相変わらず子どもっぽく膨れるフィア。
俺はベッドの中でフィアの頭をゆっくりと撫でた。人間の保護者はこうやって子どもをあやすと聞いた。フィアの保護者だなんて言えばまた火球が飛んでくるだろうが、まああながち間違ってはいまい。
フィアも満更でもないのか、すぐに大人しくなった。それどころかどこか上機嫌そうにも見える。
「フィアよ」
「何でしょうか、ヴェルグ様」
「我が領地の再建計画。その前途について、お前はどう思う」
フィアが頬を膨らませる。俺は構わず話を続けた。
「ティエラが加入し、土壌と水の問題に大きな進展があった。人間とのコミュニケーションに関する学びという副産物もあった。良き滑り出しだと思っている」
「……そうですね。第一段階の『土壌改良』に希望が見えたと、私も考えます」
「だろう? だが、順調に進めば進むほど、新しい課題が見えてくる。非常に興味深い。俺はなフィア。今、とても楽しいのだ。そして感謝している。俺を倒そうと果敢に挑んできた無数の勇者たちに」
「勇者に感謝、ですか」
「そう、感謝だ。彼らと300年間にわたる戦いの日々……その中で見聞きした経験が生きている。役に立っていると実感している。料理など最たるものだ。いつぞやの聖女とのやり取りがなければ、俺はティエラを餓死させていたかもしれない」
だから、感謝。
「人間たちは、すごい。彼らを、再興した我が王国に迎え入れる日が来るのが、今から楽しみになった」
「ヴェルグ様がおっしゃるほど、人間は善良でも聞き分けがよい連中でもありません」
「もちろん知っている。アロガーン姉妹など顔を見るのもうんざりする。だが、そうでない連中もいる。いることがわかった。俺は、そうした人間たちに来てもらいたい。そのためなら、我が力――【貪欲鑑定】を存分に振るうとしよう」
「ヴェルグ様は本当に変わっていらっしゃる」
「自覚はある。だがフィアよ。邪紅竜ヴェルグがこのような男だからこそ、お前はついてきてくれたのだろう?」
胸元に寄り添うフィアの耳元を撫でた。
「だから、お前にも感謝している」
「~~~……っ!!」
「ん、どうした?」
「に、ニヤニヤしながらおっしゃらないでください! 底意地が悪くていらっしゃいます!」
照れるフィアが面白く、俺は笑った。こいつはすっかりと変わった。もはや誰も、クールで冷酷などと評価しないだろう。
天井を向いて、目を閉じる。
「さて、そろそろ眠る。明日からもまだまだやることがあるからな。これほど朝が楽しみなのは300年なかった」
「そう、ですね。私はどこまでもお供致します。ヴェルグ様、お休みなさいませ」
フィアの言葉に小さく頷く。
やがて、心地よい
次に目を開ければ、楽しい明日が待っているはずだ。
邪紅竜ヴェルグは夢をほとんど見ないのだ。
――そのはずだった。
(なんだ、これは)
俺は小さく呻いた。声は出せない。それどころか、身体の自由も利かない。
にもかかわらず、肌に感じる風の感覚は妙に現実的だった。
視界の先は紅の大地に広がる荒野。俺のすぐ側にはティエラが耕した畑が見える。城下だ。
ふと。
荒野に土煙が上がった。
まるで巨大な大河が砂と化して押し寄せてくるように、地平を埋め尽くしている。
近づいてくる。
俺は動けない。ただ見ているだけ。
やがて、土埃の正体がわかった。
数え切れないほどの魔物である。
大きさも種族もバラバラな魔物どもが、大挙して突進してくる。その中にはピドーインプの姿もある。
奴らに共通しているのは、その目。
皆、狂ったように血走っている。
ただ前へ。前へ。
触れるもの、立ち塞がるものを手当たり次第に破壊する。
そんなシンプルで、そして強烈な意志を感じる。
――
テリタスの花が、地響きに震える。
(やめろ)
俺は動けない。
ただ押し寄せる魔物どもを見ていることしかできない。
殺気、振動、風。はっきりと感じる。
(やめろ)
迫ってくる。
俺がいるのも構わず、突撃してくる。
興奮と狂気に身を焦がしたまま、畑に踏み込んでくる。蹂躙してくる。
領地再興計画の重要な第一歩、その象徴たるテリタスが、花弁が、散り、舞う――。
(やめろ!!)
俺は声にならない叫びを上げた。
――目を開ける。
「……夢、か」
窓の外は曇天。そこから薄らと光が漏れてくる。朝を迎えたのだ。
俺は手のひらで額を撫でる。わずかに汗の感触がした。
……まさか、久しぶりに見た夢の内容があんなものになるとは。
長く息を吐く。
すると、隣でもぞもぞと動く気配がした。
「ヴェルグ様」
目を覚ましたフィアが俺を見上げていた。上体を起こし、寝起きの乱れ髪を耳に掻き上げる。
そのままぐっと顔を近づけて、フィアは囁くように言った。
「おはようございます。良い朝ですね」
「おはよう。お前は幸せそうだな」
「ええ……それはもう。ヴェルグ様の
妖しげに微笑みながら、さらに顔を近づけてくるフィア。
その顔を、俺は手のひらでぐいと押し返した。
「サキュバスのお前の方が満足そうにしてどうするんだ」
「ヴェルグ様、ひどい」
フィアが頬を膨らませているのが手のひらに伝わってくる。俺はため息をついた。
すると、フィアも俺の異変に気付いたようだ。俺の手から逃れベッドの上で居住まいを正すと、眉間にわずか皺を寄せた。
「どうかなされたのですか? 昨晩はあれほど朝を楽しみにしていらっしゃったのに」
「いや。実は夢見が良くなくてな」
「夢? 珍しいこともあるものですね。確かヴェルグ様は、あまり夢をご覧にならないと伺っていましたが」
「ああ、その通りだ」
「……気になる内容だったのですか?」
フィアの口調に真剣さが宿る。
頼りになる右腕をちらり見上げて、俺は夢の内容を端的に伝えた。
「魔物の群れが紅竜城に襲いかかる夢を見た。
再びため息をつく。
するとフィアは顎に手を当て、考え事をしながら言った。
「もしかすると、それは予知夢なのかもしれません」