四十、手紙
咲苗は医務室で治療を受けたのち、娘とまた同じ牢へと入れられた。もうあの囚人棟に戻ることはないが、それでもやはり自分は罪人であることに間違いない。
「母さん、大丈夫?」
心配そうな明日花を見て、我に戻る咲苗。
「大丈夫よ」
この島に来て、鷹の姿を見た時に驚愕した咲苗の心には、彼がいつか助けてくれるんじゃないか。という期待と希望を持っていた。
彼は拷問を行う職員だった。信じられなかった。鷹は咲苗を避けていたのか、直接彼から拷問を受けたのは爪を剥がされた時のみ。鷹は目線を全く合わせなかった。それがまた、悲しくもあった。彼に近づくことが出来ないまま日が流れ、肩に担がれただけでも嬉しかった。
しかし、鷹は総理大臣と抱き合っていた。鷹が無理やり抱きついたのではない。総理の手は鷹の背中をしっかりと掴んでいた。
牢の中にはベッドが一つしかない。明日花がそのベッドに咲苗を寝かせた。
「ゆっくり休んで」
「ありがとう……でもあなたが寝るスペースが」
「私は床で十分だよ」
そう言って笑った娘は
「明日花……あなたはどうやってこの島に来たの?」
明日花が声をひそめる。当然だが、見張りがいない訳ではない。牢の前には黒服の女が二名立っている。
「この牢に入れられた後、散々尋ねられたよ」
「ひどいことされなかった?」
娘が真実を吐くように、ここでも拷問が行われていないか咲苗は心配だった。
「大丈夫だよ。正直に話したから。貨物船に忍び込んだんだ」
「貨物船?」
「母さんは北海道の苫小牧から乗船したよね?」
「ええ」
「私、それを見ていたんだ。それで護送船に気づいた」
咲苗が乗せられた船は、見た目が至って普通のフェリーだったが、内部は改造されていて、逃げられないように細かい網目で部屋が囲まれていた。そういえば明日花は視力がよかったことを思い出した。幼いころから、視力検査はいつも2.0で、一緒に出かけた記憶は殆どないけど、たまに勇が近所の人に怪しまれないようにと三人で行楽に出かけることがあった。咲苗は太陽光が駄目だと嘘をついていたので、皮膚が見えないように全身を覆った後、水族館などの屋内施設へと向かった。
大きな水槽の中を泳ぐイワシの群れの数を数えていた明日花は、イワシひとつひとつの模様の違いまで語っていた。動体視力も抜群なのであろう。
「遠くから見ていても普通の集団じゃないのがよくわかったよ」
「どうして」
「港にいる乗務員の数が異常に多かったから」
見張りの警察官はすべて乗務員の格好をしていた。一般人が船に近づけないようにロープを張っていた記憶もある。
「それで怪しいと思って」
「怪しいと思っても尾行はできないでしょうし、行き先もどうしてわかったの?」
「その時点ではわからなかったよ。でも噂があったから」
「噂?」
明日花はしばらくお風呂に入っていないので、ほつれた髪を手ぐしで伸ばしている。
「地図上からある島が消えたの。私が実際に見た訳じゃないんだけど、ネットにそんな記事があった。伊豆諸島の西側に今までなかったはずの島が写っていた。しかし、その島は一日だけ確認できたがその後、忽然と姿を消した。という書き込みだよ」
そんなことがあったのかと咲苗は知らなかった。そもそも自分たちがどのあたりに連れて行かれたのかすら知らない。今の娘の言葉で、咲苗は自分が今現在いるところが恐らくそこなのかと思った。
「ということは、ここは日本なのね」
「少なくとも日本の海域内だよ。そのネットの記事も数日経ったら消えていたし、誰かが手を回したのだろうなと思った。だから、母さんが船に乗せられている姿を目撃した時に、ああ、もしかしたらその島に行くのかなって」
娘の推理は見事に当たっていたのか。
「でも、どうして苫小牧なんかにいたの?」
咲苗の質問に明日花が難しい顔をする。
「手紙……」
「え?」
「あのあとさ、秋田から逃げて山形に南下して、さらに福島まで逃げた。猪苗代湖から少し離れた森林の中にいたんだけど……」
娘は僅か十四歳で家を失って、生きてきた。それもたった一人で。
「夏の間はよかったんだけど、秋になってくると寒くなって……。人のいる集落へ向かったら保護されてしまったんだ。警察じゃなくて地元の農家さんにね。その農家さんがとても親切な人で、詳しい事情を聞かないで、おにぎりを作ってくれて……」
明日花の目が潤んでいた。自分のせいで娘は辛い生活を余儀なくされたのだ。咲苗は心がチクチクと痛んだ。
「出ていこうとすると、ここに泊まれって、布団を敷かれて。長い間お風呂にも入ってなかったし、服もボロボロだったから明らかに、ただの家出とかそんな状況でないことは一目瞭然だったと思う。でもやっぱり何も問われなかった。私も冬が来たら野宿する勇気がなかったからその家に何日も泊まり続けていて、居候するだけも悪いから家事を手伝ったり農業を手伝うようになって」
「そうだったの……。その方にお礼を言いに行かなくちゃね」
咲苗も目が潤んでいた。
「おじいちゃんとおばあちゃんだったんだ。表札に中塚って書いてたし、近所の人には施設から引き取ったと言っていたみたいで」
「優しい方だったのね」
「うん、家に仏壇があって、若い女の人の写真が飾ってあった。おばあさんと顔が似ていたから、娘さんだと思う」
若い娘を亡くして悲しみにくれていた年配の夫婦が明日花のことを放っておけなかったのか。
「結局ずっとその家でお世話になっていて……」
咲苗は涙を流した。自分が刑務所に入れられている間に親切な方が娘を育ててくれていたなんて……。
「学校も行っていたの?」
咲苗の質問に、明日花は首を振った。
「ううん、学校は行かなかった。……実はおじいちゃんが地元の学校の制服を買ってくれたんだけど、やっぱり行く気がしなくて。おじいちゃんもわかってくれたみたいで、私はずっと家事と農業の手伝いをしていた」
明日花は確かに腕にしなやかな筋肉がついて、日に焼けていた。
「苫小牧に行ったのはね。その家に手紙が届いたの」
「手紙?」
「うん、差出人不明だけど……三月五日に北海道の苫小牧港に行け」とだけ書いてあって……」
どういうことなのか、咲苗は首をかしげる。もしかしたらここの従業員の誰かが娘の居所を知っていたのか……。そう思うと背筋が凍った。でも結果としてこうやって明日花に会えた。
「それってどんな手紙だったの? 今は持っている?」
明日花が首を振る。
「達筆だった」
「達筆?」
「うん、今どき珍しい手書きで、筆で白い紙に文字が書かれていた」
咲苗は益々混乱する。
「心当たりはないのね」
「うん、ない……。イタズラかなって思ったんだけど胸が騒いで……」
猪苗代湖から北海道の苫小牧までかなり距離があるが、その旅費はどうしたのか、そもそも福島にたどり着くまでの間、何を食べていたのかなど気になることは山のようにあったが、牢の前に座っていた黒服の無線機から何やら声がした。
「三方咲苗、娘と両方、シャワーを浴びろ」
時刻はわからないが、明日本土へ帰還するのだ。総理と一緒にヘリコプターに乗るのに汚すぎると言われた。確かに今のままでは汚なすぎる。
手錠をかけられたままシャワー室へと連れて行かれる。当然だが自分は囚人として扱われている。しかし、娘にまで手錠をかけるのは辞めてほしいと思ってしまう。
久しぶりのシャワーで体中の汗を洗い流すとあちこちがヒリヒリ痛んだ。誰が書いたのかわからない手紙、咲苗はそのことを必死で考えていた。油断するとあの二人が抱き合っていた光景が頭に浮かんでしまう。すべてを振り払いたくて、体中を思い切り洗った。