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第30話 紅竜城温泉


 その夜。


「ふむ。たまには湯浴みも悪くないな」


 ほこほこと身体から湯気が立つ心地よさに、俺は満足して頷いた。自室での寛ぎも、いつもよりリラックスできている実感がある。


 いつもは身体の汚れなど風魔法で吹き飛ばすか、あるいは炎で全身まるごと焼き尽くすかで手早く済ませていた俺。


 だが今日からはティエラがいる。


 匂いと汚れ――特に匂いの方――を気にしたティエラのため、フィアが湯浴みを提案した。俺は気にしなくていいと言ったのだが、なぜか強硬に拒否された上に怒られた。そういうものなのだろう。勉強になる。


【貪欲鑑定】とティエラの土属性魔法のおかげで、当面の水には困らずに済む。

 すぐに水を汲み上げるのが面倒だったので、露天に即席の風呂を作ることにした。


「え……? わ、私もここに入るんですか?」

「当たり前だろう。誰のために手間をかけると思っている」

「え? あの? えと。あ、ありがとう、ございま……ふぇぇ……!」


 一番風呂に入りたがっていたティエラが、顔を真っ赤にして躊躇っていた。これは何故なのか、いまだに謎だ。


 風呂作りにもティエラの力は大いに役立った。

 湯船がわりの窪地を形成、水が地中に染みこまないように硬化させる。いずれもティエラの土属性魔法だ。

 アロガーン姉妹を退け、フィアから裏切り防止の刻印(バフ付き)を施されてからというもの、ティエラの魔法のキレはますます鋭くなっている。


 水路を掘って水を引き込んだら、次は俺の出番。

 適当な魔法石に火の魔力を込め、赤熱したそれを湯船に投げ入れる。


「ヴェルグ様。あと2個入れてください。温度がちょうどよくなります」

「お前の鑑定能力は本当に便利だな」

「肌がちょうどよい按配あんばいに火照れば、それだけサキュバスの本懐も遂げやすくなりますので。温度測定は基本スキルです」

「ふぇぇぇ……え、えっちですお姉様!」


 準備が整ったら、いよいよ入浴だ。

 ほどよい湯加減と屋外の乾いた風が実に心地よい。聖なる力が込められた水であるせいか、魔力の回復も促進されていると感じた。


「うむ……悪くない。こうして人の姿で入浴するのも、たまにはよいものだな」

「そそ、そうですね。ヴェルグさん」


 俺から一番遠い場所に浸かって縮こまっているティエラが、小声で答える。俺は首を傾げた。


「もっと身体を伸ばしてリラックスすればよかろう。フィアを見習え。実に自由だ」

「む、ムリですよぅ!」

「そういうものか」


 他人の入浴法にあれこれ言うのは流儀ではない。俺は湯船の心地よさを感じることに集中した。


「ティエラ。何をしているのです。あなたは人間にしてはフワフワした良い身体をしているのですから、ヴェルグ様にもっとご奉仕しなさい」

「むむむ、ムリですってばぁ! きゃぁっ!? お姉様、タオル取らないで!! フィアお姉様は恥ずかしくないんですか!?」

「サキュバスですから。むしろこれからが本番」

「いやああぁぁ……」

「仲が良いのう」


 ティエラとフィアの嬌声を肴に湯を楽しむ俺。


 しばらくして静かになった。どうやらティエラが観念したらしい。

 すると、彼女がふと空を見上げて呟いた。


「星、見えませんね」

「紅の大地は常に曇天だからな。これでも以前よりはマシだ」

「雲がなかったら、きっと綺麗な星空が見えるんだろうなあ。街の灯りがまったくなくて、空を遮るものもなくて、空気も乾いてて」

「見たいか? 星空」

「え?」

「満天の星空とやら、お前が見たいというのなら、他の人間たちも見たいのだろう。なら、それも取り組むべき我が課題だ。我らは、紅の大地を比類なき国に再建するために立ち上がったのだから」


 口元を緩める俺。これは挑戦の笑みだ。


「300年、特に考えてもこなかった。だが、この雲の向こうにどんな景色が広がっているのか、俺も興味が湧いてきた。きっと――美しいのだろう」


 それから俺たち3人は、しばらく空を見つめ続けていたのだった。


 ――そうして、今に至る。


「あのあとティエラがのぼせたのだったな。風呂から上がるときにもごもごしていたが、何を言っていたのか。フッ……今日のあいつは体調を崩してばかりだな、まったく」


 苦笑する。まさか自分が人間に対して、これほど親しみをこめて呟く日がくるとは思ってもみなかった。


 さて、そろそろ寝るとしよう。


 天蓋付きのベッドに潜り込む。フィアに言わせればこのベッド、人間社会でかなり値の張る貴重品らしい。どうりで寝心地がよいわけだ。


 目を閉じてしばらく。

 自室の扉を何者かがそっと開けた。足音も立てず、滑り込んでくる。

 わずかな風の流れを感じると、とすんとベッドの上に降り立った。

 俺は目を開ける。


「こんばんは、ヴェルグ様。よい夜ですね」


 そこにいたのは、薄衣に身を包んだフィアだった。布地に魔力を込めているのか、ほのかに紫色に発光している。暗闇に慣れた目に、半裸から二歩ほど裸寄りな姿のフィアの肢体が浮かび上がる。

 彼女は俺の腹の上にまたがり、膝立ちになっていた。下から見上げる俺に見せつけるように、背筋を逸らしてその豊かな胸部を誇示した。


 ちろり、と赤い舌を自らの唇に這わせるフィア。声を喉で飼い殺しているような、密やかな笑声を出す。


「今宵は私がヴェルグ様を癒して差し上げます。さあ、私にお任せ下さいませ……」


 なるほど。これがサキュバスとして本気のフィアか。

 俺はじーっとフィアの目を見つめ返した。

 あまりにも表情を変えない俺に少しずつ焦ってきたのか、フィアの頬に冷や汗が浮かぶ。


「ヴェルグ様。一応お聞きしますが、私が何をしようとしているかご理解なさってます?」

「夜這いだな」

「ええそうなんですよ。正確なご理解痛み入ります」


 若干キレ気味に応えるフィア。

 俺はおもむろにシーツをめくった。


「ほら入るなら入れ。俺はもう寝る」

「私は猫ですか?」

「大して変わらん」

「むううううっ!」


 途端に頬を膨らませるフィア。

 しかし、俺に添い寝する誘惑には勝てなかったのか、大人しくするりと身を滑らせてきた。

 フィアが再び艶美な笑みを見せる。


「ヴェルグ様は猫がお好きですか? にゃー」

「こうしていると魔力補給がやりやすいな」

「……にゃーふー!」



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