「頭を上げろ、リエーレ」
俺は言った。
「お前の心を救えるのは、お前自身だ。俺はティエラの件を通じて、人間とはそういうものだと学んだ。仮にも聖風騎士団の長ともあろう者が、そう簡単に頭を下げるものではないだろう」
「私は勇者でも何でもないのだがな」
「周りはそう思うまい。俺もそうだ」
するとリエーレの表情が少し陰った。自嘲めいた笑みを浮かべる彼女に、俺は言葉を重ねる。
「お前の次の課題は、その重圧を自然体で受け流せるようになることだな」
「難しい注文だ」
「だが不可能ではないだろう。お前の目つきも、最初に会った頃と比べてずいぶん良くなっている。そうやって変化できる人間は強いものだ」
「ヴェルグ殿……」
「そうでないと困るという話だ。この地を守るのが当面の俺の目的。そのためにはお前たちの力が必要だからな」
俺は口の端を引き上げた。応えるように、リエーレも小さく笑い声を出す。
「リエーレ隊長! シシルス様!」
ふと、女性騎士のひとりがリエーレたちを呼ぶ。彼女は興奮したようにまくしたてた。
「この川の水、すごいです。故郷の名水に負けないくらい美味しいだけでなく、飲むと体力も魔力もどんどん湧いてくるんです!」
「ほう。どれ」
リエーレが手で水をすくい、口に運ぶ。そして感じ入ったように目を細めた。
「これは……本当にすごい。ただの水とは思えない。何か特別な加護がかかっているのか?」
「おそらく、この地が聖域だった頃の名残だろう。地中に眠っていた聖なる魔力が、水とともにあふれ出ているのだ。そのことはすでに、俺が鑑定スキルで確かめている」
俺は説明する。
「土属性魔法を使えば、水源の確保や畑の耕作がはかどることが分かった。今後は水車小屋を建てたり、耕作地を広げて新しい作物を育てるのも良いと思う。これだけ土地が広いのだから、馬小屋だけでなく、いずれは住居も積極的に建てていくつもりだ」
将来像を語ると、リエーレや騎士たちは「ほー」と感心していた。
「まさか、紅の大地にこのような可能性が……」
「別に不思議ではあるまい。最初から荒れた土地に、聖剣など生まれないだろう」
「それは、確かに。ヴェルグ殿、聖剣は今もあの城にあるのか?」
「ああ。あの聖剣は手間がかかるうえに、わがままで甘えん坊だから困ったものだ」
「……んん? 聖剣がわがままで甘えん坊? それはどういう」
「そうだな。ちょうど良い機会だから、後で見せてやろう」
深く考えることなくそう言うと、途端にリエーレとシシルスが固まった。近くにいた女性騎士も口をぱくぱくさせている。
リエーレが緊張した面持ちで言う。
「聖剣を……この目で見られるのか?」
「別に構わんぞ。減るものじゃないからな」
「い、いやしかし。邪紅竜と言えば、聖剣を我々人間から守り続けていたのでは」
「お前らなら構わんだろう」
「そんなあっさりと……」
呆然とするリエーレ。だが、俺としては本心なので仕方ない。
先代魔王陛下であれば、共に歩もうとする人間と聖剣を分かち合うことに、否とは言わなかったはずだ。
「それより、お前たちはまず会っておくべき者がいるだろう」
俺はそう言いながら、顎をしゃくった。
リエーレとシシルスが、それにつられて城の方を見る。
そこに、サキュバスの翼を広げたフィアがいた。
両手にティエラとブエルを抱えている。俺が帰還したことを知り、ふたりを連れてフィアが飛んできたのだ。高位魔族の彼女なら、竜形態となった俺の魔力を感じ取ることは容易だっただろう。
だがフィアよ。お前、その運び方はどうなのだ。
小脇に抱えるならまだわかるが、ティエラとブエルの襟首を掴んでぶら下げてるだけじゃないか。
捨て
哀れな。ブエルは高所でぞんざいな扱いをされ、すっかり縮み上がっている。
ティエラは……なぜか笑顔で手を振っている。足をぶらぶらさせていても気にしていない。それだけフィアのことを信頼しているのだろう。……強い。
リエーレもこの図太さや天然さを見習った方がいい。
「ヴェルグさーん! リエーレ様ーっ!」
「ティエラ!」
お互いの声が聞こえるほど近づくと、リエーレが駆け寄った。彼女の前にフィアが降り立ち、ティエラとブエルを離す。
フィアはぎろりとリエーレを睨んだ。上位魔族の気迫にややたじろぐリエーレ。
まあ、フィアのあの態度も、完全な敵意というわけではないだろう。よそ者が大勢やってきたので、縄張りが侵されないか警戒しているのだ。……お前も猫みたいだな。
そんなフィアを尻目に、ティエラはリエーレに抱きついた。
「リエーレ様!」
「わっ。ティエラ、本当にティエラなのね。元気そうでよかったわ」
「はい! 私は元気です!」
満面の笑みで応えるティエラ。リエーレの表情もさらに緩んだ。口調も柔らかくなっている。
やはり昔からの知り合いは特別なのだろう。
……あ。フィアの表情が険しくなった。あれは少し敵意が入っている。子どもみたいな真似はよせと言ってるのに。
一方のブエルは、何度も地面の感触を確かめてから、その場で敬礼した。
「ブエル・ライダンです! 聖風騎士団に栄光あれ! 聖なる剣に正義の風を!」
緊張した様子で叫ぶ。おそらくあれが聖風騎士団の決まり文句なのだろう。
まあ、自分の所属していた部隊のトップが目の前にいるなら、緊張するのも当然か。
俺が腕を組んで苦笑していると、ブエルがハッとしたように振り返った。なぜか慌てて、『これは、その……』と狼狽えていたので、俺は『気にしてないから大丈夫だ』と答えておいた。
「ティエラもブエルも、本当にヴェルグ殿のところにいたのだな……。ブエル、よくぞ生きていた。副隊長から、お前は殉職したと聞いていた。まさかここで再会できるとは」
「はい。ご心配をおかけしました。陛下――こちらの邪紅竜ヴェルグ殿とその仲間の皆さんに助けられました」
「我々だけでなく、ブエルまで手を差し伸べていたとは。本当にあなたは物好きな魔族だ」
リエーレは言った。
彼女の表情を見たティエラとブエルが、怪訝そうな顔をする。
ティエラは言った。
「リエーレ様。何かあったのですか? 少し、様子が変わっているように見えます」