「……ん?」
馬の世話をしているとき、ふと俺は気付いた。
畑が妙に眩しい。湧き出る小川もキラキラと輝いている。
地中の聖なる魔力がそうさせているのかと思ったが、馬の身体も昨日より明るく見えたのだ。
何気なく空を見る。
「おお!」
思わず感嘆の声が漏れた。
曇天ばかりの空に、ぽっかりと青空が覗いていたのだ。そこから漏れ落ちてきた光が、畑全体に降り注いでいる。
どうやら、畑周辺の上空だけ雲が払われているらしい。
にやりと笑みが漏れる。俺の好奇心が刺激された。
おそらく、テリタスの花とともに溢れた聖の魔力がきっかけだろうと思う。
ティエラは作物の育成に日射量が重要だと言っていた。
この様子なら、畑を広げていけば城周辺の天候は大きく改善されるはずだ。
俺は目の前に手をかざした。
指の隙間から、鮮やかな青が見える。
「……あの色を見たのは何百年ぶりだろうな」
そして腰に差した小袋からタネイモを取り出す。おぼろげな知識だが、この種類のイモは植えると再び芽を出し『実』をなすという。いや違う、『根』だったか? 実際にこのイモがどう増えていくのかよくわからないが……人間はよくコレが増えると見つけたものだ。
この畑が今よりずっと広がり、大勢の人間たちが収穫に汗を出す姿を想像する。
うむ。
悪くない。
その頃には、空もずっと青く澄み渡るだろう。
見てみたいと思った。
だからこそ。
あの不穏な夢――魔物の
もし、フィアの推測通りであれば、あの夢には聖剣の力もかかわっている。
聖剣ルルスエクサが警戒するならば、それは何か巨大な魔族の影を感じたためだろう。
加えて、ピドーインプの暴走。
単に魔物たちが集団発狂したわけじゃない。きっかけとなる核が存在するはずだ。
そいつを抑えれば、被害は抑えられるかもしれない。
それまでは、できる対策を取らなければ。
俺は大きく息を吸い込んだ。
魔力を四方へ放出する。
魔力は炎の帯となり、俺の眷属の炎竜となった。畑の外縁に数体、配置する。
根本対策にはならないが、暴走したピトーインプくらいなら問題なく退けられるだろう。
隣を見ると、馬がじっと炎竜を見つめている。改めて思うが、この牝馬、肝が据わっている。
ただごとではないと理解しているのか、馬は耳を忙しなく動かして気配を探ろうとしていた。
「ヴェルグさん!」
ふと声がする。
振り返ると、フィアに付きそわれてティエラが畑まで降りてきた。髪はすっかり元通りである。
彼女は俺のところまで小走りに駆け寄ると、不安そうに辺りを見渡しながら言った。
「何かあったんですか? お花畑の周りに炎竜ちゃんを配置するなんて」
「炎竜ちゃん……? いや、ちょっとな。大規模な魔物の襲撃の予兆を感じたのだ。気休め程度の対策だがな」
俺の言葉に、ティエラはサッと緊張感を表した。そんな彼女の肩を叩く。
「心配するな。今すぐどうこうというわけではない。それに、そんじょそこらの魔物など、邪紅竜ヴェルグの敵ではない」
「でも」
「もちろん、情報収集はする。城にこもっていても、今の我らでは根本的な対処はできないからな。それより、空を見てみろ」
無理矢理話題を変えるように、俺は指先を天に向けた。釣られて視線を上げたティエラが大きく目を見開く。
「雲が、晴れてる!」
「聖なる大地だったころの魔力が放出されたためだろう。ティエラ、お前言ってたよな。作物の育成には日射が必要だと」
「はい! それにしても本当に、綺麗な青空。紅の大地の空が、こんなにも澄んでいるなんて」
感激したようにしばらく空を見上げていたティエラ。隣のフィアも、口元に小さく笑みを浮かべながら「眩しいですね」と呟いた。
やがて、ティエラが興奮で顔を紅潮させて言う。
「すごい! すごいですよ! これなら畑を作るのも夢じゃないです! 岩の大地が、緑でいっぱいになるって、想像しただけも素敵――って、ヴェルグさん!? その手に握ってるものって、タネイモじゃないですか!?」
ティエラが俺の手に飛びついてくる。その首根っこを、さりげなくフィアが掴んで引き剥がした。
育て方がわからないんだ、と俺が言うと、ティエラはさらに目を輝かせた。
「お任せ下さい! 私が必ず、この畑をおいも天国にしてみせます!!」
「やる気満々だな。結構。それでこそ俺が見込んだ人材だ」
タネイモを手渡す。まるで同じ大きさの宝玉を手にしたように口元を綻ばせたティエラは「うおー、やるぞー!」と両手を天に突き上げた。そのらしくない興奮振りに、近くにいた馬が鬱陶しそうに嘶く。ティエラ、「すみません、ごめんなさい」と謝っていた。馬に。
フィアが俺の隣に来た。
「ティエラがやる気に漲っているのは喜ぶべき事です。ですが、本格的な栽培となるとまだまだ数が少ないのでは?」
「まあ、それはそうだが」
「どうです? 私が近くの人間の街へ行って、めぼしいものを奪ってきましょうか? ミラ・ファトゥースまで行けば選り取り見取りでしょう」
「だ、ダメですよお姉様!」
ティエラが慌てて止めに入る。俺は少し意外に思いながらフィアを見た。どちらかというと、こいつは人間から何かを奪うことに消極的な魔族だと見ていたからだ。
すると、フィアは怜悧な表情を崩さずに言う。
「ミラ・ファトゥースには、ティエラをさんざん追い詰めた連中がのうのうと暮らしているのでしょう? そんな連中から徴収するのは、ある意味当然では?」
なるほど。少し理解した。
本来は人間に寛容なフィアでも、『仲間』への理不尽は許容できないというわけか。
忠義に篤いこのサキュバスは、仲間意識も人一倍なのだ。
そういうことなら、頷ける。
「ああ、そうだな」
「な、納得しないで下さいよヴェルグさんまで!」
フィアの昔を知らないティエラが止めに入る。
酷い目に遭ってきたのは彼女自身なのに、寛容なことだ。
それとも――。
「なあ、ティエラ。お前、ミラ・ファトゥースに帰りたいとは思わないのか?」
つい、そう尋ねてしまった。
ヴェルグ様、とフィアに肘を小突かれる。確かに余計な一言だったと思う。ティエラは自ら臣下の礼を取ったのだ。故郷に帰りたいのかと問いかけること自体、彼女の忠誠心を疑うことになる。
「すまん。失言だった。許してくれ」
「いえ! そんな、謝られることじゃないですよ」
ティエラは手を振って応える。その笑みは、先ほどまでのやる気漲っていた表情と比べて、少し控えめだった。
それでも、彼女はきっぱりと言う。
「私は、ここにいますよ。ヴェルグさんやフィアお姉様の側に居たい、力になりたいと決めましたから。私が、自分の意志で」
「そうか。感謝する。ティエラ」
俺は頭を下げた。
そうしながら、俺は考える。
いつか、ティエラとともにミラ・ファトゥースを訪れてみよう。
いつか、彼女が通っていた学園に行って、無事な顔を見させてやろう。
そう俺は決めるのだった。