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第66話 少年少女の真っ直ぐな言葉


「そう、かしら」


 一瞬、リエーレが表情を強ばらせた。すぐに笑顔をティエラに向ける。

 さすが、長い間表向きの顔を作り続けてきた女性だ。

 親しい身内相手にそこまでしなくてもいいだろうに、と俺は肩をすくめた。


 それにしても、ティエラは意外と人の表情をよく読み取るのだな。普段、俺たちと一緒にいるときは、あんなにも天然に見えるのに。


 ティエラはじっとリエーレの顔を見つめている。


「何というか……コンクルーシ魔法学園でお部屋にこもっていたときのお顔と似ています」

「ちょっ!?」


 途端にリエーレが慌て出した。ティエラの隣に駆け寄り、「それは言わないで」とこそこそ話しかけている。


 ほほう?


「なかなか面白そうな話だな。聞かせてくれ、ティエラ」

「ヴェルグ殿!?」

「あ、はい。実は――」

「ティエラ!?」


 ぽろりと打ち明けそうになったティエラを遮るリエーレ。今までで一番慌てており、彼女の素の表情にも見えた。


 俺はちらりとフィアに目配せをする。俺の右腕であるサキュバスは肩をすくめ、わざと目立つように翼を広げてシシルスや他の騎士たちに近づく。


 これでこちらから注意は逸れた。

 俺はリエーレに言った。


「おおかた予想はつく。ティエラと同じように人付き合いで躓き、外に出られなくなっていたのだろう」

「うっ……!」

「あれ? ヴェルグさん、もう知ってたんですか?」

「詳しくは知らん。だが、こいつが『素の表情』を隠して生きていることは知っている。そこから推測すればわかる」


 目を丸くするティエラに、俺は答える。【貪欲鑑定】でリエーレの二面性を暴いているので、推測もしやすい。


 顔を両手で覆うリエーレを横目に、俺はティエラに言った。


「とはいえ、これから同じ目的のもとで行動する間柄だ。リエーレが隠していることを俺は知る必要がある。それに俺は探究心の塊だからな」

「……ヴェルグ殿。今、あなたが邪紅竜なのだと強く実感しているのだが」

「さあ話せ、ティエラ」

「あ、はい」

「……ティエラ。あなた、信じた相手にどこまでも純粋なところはちっとも変わってないのね……」


 恨みがましく呟くリエーレにきょとんとした目を向けながら、ティエラは語った。


 リエーレはかつて、ティエラと同じようにコンクルーシ魔法学園に通っていたらしい。

 ティエラがリエーレを知ったのは、叔母であるサフィールのもとを尋ねたときのことだった。学園の講師をしていたサフィールに、故郷の特産物を差し入れに訪れたのだ。


 どうやら、家族や親族であれば、手続きすれば学園への訪問は可能らしい。

 そのとき、サフィールは「ちょっと癖のある生徒の面倒を見ていた」という。

 その生徒というのが、他ならぬリエーレだった。


 当時のリエーレは、今よりもずっと『あがり症』だったらしい。さらに、思い込みが激しく、必要以上に真面目だったという。

 だから、ずいぶん空回っていたようだ。


 学園内で変わり者と評判だったサフィールは、そんなリエーレに同情し、何かと世話を焼いていたという。

 ティエラたちの家族が訪ねてきたときも、リエーレの相手をしている最中だった。


「確かあのときは、寮の部屋に閉じこもっていたリエーレ様を、一緒にお食事に誘ったんですよね。覚えていますか、リエーレ様?」

「……ええ。よく覚えているわ。むしろ、忘れたくても忘れられないというか」

「え? 忘れたかったんですか……?」

「いや、そういうわけじゃなくて。私にとっては、若気の至りというか、克服すべき記憶というか」


 もごもごと、歯切れ悪くつぶやくリエーレ。


 なるほど。【貪欲鑑定】で見た二面性は、学生時代からだったのか。

 プレッシャーに負けて引きこもる癖は、そこから来ているのだな。

 俺はむしろ感心して、言った。


「そういう学生時代から、よくぞ今の地位を築けたものだ。よほど努力をしたのだろう」

「ま、まあ……な。サフィール先生には本当によくして頂いた。だから、コンクルーシ魔法学園へ慰問したときは先生と話したかったし、ティエラと再会するのも楽しみにしていたんだ」


 リエーレが頬をかきながら言う。はにかんでいるようだ。

 こういう素の表情を見せてくれるのも、ティエラがいるからだろう。

 俺の領地にいる限りは、こっちの素の方を見せてもらいたいものだ。俺は騎士のしがらみなど気にしない。


 すると、さっきから黙っていたブエルが話に加わってきた。


「ティエラちゃん。じゃあ今のリエーレ大隊長殿の方が、本来の姿だっていうのかい?」

「そうですね。一緒にご飯食べたときのお優しいリエーレ様です!」

「そっか。やっぱり」


 ブエルの呟きに、俺は眉を上げた。


「ブエルよ。やっぱり、とはどういうことだ」

「陛下……。あの、実は僕、大隊長殿が塞ぎ込んでいる姿をちらりと見たことがあるんです」


 リエーレが目を見開く。

 人気のない隊舎の裏側で、人知れず自分を責めているリエーレを見たらしい。

 当時、ブエルは騎士団に入隊してまだ数ヶ月の新人だった。立場が低かったため、声をかけるのをためらったという。そうしているうちに、リエーレは表情と態度をいつも通りに戻した。その切り替えの見事さに、ブエルは驚いたと語った。


「大隊長殿と再会したとき、そのときとよく似た雰囲気だったので……何かあったのではないかと」


 なるほど、だからさっきティエラと同様に怪訝そうな顔をしたのか。ブエルは。


 リエーレが「……まったく。私も脇が甘いな」と苦笑した。

 俺は「いいではないか。それで」と言った。リエーレが首を傾げる。


「少なくとも、ここにいる者たちの前では素を出しても問題ないということだ。無理に繕ってまた不調になるより、ずっといい」

「ヴェルグ殿」

「お前たちもそう思うだろ? ティエラ、ブエル」


 若者ふたりに話を振ると、ティエラたちは何度も頷いた。

 ふと、ティエラがリエーレの手を握った。真剣な表情で言う。


「リエーレ様。私たちと一緒に働きましょう。ヴェルグさんのもとで」

「ティエラ……」

「僕もティエラちゃんと同じ意見です。ヴェルグ陛下は他の魔族と違う。敵対すべきではないです」


 それに――とブエルは言い淀んだ。

 何を言おうとしたか、俺はわかった。代わりにリエーレに教えてやる。


「ブエルは重症を負っていた。魔物に襲われたのではない。お前たち騎士の誰かに斬られたのだ」

「なんだって!?」

「おそらくは――」


 リエーレの目を見る。それで彼女も、誰のことを指しているか悟ったらしい。唇を噛んで、視線を落とした。


 空気が重くなったことを気にしたのか、ティエラが「そうだ!」と手を叩いた。

 そして突然、胸元を見せた。

 すぐ隣にいたブエルは顔を真っ赤にして慌てた。


「テ、ティエラちゃん!? 何してるの、いきなり!」

「リエーレ様、リエーレ様! 見て下さいコレ!」

「ティエラちゃん、隣に僕がいること忘れないで!」


 喚く青年騎士を無視して、ティエラは自分の胸元を示す。

 そこには、フィアが施した「裏切り防止の刻印」が刻まれていた。


「これはフィアお姉様――あそこにいる魔族の方に付けてもらったんです。凄いんですよ。これがあれば、疲れも吹き飛ぶし魔力もすごく強くなったんです!」

「……ヴェルグ殿。この刻印はまさか」

「うむ。裏切り防止の刻印だな。フィアが気を利かせて疲労防止と魔力増強の効果も付与していた。まったく、我が右腕の魔族は心配性だ」


 俺が肩をすくめると、リエーレは目を丸くした。

 それから、「ふふっ」と笑みを漏らす。


「ティエラは本当に、ヴェルグ殿たちによくしてもらっているのだな」

「はい!」

「そうか。……私はダメだな。あれだけ努力したのに、また前に進むのをためらって、こんな有様だ」

「ダメでもいいじゃないですか!」


 ティエラが叫ぶ。


「私もダメダメだったから、わかります。リエーレ様、落ち込むことなんてないですよ!」


 するとブエルも隣で、顔を赤らめながらも頷いた。


「隊舎では気を抜けなくても、ここでは誰も何も言わないと思います。うまく言えませんが、その……もっと自然体でいていいのではないでしょうか? 自分は、大隊長殿にがっかりしたりしません」


 少年少女の真っ直ぐな視線と言葉を受けて、リエーレの表情から自嘲が消えた。

 リエーレはティエラとブエルを両腕で抱きしめ、感慨を込めて言った。


「大隊長としての私は、こんな真っ直ぐな気持ちから遠ざかっていたのかもしれないな。ありがとう、ふたりとも。そのことを思い出させてくれて」


 ここでなら私らしく、か――リエーレがそう呟いたことを、俺は聞き逃さなかった。



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