「そんな格好でよく入れてもらえたわね」
マーゴットは挨拶するより先に苦言を呈した。
マイロは言い返す言葉もなくうつ向いたままどうもと挨拶をする。
マイロは彼女から立ち上がるようにと指示されると、金属探知機のようなものを全身に当てられた。
「悪いけど、ミラ様を守るためだから我慢してちょうだい」
ボディーチェックまでされてしまい、まるで犯罪者のような扱いをマイロは不愉快に思ったが、黙って従うしかできず、「帰宅時に返すから」と言われてスマートフォンまで取り上げられた。
(まったく信用されてないな俺)
もしかすると、食事というのは嘘で、行き過ぎた行動に対する戒めとして呼ばれたのかもしれない。
マイロからすると、そう考える方が自然だった。一国の姫が厚意で庶民と食事の席を設けるだなんて、やはり考え辛いからだ。
「こういう場所にはジャケットで来るものよ。持ってないわけ?」
マーゴットが厳しい口調でマイロを叱った。マイロは言い辛そうに口をもごもごと動かす。
「1着だけ持ってましたけど、ネズミに齧られてたんでこの前捨てました……そもそも着ないし……」
「ネズミ!? ……下水道にでも住んでるわけ? あぁもう……ちょっとこっち来て」
マイロがそのままマーゴットに連れていかれたのはスイートルームの一室である寝室だった。
マーゴットは壁沿いに置かれていた携帯用ハンガーラックをマイロの傍にまで移動させると不織布でできたカバーを外した。
そこには若者向けの紳士服がずらっと並んでいた。
「紳士服を準備させておいてよかった。あなた、だれと食事するのか分かってないわけじゃないでしょう? さっさと着替えてちょうだい」
一国の姫と食事をするのだからそれなりの格好をしろということだろう。
自分でもこの格好は不適切だという自覚があったし、何よりマーゴットのとがった目が怖かったので従おうと思った。
「でも俺、燕尾服とか着たことないんですけど大丈夫でしょうか……?」
マイロが不安そうに聞いたが、マーゴットからは「そんなの着るわけないだろ」とでも言いたげな鋭い視線が返ってきた。
(……天然なのかな)
(すごく睨まれた。怖)
マーゴットはハンガーラックからいくつかの服を選ぶと、マイロの体に当てて適当に選んだ。
黒のタートルネックに、柔らかい生地でできたチャコールグレーのジャケットとスラックスを選び、マイロは素直に袖を通す。
新品の革靴にも足を入れてみると、マイロの足のサイズにぴったりと合っていた。
服も靴もすべてマイロにぴったりと合うサイズだったので、彼は段々と不安な気持ちを覚え始めていた。
(な、なんでこんなにピッタリなんだろう)
標準体型とはいえ、靴のサイズまであうのは不可解だ。その完璧さにマイロは不安を覚え始めた。
(本当に威嚇されてるのか……?)
やはりこれはただの食事会ではなく、パパラッチとして度を越えてしまったマイロに対して、何らかのメッセージが込められているのだろう。
マイロの頭の中では、ギャング風の衣装に身を包んだマーゴットが、丁寧なメッセージとともに(存在しない)自分の妻子の写真を送ってくるシーンが浮かんでいた。
これもその一環だと思うと、恐怖で足が震えそうだった。
(お前のことなんて全部知ってるぞっていうアピールか? こ、こわい。俺、飯を食いに来ただけなのに)
(ミラ様が仰っていたサイズを参考に調査して準備させたけど問題なさそうね。どれだけ観察してるんだか)
マイロがとんでもない勘違いをしていることなど、マーゴットは知る由もない。
マイロたちがVIPルームの方へ戻ると、先ほど迄いなかったはずのブロンドの女性がそわそわしながら窓から景色を眺めていた。
その女性はマーゴットたちの入室に気が付くと、ゆっくりと振り返ってほほ笑んだ。
「マイロさん。こんにちは」
ミラはタイトなシルエットのワンピースを身に纏い、にこやかにマイロに微笑みかけた。
そのワンピースは総レースで織られ、オフホワイトの色合いが、彼女の純粋さと洗練された雰囲気を一層引き立てていた。
髪は大人っぽく結い上げられ、普段のストレートヘアは優雅に巻かれている。
今にも折れそうな細いヒールが、華奢な足を美しく飾り、女性らしさを際立たせていた。
マイロは一瞬、それが美しく着飾ったミラなのだと認識するのが遅れてしまった。
普段からさまざまなファッションで着飾った彼女を何度もカメラで捉えてきたはずなのに、今、目の前にいるミラの姿から目が離せなかった。
歩こうとしていた足が自然と止まり、息をするのを一瞬忘れてしまった。
カメラを覗き込んでいないのに、まるでフォーカスが勝手に彼女に合うような不思議な感覚が、マイロの脳裏を駆け巡っていた。
(びっくりした。姫さんか。どこの女優かと思った……)
マイロはぎこちなく挨拶をすると、ミラははにかんだような笑顔を浮かべて挨拶を返した。
その後、モーヴが引いた椅子に一切動じることなく、優雅に席に着いた。
マイロも言われるまま向かいの席に座ったが、ヒューゴのタイミングが掴めず、若干転びかけた。それを見たミラは、くすっと笑った。
「マイロさん。今日はお越しいただきありがとうございます。ここ、私のお気に入りの料理人が働いてらっしゃるの。お料理が絶品なんです」
真っ白で金の差し色が入ったテーブルクロスの上には、フルコースのためのセッティングが整えられている。
ミラが軽く目くばせを送るとすぐに前菜が運ばれてきたので、2人はそのまま食事を始めた。
室内にはミラ、ミラの背後にモーヴとマーゴット。マイロ、そしてマイロの背後にヒューゴだけが立っている。
マーゴットたちは立ったままで食事はしない。
そんな硬い空気の中で、マイロは緊張してしまい、なかなか言葉が出なかった。
(俺、全然話せてないのに、姫さんはすごく楽しそうにしているな)
会話はほとんどミラがリードしていた。
マイロは何度も言葉に詰まり、会話が途切れることも多かったが、ミラは決して促すことなく、常にほほ笑みを浮かべてマイロの目をしっかりと見つめていた。
(――レポートのお礼ってだけの、形式的な食事会だろうに)
マイロはふとミラの表情を不思議に思った。
まるで恋をする乙女のように、頬は薔薇色に染まり、まるで愛おしいものを見るようにうっとりとした瞳を向けている。
その理由をマイロはずっと考えていたが、時間が過ぎるのは早く、メインディッシュがサーブされる時が来た。
ミラとマイロの真ん中に置かれたのはグラタン皿のようなもので、これまで出てきた高級料理と比べると、少し見劣りがするような気がした。
しかし、ミラはその料理の到着を「待っていました」とでも言わんばかりに、嬉しそうにその皿を見つめる。
そして華奢な手でその皿を指を揃えて示すと、じゃーんと効果音を口にしながらほほ笑んだ。
「シェパーズパイです。特別に作っていただいたの」
シェパーズパイはマッシュポテトと羊肉で作られた伝統的なミートパイだ。
オーブンで焼かれた茶褐色の焦げ目が実に見栄えが良く、羊肉の脂の香りも食欲をそそる。
ミラは木製のサービススプーンで小皿に1人分を取り分けてマイロに渡した。
(あぁ。俺がこの前、好きって言ったからか)
何という細やかな配慮なのだろう。とマイロは少し感動する。
今までずっと食べたこともないような高級料理ばかりが提供されていたため、どこか懐かしさを感じる郷土料理に心がほっとしていた。
「俺も取り分けします」
初めて噛まずに言葉を発したマイロは、迷うことなくミラの分を取り分ける。
そして、出来立てのシェパーズパイをふうふうと息を吹きかけながら食べた。
だが、ミラはそのパイをとても美味しいと感じていたが、マイロは美味しいとも不味いとも言わず、ただ黙っていた。
「お口に合わなかったかしら……」
ミラは不安そうに訊ねる。マイロはその言葉にハッとして、慌てて取り繕うように笑った。
「あ、いや、美味いです。超美味い。美味すぎてびっくりしちゃって。すんません」
「……それなら良かったです!」
ミラはパッと華やかに笑った。
「好きな食べ物を間違えてしまったのかしらと思いました。デザートはチョコレートでお願いしたんですよ。楽しみにしていてくださいね」
「はは……あざっす」
マイロも気を使って笑った。
(そりゃ多少違うよな。家庭料理なんだし)
マイロは本音を隠すようにまた一口、もう一口とパイを食べる。
ミラはサプライズを成功させたことを喜んでいた。そして息を吹きかけながらパイを食べるマイロに対して、また恋する乙女のようにうっとりとしていた。
(さっきから見せるこの顔は何なんだろう)
料理に集中できないマイロは雑念が拭えない。
そして脳内に過度なドーパミンが噴出されると急に鮮明な考えが過った。
(そうだ! 俺の背後に立ってる男……)
マイロは急いで振り返る。
顔の濃いヒューゴが不思議そうな顔をした後「いかがされましたか」とマイロに気遣ったが、マイロはそれが一切耳に入らなかった。
(こいつ、姫さんが好きな男の従者じゃん!)
――そうだ。この男はずっと俺の後ろにいたじゃないか!
ミラが頬を赤らめているのも、他人の目線を気にするようにたまにぎこちなくなるのも、この男にどう思われているのか気にしていたからだ!
マイロはその様に推理した後、まるでインスピレーションがひらめいたかのように頭がすっきりしていた。
(なるほど、俺は灸をすえられるわけではなくて、日中堂々とデートするためのダミーか!)
違う。
(だから今日の姫さんこんなにかわいいのか……!)
違う。お前が好きなんだ。
いい加減に気付いてやれ。