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第20話 ある洞窟にて


 ――その頃。

 紅竜城から30キロメートルほど離れた岩場地帯である。

 ここに、10頭ほどの馬が待機していた。仕立ての良いくらあぶみを身につけた、明らかに訓練された軍馬である。

 馬の側には、見張りと思われる騎士が立っていた。

 他の騎士の姿はない。


 視線を巡らせると、すぐ近くに洞窟が口を開けている。

 地下洞窟だ。


 騎士たちは『とある極秘任務』のため、探索隊としてここに潜っている。

 暗い洞窟内を騎士たちは一定の歩調で歩いていた。先頭の男の手には、魔力で輝く石。青白い輝きが洞窟内を照らす。

 怖ろしい邪竜が治める紅の大地のただ中。しかも人間にとって未踏の洞窟だ。危険極まりないこの場所を、微塵の怖れも感じさせず、しかし慎重に歩く騎士たち。

 それだけで、彼らが精鋭であることがわかる。


 ――いや、ひとりだけ。


 小走りに進んだり立ち止まったりを繰り返し、明らかに狼狽えている騎士がいた。

 彼もまた、鎧の胸当てに同じ騎士団の紋章を刻んでいる。ただし、それはまだ真新しい。


「ビビりすぎだぞー、ブエル」


 そのとき、先頭に立っていた騎士が声をかけてきた。緊張感がある隊の中で、ひときわ軽い口調だった。

 ブエルと呼ばれた新人騎士は、慌てたように姿勢を正す。


「は、はい! 申し訳ありません、グレフ副隊長!」

「ハッハッハ。固い固い。お前、まだ17だっけか? 新人は新人らしく、周りのセンパイたちにおんぶに抱っこでいーんだよ。オレがぺーぺーの頃なんて、周りに抱っこされすぎて放り投げられちまったくらいだ。ハッハ!」

「は、はぁ……」


 危険な探索中だというのに、洞窟内に響き渡るような大声で豪語するこの男。


 聖風騎士団第2大隊副隊長、グレフ・ドウァール。

 飄々、豪胆、派手。紋章付きの鎧がなければ、ただのチンピラにしか見えない。

 何かと有名な第2大隊の中で、一際異彩を放つ男だった。

 しかし、腕とカリスマ性は折り紙付き。その証拠に、ここに集まった精鋭たちは皆、グレフが見いだし育てた忠実な部下だ。例外は新人のブエルだけである。


 ふとグレフが笑みを収める。


「ま、ブエルが緊張すんのも無理ないわな。オレたちがここにきた目的を考えれば。さあブエルくん。我々はなぜこんな辛気くさい洞窟に来たのか、答えられるかな?」

「は、はい!」


 再び背筋を伸ばし、ブエルが答える。


「ここに、伝説の武具『セプティム』が眠っているからです!」

「うん、正解。よくできました」


 グレフは口の端を引き上げた。


 そう。

 精強と言われる第2大隊、その中でもさらに指折りの騎士たちがやってきたのは、この名もなき洞窟にあるという伝説の武具を手に入れるためだ。


 セプティム――聖剣ルルスエクサに勝るとも劣らないと、ある文献には記載されていた。

 魔王や魔物の脅威は、いまだ人間にとってすぐ隣にある。

 対抗手段はいくらでも持っておきたい。

 しかし、肝心のセプティムがどういう武具なのか――剣なのか防具なのか――まだはっきりしないのだ。


 ゆえに、精鋭が直接確認と確保にきた、というわけだ。

 セプティム以外にも、この洞窟には優秀な武具が数々残されているという情報もある。

 顔には出していないが、ブエル以外の騎士たちも内心で高揚していた。


「なんでそんな都合良く……と、思いたくなるところだが。この紅の大地が、大昔は聖地と呼ばれるほど栄えていたってことなら、話は変わってくる。ほら、見てみろ新人」


 グレフが魔法石を天井に向けて掲げ、指差す。指の先を追って視線を上げたブエルは、目を大きく見開いた。


 青白い光に照らされた天井は、滑らかな平面に整えられていた。くすんでわかりにくくなっているが、表面には絵画のような紋様も見える。

 明らかに、人の手が加わっている。何らかの意図を持って加工されているのだ。

 辺りを見渡せば、ごつごつした岩の下に同じような滑らかな建造物が見え隠れしている。


 口をあんぐり開けてそれらを見ていたブエルは、ふいに自らの二の腕をさすった。寒気が走ったのだ。


「まるでお墓みたいだ……」

「はは。そりゃ言い得て妙だ」


 ブエルの呟きに、グレフが軽く言葉を返す。他の騎士たちは相変わらず黙ったままだ。


 やがて一行は、天井の高い開けた空間にたどり着いた。壁には飾り柱が設えられ、明らかに他と雰囲気が違う。

 グレフが前方に魔法石を掲げる。


「見つけたぜ。あれが目当てのお宝だ」


 ブエルや騎士たちの視線が釘付けになる。

 そこには、獣人を象った大きな彫像が鎮座していた。全身鎧を着込み、成人男性の二倍は体高のある大作だ。

 その手に握られた美しいハルバード斧槍が、一際目を引く。

 あれが伝説の武器、セプティムに違いない。


「聖剣ルルスエクサに勝るとも劣らないと聞いていたが、こりゃあそれ以上かも知れないなあ」


 グレフが口笛を吹きながら上機嫌に言った。

 興奮したのはブエルも同じ。彼は若干頬を紅潮させながらまくし立てた。


「すごいですよ! これがあれば、きっと副隊長は勇者になれます!」

「ハッハ! オレが勇者? 馬鹿言ってんじゃねえよ、新人」

「いえ、本気です! グレフ副隊長は騎士団でも有数の遣い手。それにこのハルバードが加われば、きっと最強になれますよ!」

「なるほど、最強か。それなら良い響きだ。わかってんじゃねえか、ブエル」


 グレフはさらに上機嫌になっていた。


 上官の機嫌が良いのはいいことだ。ましてや、さっき自分を気遣ってくれたグレフ副隊長ならなおさら。

 ――そう思ったブエルは、さらに彼の役に立とうと彫像に近づいた。


「僕が調べてきます。副隊長はここで待っていて下さい」

「おーおー。若いのはやる気があって結構なことだねえ。んじゃ、おじさんたちはお言葉に甘えさせてもらうか」


 苦笑するグレフを尻目に、ブエルは懐から魔法石を取り出した。ほのかな灯りを頼りに、彫像の周辺を調べる。


「周辺に罠の類はなし、と。あとは――うわっ!?」


 一歩、彫像に近づいた途端、ブエルは強い力に弾かれて尻餅をついた。

 先ほどまでは視認できなかった結界が、彫像の周辺を覆っているのが見えた。表面はまるでカーテンのようにゆらゆらと波打っている。


 少しだけ火傷を起こした手を振りながら、ブエルは言った。


「痛て……副隊長、気をつけてください。結界があります」

「そのようだねぇ」

「こんな魔力の流れ、見たことないや。グレフ副隊長、この結界、どうやって解除を――」


 振り返るブエル。

 瞬く光。


「え」


 魔法石の青白い灯りの中に、斜め一直線の黒線が走る。

 それが斬撃の跡・・・・だと気付いたときには、ブエルの身体は仰向けに倒れていた。


 ブエルは思った。


(あれ、力が入らない)


 眼球だけ動かして、ブエルは見た。


(あれ、副隊長。あんなに歯が長かったっけ)


「――ぅごほぁっ!?」


 呼吸をしようとした途端、喉の奥から大量の液体が溢れて口から吹き出した。不思議な感覚だった。咳をしようとしても、体内が反応しない。まるで冬の水桶に手を浸けたように。

 身体の芯がかじかむ。それが何を意味するのか、ブエルはまだピンとこない。

 何が起こったのかもわからない。

 何をされたのか・・・・・・・は、脳が理解を拒否していた。


 だから。

「副隊長、どうして」という言葉も、吐けずじまいになった。


 ――その様を、グレフは見下ろしている。

 赤く染まった己の剣を、その場で一振り。


「やっぱ、若くて活きのいい人間の血はサラッサラだな。血糊みたいにならずに便利だわ」


 つい数十分前、ブエルの緊張を解きほぐしたときとまったく同じ口調、同じ微笑みでグレフは言った。

 同行した騎士たちは誰も何も言わない。

 黙祷を捧げる者もいないし、この所業を問い質す者もいない。

 皆、グレフ・ドウァールの忠実な傀儡なのだ。

 だから、何も言わない。


 グレフは剣をしまうと、ブエルの傍らにしゃがんだ。新人騎士の生気のない瞳を覗き込む。


「すまんなあ。お前の血、無駄にはしないから、勘弁してくれや。純粋な奴は嫌いじゃないが、もうちょい猜疑心っつーもんを持った方がよかったな、ブエル。新人のお前が、いきなりオレたちと同列になれるわきゃねえよな。残念、残念」


 そしてさっさと視線を外す。

 彼が観察するのは、ブエルから流れた血の行方。

 床に広がった血は、まるで誰から吸引しているかのように一方向へ流れていた。彫像の方向である。

 血は、結界を透過し彫像まで到達する。無機質な石だと思われていた獣人像は、ブエルの血を吸い込んでいく。


 美味そうに生肉を貪る獣のごとく――。


 これまで無言だった騎士たちが、不意に「おお……」と声を漏らした。

 血を吸った獣人像が、赤く発光し始めたのだ。

 眠っていた何か・・が、呼び覚まされる。


 静謐で広い空間内に、じわりじわりと緊張が広がる。

 彫像から放たれる赤い光が空間全体を染め上げ――不意に、収まった。


 直後、獣人像からハルバードがこぼれ落ちた・・・・・・

 ハルバードを握っていた両手のガントレットごと、彫像から落下したのだ。平らな床に転がり、派手な金属音を立てる。 ほぼ同時に、結界が消失した。


 グレフは彫像の元に歩み寄る。足下の血だまりを容赦なく踏み抜き、倒れ伏すブエルを一顧だにしない。


 落ちたハルバードを拾い上げる。その拍子に、ガントレットがずり落ちて、再び床で金属音を立てる。

 慣れた仕草でハルバードを構えるグレフ。その姿を見た騎士たちが賞賛の声を上げる。


「おめでとうございます、グレフ副隊長。封印の解除方法、伝承のとおりでしたな」

「ついに伝説の武器セプティムを手に入れましたね! よくお似合いです!」

「これで部隊最強の称号はグレフ様のものですよ!」


 部下たちが声高に持ち上げている間、グレフは美しいハルバードを見ていた。そして、両腕を失った彫像に視線をやる。

 その表情は、晴れやかではない。どこか不満げですらあった。 


「……ま、いつまでも長居するわけにもいかんわな。帰るぞ、お前ら」


 ハルバードを肩に担ぎ、ついでにガントレットを拾い上げたグレフは、さっさと歩き出す。

 騎士のひとりが尋ねた。


「新人の遺体はいかがしますか? 隊規では身分がわかるものを持ち帰るようになっておりますが……」

「捨て置け。『緊張と恐怖に耐えられなくなって逃げ出した』とでも報告すればいい。そのためにもっともらしい理屈を付けて新人くんを引っ張ってきたんだから」

「はっ。承知しました」

「さーて、帰るべ帰るべ。お前ら、途中で邪紅竜に出会えるよう祈ってろよ」

「副隊長。またそのようなご冗談を」


 軽く笑いながら騎士たちが後に続く。


 広間を出る間際、グレフはもう一度彫像を振り返る。

 そして、誰にも聞こえない小さな声で呟いた。


「失敗か」


 ――そして訪れる静寂。


 グレフたちが立ち去った後、広間に残ったのは無残にも打ち捨てられたブエルと、獣人の彫像。


 雄々しい獣の像が、わずかに――動き出した。

 石の色に過ぎなかった瞳が、真っ赤に輝く。


 獣人は、自らの失われた腕を求めるように、ブエルへと近づいた――。




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