてから五分も経っていないのに、お皿はきれいになっていた。また言い損ねた。
囚人の中には若い人もいるのではないか。真心と同じ二十歳くらいの人もいるのかもしれない。こんな島が一体どこまで露呈せずに続けられるのか。いずれ何らかの形で国民に知られるだろうとは思う。しかし……。
「渡倉さん」
名前を呼ばれてはっと我に還る。
「は、はい」
仙台はいつもと変わらない格好で肉じゃがを煮込んでいた。
真心は魚を調理しようとまな板の上に乗せて包丁を握った時にゾッとした。
今からこの魚の頭を切り落として、内蔵を取り出す。ヒレもとって食べやすいようにカットしていく。当たり前の工程が急に恐ろしくなった。眼の前にあるのはただの魚だ。しかしエラに包丁を入れた時、何かとてつもない罪悪感に襲われた。
拷問って……拷問って何をしているんだろう。この間見た明日花の母親はひどいありさまだった。叩く、蹴る、毛をむしる、そして皮を剥ぐ……内臓はさすがに取り出さないのか……火であぶることもあるのか? まるで魚のように鶏のように豚のように……。
「どうしたの?」
仙台が真心の異変に気づいた。
「顔が真っ青よ」
「せ……仙台さん……」
真心は手に持った包丁を床に落とした。
「この島はやっぱり狂っていると思います」
言ってはいけないと思いながらも口に出してしまった。どこで盗聴などされているかもわからない。
仙台は、真心の落とした包丁をゆっくり拾った。
「ちょっと休んだ方がいいわ……」
仙台の勧めで、真心はプライベートルームで休むことにした。急に寒気がして手が震えていた。何日も前から知っていたはずなのに。ここは拷問の島だとわかっていたはずなのに……どうして急に。自分でもわからないが震えが収まらない。
どうして今まで平気だったのか。自分はなぜこんなところで働いているのか。時給がいいからってこんな島があっていいのか……。
不安が収まらない真心が部屋の片隅でしゃがみこんでいると、インターホンが鳴った。
「どちらさま……ですか」
「石塚晋也だ」
真心は部屋のドアを数センチだけ開けた。
「気分が悪いって聞いたから大丈夫か?」
石塚の顔を見て、真心は急に泣き始めた。
「どうしたんだ……」