ブランコはぐんぐんとスピードを上げ、周囲の景色が回転するように流れ始める。
「ほら、リズさん、景色見ないと」
だがミラはきゃーきゃー叫ぶばかりで景色を楽しむ余裕がない様だった。
必死に足をばたつかせるが空中ではどうにもならず、遠心力が体を押し流す感覚にミラは目をぎゅっと閉じた
「いやぁ! 無理無理無理! これ無理!!」
「大丈夫ですって! むしろ楽しい部分がこれからですから!」
マイロは笑いを堪えながら大声でミラに呼びかけた。だが、彼の言葉はミラに届いていないようだ。
ミラは目を瞑り続け、まるで神に祈るかのように安全バーを握りしめる。その姿はさながら嵐に揺れる小舟に乗る人のようだった。
「聞いてないわ! こんなに高くて回るだなんて聞いてないわ!」
「それがおもしろいんでしょ! うわ、これ写真撮りたかったー」
「こわいいいいいいいい!!」
容赦なく増していくスピードにミラは「きゃっー!」と悲鳴を上げ続ける。
そして恐怖が頂点に達した瞬間、つい反射的にマイロの腕にしがみついてしまった。
マイロもびっくりして肩を上げたが、ミラも自分自身の大胆な行動に驚いてさらに悲鳴を上げた。
「ご、ごめんなさい! わざとじゃないのよ! 勝手に手が……!」
慌てて離そうとするミラだったが、恐怖のせいで筋肉が固まり、手が腕から離れない。
「わざじゃないの、でも怖くて手が勝手に……! マイロ、助けて……! 助けてください! 死んじゃう!」
「大丈夫ですよ。怖いんなら掴んでてください」
あまりにもミラが怖がるものだから、マイロはだんだんと面白くなってきていた。
確かにこの回転ブランコは約50mほどの高さまで達するし、回転速度もなかなかのものだ。
とはいえこのアトラクションは子供でも両手を離して乗れるレベルで、命の危機を感じるほどの恐怖を味わうものではない。
だというのに20歳の女性が皴ができるほど目をぎゅっと瞑り、そんなに親しくもない男の腕に抱きつき、ぎゃあぎゃあ叫びながら震えているのだ。
知らなかったとはいえ異様におびえる彼女を可愛いと思いつつ、マイロはすでに血が止まりそうなくらいに力いっぱい掴まれている腕をそのまま貸してやった。
「ほら、リズさん、目開けてください」
風にかき消されないようにマイロはミラに大きな声で話しかけた。
ミラはブンブンと顔を振って拒絶する。
「無理ぃ……! マイロ怖くないの?」
「俺はこういうアトラクション嫌いじゃないんで……。ほら頑張って見てください、綺麗すよ!」
「綺麗……?」
マイロがミラの方を軽く叩きながら優しく声をかける。
ミラは体を震わせながらうっすらと瞼を開くと、目に映る景色に言葉を一瞬失った。
「わぁっ……」
濃紺の夜空と、落ちかけたオレンジシャーベット色の夕日が遠くの街の更に奥で交差し、空はピンクがかった紫色に染まっていた。
目線を少し下ろせば、光り輝く移動遊園地と街々の光がまるで天の川のように輝いている。
回転する体は地平線に沿って空を飛んでいるようだ。もし靴に特別な魔法がかかっているのなら、このまま歩いていけるかもしれない。
風は強くて冷たいし、遠心力と、落ちたらどうしようという恐怖心は消えないけれど、ミラは生まれて初めて見る美しい景色に目を奪われていた。
「す、すごいわ。すごくきれい……」
「ほら、リズさんの家見えますよ!」
「えぇ!? ど、どこ?」
「ほら!」
マイロが指さす方向を見るが、景色が回転していて何が何だかわからない。ミラは慌てて目を凝らす。
「ど、どこなの!? ちゃんと教えて!」
「ほら、あそこ! でっかい建物!」
ミラが頑張って目を凝らすと、遊園地、街、そしてその向こうにそびえ立つ自分の家――ミラの住む宮殿が見えた。
「……こんなふうに自分の家を見るの、初めてだわ」
ミラはそっと呟いた。
飛行機やホテルの最上階から夕陽を眺めたことは何度もあったが、今日この日の夕陽こそが人生で一番美しい景色だとミラは信じて疑わなかった。
その言葉には驚きや感動が込められている。ミラは一目ぼれをするように頬を赤らめて、感動で胸を震わせていた。
マイロは横目でそんな彼女の表情をちらりと見る。
見栄も立場も忘れて見入ってしまっているような顔は、まさに無防備な少女の顔だった。
大きなルビー色の目を丸くして、口は感動でぽかんと開いている。
(こうして見てみると、普通の女の子だな)
「私のお部屋の窓も見えた……!」
そしてミラは急にマイロの方に振り向いた。
元々2人が並ぶと、肩と肩が触れ合うほど狭いブランコだ。
マイロはミラの感動する顔を見ていたし、条件が揃うのは方程式を解くよりも簡単だった。
振り向いた瞬間、ミラとマイロの顔はもう少し首を伸ばせば触れ合ってしまうほどの距離にあった。
ミラは思わず息をのむ。
マイロの日焼けした肌やまつ毛が間近で見える。普段は前髪で隠れている目も今は風のおかげで全開だ。
彼の黒い瞳にはミラの顔が映りこんでおり、彼がミラを見つめていることがミラにもはっきり伝わっていた。
(マイロの顔、すごく近いわ)
ミラは自然と淡い期待をする。
もしマイロがこのまま首を伸ばしてキスをしてくれれば――、私はどうなってしまうんだろうと。
だがミラはすぐに正気を取り戻した。
「ごめんなさい!」
ミラは慌てて顔をのけ反ると、マイロは「え? いや別に」と特に感情のない声で反応する。
その後、2人はしばらく無言で回転ブランコに回され続けていた。ミラもバタ足をやめ、遠心力に身を任せてじっとしている。
(私だけあんないけない妄想して……はしたないわ! 駄目よミラ! マイロはこんなの別に何とも思ってないんだから)
ミラは自分に言い聞かせるとマイロに作り笑顔を浮かべた。マイロも返事をするように愛想笑いを浮かべる。
(あーびっくりした。キスされるのかと思った)
マイロもマイロで、高鳴った心臓を隠すようにそっぽを向いた。
「ほら、終わる前にもっと楽しんでくださいよ。こんな綺麗な景色、なかなか見られませんから」
「うん……でも、やっぱり少し怖い」
ミラはそう言いながらも、さっきほど怯えている様子ではない。
遠心力で揺れる自分の体を感じながら、少しずつ風景を楽しむ余裕が出てきていた。
*
やがてブランコから下りた2人はマーゴットたちと合流して傍のベンチで休んだ。
「初めてこんなに恐ろしい乗り物に乗ったわ、でもとっても楽しかったわ!」
「リズ、すごく怖がってたでしょ~」
「怖くないわよ! 全然怖くなかったもの!」
「リズ、あと1時間ほどしたら帰宅ですよ」
「えぇ、もうそんな時間なの……? じゃあまって、あれだけ、あれだけしたいわ」
マーゴットからの帰宅の催促にミラは慌てると、「ねえ、あれ出して」とモーヴに言った。
モーヴはミラの希望をすぐに察して「はいはい」と言ってカバンからある物を取り出すと『とっておきの作戦』をミラに渡した。
「マイロさん、私、マイロさんに教えてほしいことがあるんです」
「え? なんすか?」
「じゃーん! カメラです!」
ミラが取り出したのは一眼レフカメラだった。
「カメラですか? これ買ったんですか?」
「さ、最近カメラに興味があって……!」
「へぇ、リズさんがカメラねぇ……意外すね」
「えへへ……(マイロに近付きたいから買ったなんて流石に言えないわ)」
マイロは少し驚いた様子を見せながらも、カメラを覗き込む。
新品のピカピカの一眼レフだ。傷1つついておらず、ピンク色のストラップがぶら下がっていた。
(めっちゃ高いやつだなこれ。流石姫さん。良いやつを買ってもらってる)
マイロは誰に向けるわけでもなく深く頷いた。これを選んだ奴はセンスがあるなとも思っていた。
「でも、どうして俺に?」
「だって、マイロさんってプロでしょ? 他の誰よりも上手に教えてくれそうだもの」
「いや、プロっちゃプロですけど……俺、教えるのとか得意じゃないんで」
「お願いします!」
「えぇ……」
マイロは少し迷惑そうにしていたが、ミラはぐいぐいと迫っていた。ブランコで叫びまくったせいで緊張が一気にほぐれたのだ。
マイロとの距離が少し近づいた彼女はいつもよりも少しだけ積極的だった。
ミラは瞳をうるうるとうるませながら、マイロを上目遣いで見つめる。姉に教えてもらったテクニックである。
「そ、そんなに頼まれたら断れないじゃないですか……じゃあ、まず基本的な使い方からっすね。モードの切り替えとか、構図の基本とか……」
マイロは困ったように頭を掻きながらも、仕方がないというように溜息をついた。ミラも嬉しくて笑顔が隠しきれていない。
「ミラ?」
だが、突然ミラのことを本名で呼ぶ声が聞こえた。
ミラたちが驚いて振り向いた先には、ミラと歳の変わらない青年が、グリューワインを片手に訝し気な目線をこちらに向けており、マイロを鋭く睨んでいる。
(あれ、この人って)
それは、マイロがミラ専属のパパラッチになった際、最初に覚えたミラの関係者の1人だった。
アレックス・オスカー・アシュフォード。
ミラの幼馴染であり、高校生だったミラとプロムでペアに選ばれた、国内でも格式高い名門貴族の嫡男として生まれた男である。
そして世間一般からは、ミラの将来のパートナー候補の一人だとして噂されている人物でもあった。
「誰だよその男」
アレックスは、縄張りに入り込んだ獣を見るような目つきでマイロを睨みつけていた。