――さて。グレフとかいう奴が何を考えているのか知らんが、とりあえず俺は俺のできることをしようか。
「リエーレ。お前たちを我が紅竜城に招待したい。スタンピードを共に防ぐ同志として、いろいろ話しておきたいからな。構わないか?」
「……紅竜城を落とそうと進撃していた私たちが、まさか邪紅竜自ら城へ招待されるとはな」
「手間が省けてよいだろう」
「あなたが我々人間より遙かに大きな存在だということを、改めて実感したよ」
リエーレがやや呆れた口調でぼやく。俺はきょとんとした。
シシルスが前に出てくる。
「ヴェルグ殿。しばし時間をいただきたい。紅竜城までの移動計画を策定して――」
「その必要はない。俺が運ぼう」
「はい?」
珍しく間の抜けた声を出すシシルス。
俺は再び魔力を解放し、本来の姿へ変身した。呆気にとられる騎士たちの前で、胸を地面に付けて伏せた。
「さあ、乗るがいい」
「乗るがいい……って」
「心配するな。40人ちょっとの騎士と後ろの物資くらいなら楽に運べる。だが、俺の背に乗り込むまでは自分でやってくれ。この身体では力加減が難しいのでな」
「は、はぁ」
「シシルス。ここはヴェルグ殿の厚意に甘えよう。第二大隊、積み込み急げ」
リエーレが張りのある声で指示を出すと、騎士たちは弾かれたように行動を開始した。
俺は小さく笑ってリエーレに言う。
「調子が戻ってきたようだな」
「おかげさまで」
リエーレもわずかに微笑みを返してきた。
それから、騎士と物資の両方をすべて背に乗せた俺は、慎重に翼を動かした。魔力操作も絡めて、滑らかに上空へと飛び立つ。
「す、すげぇ……。俺たち、本当に空を飛んでる……」
「あの宿敵邪紅竜の背中に乗ってるなんて、今でも信じられない……」
背中の騎士たちが、大いに狼狽えているのがわかる。俺が首を巡らせて背中を見ると、騎士たちは必死に俺の背中や荷物へすがりついていた。
魔力の防壁で突風を防いでいるから、地上にいるのと同じような感覚でいられるはずだ。だが、やはり邪紅竜の背に乗っているという事実を、すぐには受け入れられないのだろう。
そんな中、リエーレだけは違った。
皆の先頭に立って、腕組みをしている。その表情は清々しかった。遙か彼方まで見通せる景色を楽しんでいるようにさえ、思える。
俺は言った。
「城に到着したら、お前たちの人手と資材を貸してほしい。我が領地の防御を強化する必要がある。もちろん、これは魔物やスタンピードへの対策のためだ。協力してもらえるか?」
「まるで対等な友人に対するような物言いだな……」
「それはそうだろう。助力を願ったのは俺の方だ」
「あなたのような魔族も存在したのだな。しかもそれが、魔王四天王のひとり、邪紅竜とは」
「今の魔王や魔王四天王が見たら、即座に制裁を決意するぞ。はっはっは」
「それは笑い事で済ませていいのか……?」
説得が上手くいって上機嫌な俺に、リエーレが毒気を抜かれた顔をする。シシルスや、他の騎士たちも同様だ。
だが、彼らに軽蔑されているわけではない。それだけでも、今は十分だ。
邪紅竜で待つ者たちの顔を想像し、俺は言った。
「ティエラやブエルにも言われたよ。とても邪紅竜のイメージじゃない、とな」
「ブエルだって!?」
リエーレとシシルスが声を上げる。
「ティエラだけではなく、ブエルもあなたのところにいるのか!?」
「そうだ。見つけたときはひどい怪我をしていたが、今はすっかり元気になっている。今では、我が領地にとって欠かせない存在だ。礼を言うぞ、リエーレ」
「私は何と応えればいいのだ……?」
途方に暮れて呟くリエーレ。俺は大声で笑った。
そうこうしているうちに、紅竜城が見えてきた。
俺は城を発つときに使ったテラスではなく、城下の畑付近に降り立つ。
リエーレたちに、俺のここまでの成果を見せてやろうと思ったためだ。
騎士たちが荷物一式を下ろし終わるまで待ってから、人間形態へと変身する。
「あそこに見えるのが、紅竜城……」
「そうだ。立派なものだろう?」
俺は胸を張る。
シシルスがぽつりと呟く。
「事前の作戦会議で聞いていた内容とは、ずいぶん印象が違います。もっと魔族の魔力に満ちた、陰鬱な城だと思っていました」
「ああ。それはおそらく、アレのせいだな」
そう言って、俺は空を指差す。「あれ?」と眉をひそめながらも、上を見上げるリエーレとシシルス。
そして、二人揃って驚愕に目を見開いた。
「紅の大地に、青空だって!?」
「しかも、この温かで清浄な光はいったい……!?」
「これが、本来の紅の大地の姿だ。ただし、今はまだ周辺のごく一部にしか広がっていない。この範囲をさらに広げていくことが、次の目標だ」
俺は視線を巡らせる。
畑の方では、先に降りていた騎士たちがざわめていた。
これまでの岩と砂ばかりの大地と異なり、肥沃に耕された土。
そこに生えた一面の花畑。
降り注ぐ陽光を受けて輝く水面。
そして、それらをやや離れたところから守る複数の炎竜たち。
まるで夢でも見ているかのようにぽかんとする騎士に、俺は言った。
「どうだ。なかなかのものだろう」
「え、ええ……」
「よかったら、あそこの小川の水を飲んでみるといい。お前たちの様子を見ると、これまで水分補給も十分にできなかったのだろう? 安心してくれ。人間が飲んでも問題ないことは、すでに確かめてある」
声をかけられた騎士たちは、互いに顔を見合わせる。ちらりと俺の方も見てくるので、俺はにっこり笑ってみせた。彼らが俺の笑顔にどう感じたかは知らない。
やがて、騎士たちは恐る恐る川縁に近づいた。
そして、ゆっくりと手で水をすくいとり、口に運ぶ。
「……うま」
「え、嘘。本当に美味しい」
「こ、これ顔つけても平気だよな。俺、喉渇いて死にそうだったんだ!」
驚いた顔をしたのも束の間、騎士たちはすごい勢いで水を飲み始めた。
水で腹を満たした彼らは、各々リラックスした姿を見せる。
これまでの連戦や予想外の出来事で、みんな緊張し続けていたのだろう。その緊張が解けたことで、騎士たちから冗談や笑い声が聞こえてきた。
「おい見ろよ。これ、温泉じゃないか? すげえ」
「あっちには馬小屋まであるぞ」
「うわあ。ここの土、ふかふかだわ。あたし、実家が農家だからこういうの見ると興奮しちゃうのよねえ」
「こらお前たち! 気を緩めすぎだ!」
見かねたシシルスが怒声を上げた。騎士たちは慌てて姿勢を正す。ただ、中には鎧の一部を脱いだ者もいて、様にならなかった。
俺はシシルスに言う。
「そう目くじらを立てるな。水を勧めたのはこの俺だ。少しは大目に見てやってくれ」
「我々は大量の魔物を討伐するためにここにいるのでは!?」
「今日、明日というわけではあるまい。俺にとっては、お前たちに英気を養ってもらう方が先だ」
「……討伐対象からそんな声をかけをされたら、どう答えてよいかわからなくなります。頭が痛い……」
ぼやきの言葉通り、額を押さえるシシルス。
一方、リエーレはひとり花畑に歩み寄っていた。逞しく根を張り花を咲かせるテリタスのひとつに、彼女はそっと手を添える。
「テリタスの花か。懐かしい。ヴェルグ殿、どうしてこの花をここに?」
「花を咲かせたのは俺じゃない。ティエラの力だ」
「そうか。あの子が……。そういえば、先生と同じ土属性が得意だったな。ティエラは」
そうか、と何度も呟くリエーレ。その表情は、ここまで見た中でもっとも穏やかだった。
「あの子は、本当はとても強い力を持っていた。出自のことで蔑まれて、すっかり萎縮してしまっていたから、ずっと心配だったんだ。コンクルーシ魔法学園に慰問に行くことが決まったとき、必ずティエラを励まそうと決めていた。でも、まさかあの子の才能を見抜き、ここまで伸ばしてくれたのが邪紅竜だったなんて、想像もしていなかったよ」
リエーレは立ち上がり、俺に向き直った。
そして、深く頭を下げた。
「ありがとう。ヴェルグ殿。私の心は、これでまたひとつ救われた」