「あーいや、その」
やっちゃったな。
余計なこと言うなんて俺らしくない。
とマイロは自分を責めたが、同時に「まぁいいか」とすぐ開き直った。
「俺、あなたみたいな立派な身分ではないんで立派なことは言えないんすけどね。でも、リズさんが困ってるのに揶揄うのは、違うんじゃないかなーって思うんすよね」
堂々と話すマイロにミラは驚いたが、マイロが逃げ出さずに自分を庇ってくれたことに気が付いて、胸の奥がきゅんと痛くなった。
(マイロが私のことかばってくれた……?)
マイロの表情はいつも通り気だるげだったし、はつらつさもないけれど、ミラは彼の目の奥にはっきりとした意思が宿っているように見えた。
「……お、お前、お、おもしろいこと言うなぁ!?」
対照的にアレックスは何とか笑っていたが、こめかみにはぴくぴくと血管を浮かび上がらせて不穏な空気を漂わせていた。
マイロは「はぁ……どうも」と軽く肩をすくませるが、アレックスは冷静を装いつつも、顔はどんどん青ざめていっていく。
「す、す、好きなわけないだろ! こんな頭の悪い女!」
アレックスは真冬だというのに汗をダラダラ流しながらミラを指差す。
幼馴染の言動にミラは「え」と一瞬困惑していたが、アレックスがあまりにもパニックに陥っているため呆れて何も言わなかった。
「こ、こここ、これだから庶民は困るんだ! 俺とミラはただの幼馴染だっていうのに、こ、恋人だとか、婚約者候補とか、すぐ騒ぎ立てる!」
アレックスは先ほどスタッフに持って行かせたはずのグリューワインを飲むような仕草をした。
もちろんグラスはないので飲む仕草のみであるが、アレックスはそれにも気づいていないようだった。
「今時こんな頭お花畑の女面倒見てやれるのは俺くらいなもんだから……! ……そう、プロム!! プロムだって! 俺は誰だってよかったけどミラがぼっちなのは可哀想だから! お、幼馴染だからな! 仕方なく!」
顔色がルーレットの如く変わるアレックスを見ながら、マーゴットは約2年前のプロムのことについて思い出していた。
当時高校生で卒業間際だったミラは、伝統行事であるプロムのパートナーに悩んでいた。
通常であれば恋人やボーイフレンドから誘いを受けて、公的なパートナーとして楽しいひと時を過ごすのだが、ミラは姫という立場上、誰を選んでも顰蹙を買う可能性があった。
それに当時ミラを追っていたパパラッチはミラを良い風には書かなかったので、ミラは迷った末に様々な男達からの誘いを断りアレックスを選んだ。
『だってアレックスなら世間から何も言われなさそうなんだもの』
マーゴットは「アレックス様、あんなに分かりやすいのにお可哀想に」と同情した覚えがある。
アレックスは誰も聞いていないのにずっと言い訳をしていたが、そのうち疲れたように少しぐったりして、傍にあったベンチに座り込んだ。
「だから……勘違いするなよ庶民が……」
そしてぐったりとベンチの背にもたれて、最後の力を振り絞ってマイロを睨む。
翠色の目が真っ赤に充血しているのが怖くて、最初の貴族らしからぬ勢いはどこにいったのかと問いかけたかった。
(可哀想に。姫さんが好きなのはあの
しかし、必死なアピールの末に気付かれていないアレックスに、マイロは何だか可哀想に思えてきたので黙っておいた。
「あ、あの、マイロさん。アレックスが言ったことは気にしないでください……」
嵐が静まったタイミングでミラがマイロに話しかけた。
「アレックスったら昔からあんな感じなんです。気を悪くされていたらごめんなさい……」
「あ、いや別に大丈夫ですよ」
「悪い人じゃないんです。ただ少し困った人なだけなんです。プロムの事も気にしないでください……」
「はは……」
そりゃ、好きな女が知らない男とデートをしているのなら不愉快だろうとマイロも納得していた。
ミラは今日、ヒューゴの為(※マイロのみがそうだと信じている)に、いつも以上におしゃれをして気合を入れているし、身バレの危険を冒してまでデートスポットで遊んでいたのだ。
マイロだって男なので、好きな女性が他の男を追いかけていると知ったのなら相当なショックなことくらい分かる。
(姫さんも罪な女だ。アレックスくんとでっかい人、どっちを選ぶつもりなんだろう)
マイロは気まずそうな顔をしてマイロを見上げるミラを見ながら思った。
(思わせぶりはよくないと俺は思うな)
マイロにだけは言われたくない台詞である。
マイロがそんなことを思っているとは露知らず、ミラはバツの悪そうな顔をしていた。
「本当に、すみません……。せっかく楽しい時間だったのに……」
ミラはなんとかこの場の空気を元に戻そうと必死だった。
貴重なデートの残り時間がアレックスのせいでほとんど削られてしまったことも、焦りと無念さがミラを苦しませる。
ミラはちらりと時計を見て唇をかみしめた。残り時間はもうわずかしかない。
祈るようにマーゴットをちらりと見てみるが、マーゴットはそっと首を横に振った。元々無理を言って強行したデートなので、時間の延長はさせてもらえないだろう。
モーヴとヒューゴもミラが気の毒でどうにかしてやりたいと思っていたが、すでに何度か無理を押し通しているのだから難しいかもしれないと考えていた。
(どうしよう。このままじゃ特別な一日が台無しになっちゃう……)
ミラのルビー色の瞳に思わず涙がにじんだ。
アレックスの乱入でデートは台無しになってしまったし、それを挽回するような時間も残されていない。
大好きな人と最高の時間を過ごしたかっただけなのに、立場上これ以上わがままを言うことも許されない。
(もう……2人で会えるのは今日が最後かもしれない)
ミラの瞳が暗く陰った。
しかしすぐさまパシャッという音とともに辺り一面が真っ白に光った。
「え?」
ミラが顔をあげるとそこにはカメラを覗き込んでいるマイロの姿があった。カメラからそっと顔を離すとマイロは真剣な眼差しでカメラを操作する。そしてマイロは撮ったばかりの写真を画面に映すと、ミラにその写真を見せてやった。
「やっぱいいカメラですね。ほら、オートで適当に撮っただけなのにリズさんのまつ毛の生え際までばっちり見えますよ」
ミラが涙をこらえながら画面を覗き込むと、そこには自分の顔が映っていた。
ほんの少し涙で滲んだ瞳も、長いまつ毛も、細かい部分まで鮮明に写っている。
こんなにもはっきりと自分が撮られた写真を見るのは初めてかもしれない。
「リズさん。ほら、あの
そしてマイロはミラにカメラを渡した。ミラは細い指でそれを受け取ると、マイロに言われるままにヒューゴにカメラを向けた。
ヒューゴはノリノリでモデル役を引き受け、かっこつけるように眉を寄せると白い歯を見せる。隣にいたモーヴも「へにゃ~」と笑いながらピースをしたため、ミラはシャッターを切った。
次にマーゴットにカメラを向けてシャッターを切る。マーゴットはいつもの涼やかな顔ではあったが、ミラを見守るように暖かな眼差しだった。
「良い写真ですね」
マイロがミラと一緒に画像を確認しながら感想を呟く。
「……3人とも良い顔だわ」
ミラが小さく呟くとマイロはふっと笑った。
「俺、写真は嘘をつかないから好きなんです。その人の目に映ったものをそのまま表現できるから人間性が出るんですよね。……この3人の表情を撮れたのはリズさんが3人のことを大事に思ってるから、っすよ」
マイロは子供時代の母との思い出を思い浮かべながらミラに優しく話した。
――美しい写真が撮れるのはあんたの心が美しいからだよ。
母があの日言った言葉が数年越しにマイロの心を撫でたような気がしていた。
「それで、オートじゃ物足りなくなった時には、写真の勉強ってことでまた出かけましょ」
マイロはいつもの調子でそう言った。それはまるでさっきまでのことなんて何でもないような雰囲気だったから、憔悴しきっていたミラの心を落ち着かせていった。
ミラは彼の顔を見上げた。泣き出しそうだったさっきの顔とは打って変わって、宝石のように美しい瞳がマイロの言葉できらきらと輝いている。
「ま、また会ってくれるんですか?」
声は上ずったが、期待するような明るい声だった。
「約束ですからね。約束しましたからね」
「まぁ、ええ。そっすね」
マイロは気恥ずかしそうに視線を逸らしていたが否定はしなかった。
その言葉はまるで春のそよ風のようにミラの心を撫で、ミラを最高の笑顔へと導いた。
*
マイロはその後、マーゴットが手配したハイヤーで帰宅の途についた。
大通りは人が多かったためミラはマイロを見送ることは許されなかったが、ミラはずっと上の空のままで、自室に戻ってからもそのままだった。
「ねえモーヴ、私、またマイロと遊びに行っていいのよね?」
外行きのワンピースのまま窓の外を眺めるミラは、モーヴに夢見心地のまま問いかける。
モーヴはミラの私物を片付けながらにやーっと笑うと「そうですよ~」といつもの調子で肯定してやる。
ミラは窓台に腰かけてレースカーテンを体に巻き付けながら今日一日のことを振り返る。
手の中には今日の撮影で使用したカメラがあった。
(……私、今日のデートはきっと、人生で最高の日になると思ってたけど)
ミラはカメラを操作しながら今日撮った数枚の写真を見直していた。
決め顔のヒューゴに、その横でピースしながらいつも通りへらへらしているモーヴ。
「おばさんをそんなに撮らないでください」と言いながら恥ずかしそうに笑ってくれたマーゴットに、護衛らしくお揃いの真面目な顔で写った従者3人。
ベンチで項垂れていたのにカメラを向けた瞬間だけびしっと決め直したアレックス。
(約束がある方がもっと最高の気分だわ)
そして、わざとフラッシュを焚かず、気付かれないようにこっそりと撮ったマイロの後ろ姿。
(マフラーで髪の毛はねてる。かわいい)
写真の中のマイロを撫でながら、ミラは今朝交わしたマーゴットとの約束を思い出していた。
化粧も着替えも全て終えて、緊張しながら集合時間になるまでを待っていたミラにマーゴットはハーブティーを差し出した。
そして珍しくミラと目線を合わせるようにしゃがむと、マーゴットは母親のような眼差しで、ミラを説得するように優しく言ったのだ。
『いいですかプリンセス・ミラ。今日はガルシア様と楽しい思い出を作ることまでが、私たちが許せる範疇でございます。それ以上は……叶えてあげられません』
憂いのあるマーゴットの顔が物悲しくて、自分の事を思ってくれているマーゴットを困らせたくなくて、「もちろんよ」とミラは笑顔で返事をした。
けれど、この胸に根付いてしまった恋心をいったい誰が間引くことができようか。――ミラは胸の痛みを散らすように胸を押さえた後、月明かりに照らされながら、白く曇った窓ガラスをきゅっとぬぐう。
(マーゴットごめん。私、マイロがやっぱり好き)
輝く星空を眺めながら、マイロも同じ星を見ていてほしいと願った。
=====
今日のミラ様(非公開)
某ホテルにてランチを楽しまれたミラ様。
本日の装いはオフホワイトの総レースワンピース。
タイトなシルエットがその美しき御身を際立たせ、繊細なレースが気品を添える。足元の華奢なヒールは一層の洗練さを演出していた。柔らかく巻かれた髪が優雅に揺れ、麗しき魅力を際立たせている。
クリスマスマーケットへと移動されてからは、一転してよりカジュアルな装いに。ライトグレーのコートを主役にしたコーディネートは、寒空の下でも可憐な印象を放つ。
髪を下ろし、ベレー帽とマフラーでしっかりと防寒対策を施されたご様子。
強風が吹き荒れる回転ブランコに乗られても乱れることのない美しきヘアスタイルは、世の女性たちの憧れとなること間違いないだろう。
ワンピース 一点物 ブランド非公開
パンプス セルシオロシ 180,400-
コート 一点物 ブランド非公開
ベレー帽 一点物 ブランド非公開
マフラー パーパリー 103,400
ブーツ セルシオロシ 279,400
著 マイロ・ガルシア