マイロがいつも通り仕事の為に王宮に赴き、仕事の為にミラを撮り、仕事の為に会社に戻ろうとしていた所だった。
「よぉ庶民」
本社ビルの前に堂々と車を停めてマイロを待っていたのは、先日見事なツンデレっぷりを披露し色々自爆してしまったアレックス・オスカー・アシュフォードだった。
今日も寒空の下、1日中外で仕事だったマイロはすでに疲労困憊だったというのに、アレックスの顔を見た途端、面倒事を察して「うっわぁ」と嫌な声が出た。
「ちょっと顔貸せ。乗れよ」
アレックスの台詞と同時に、高級車の扉がそっと開いた。後頭部の奥にアレックスが座っていることもあって、マイロはそれを地の底へと続く裂け目のようだと思った。
「……いや、俺まだ仕事が残ってて」
マイロは遠慮がちに目を逸らすが、アレックスは「いいから乗れよ」と威圧して乗るよう仕向けられる。
貴族であるアレックスからの誘いを結局マイロは断り切ることができず、彼は渋々同車した。
*
無理やり乗せられたようなものなのに車内は無言で、かすかにエンジンの稼働音だけが聞こえる状態だった。
運転手は白髪の似合う初老の男性で、『じいや』と呼ぶのにふさわしい外見をしていた。だがじいやもマイロの方は一切見ず、粛々と運転をしている。
(気まずー……。そっちが誘ったんだから喋ってくれよ)
街はすでに陽が沈み、どんよりとした分厚い曇り空のせいで車内はいつもよりも薄暗かった。
マイロには今日中にやらないといけない溜まっている仕事が大量にあるというのに、アレックスは無言でスマホを触っている。
(人の都合も無視して何なんだよこいつ)
マイロはイラつきを露わにしながら深くため息をつくと、次々と変わりゆく景色を見ながらアレックスに聞いた。
「……それで、庶民に何の話があるんでしょうかぁ?」
心当たりはある。恐らくミラの件についてだろう。
もし『ミラとマイロが恋人同士であり、デートの類をしていた』という大きな誤解が生じているのであれば、マイロはさっさと誤解を解いて解放してもらいたかった。
マイロはあくまで仕事としてミラに接しているだけだし、一般人と王家の人間が恋仲になるなんて言うのは小説の中だけの話に決まっている。
マイロからの問いかけにアレックスは一度目線を寄せたが、すぐスマホに戻した。
「お前、酒飲める?」
「……はぁ?」
「行きつけのパブがあるからそこに向かってる」
答えになっていない返答に、マイロは思わず普段半分くらいしか開けていない目を見開いた。
「はぁ? 酒ですか? 2人で?」
突拍子もない提案にマイロは驚きの声を上げるが、アレックスはふーんと無関心なままスマホを触り続けていた。
「男で2人カフェなんてキモいだろ。外は寒いし」
「いやいやパブだってキモいでしょ」
「会員制だし貸し切りにしたから誰もいねーよ」
「会員制とかもっときついんですけど。というかそういう話じゃないし……!」
嫌々だったとはいえ車に乗ってしまったことを、マイロは早くも後悔し始めていた。
アレックスが関わる以上ろくな話ではないことは分かりきっていたのに、押し切られた自分が情けない。
こんなことになると分かっていれば、ラップトップごと帰宅して仕事をするべきだった。そう思うと自然とため息が漏れる。
だが、そんなマイロの態度を見たアレックスは、露骨に眉をひそめて、すぐ馬鹿にするように肩をすくめた。
「俺だってゴシップに飢えた野良犬どもに追われる立場なんだぞ。まさかとは思うが、紅茶にミルクを入れるタイミングすら知らんくせに、王室のニュースを語ってるんじゃないだろうな?」
心底呆れたような声に、マイロは「は?」と顔をしかめた。
アレックスは冷めた目でマイロを見つめると、嘲るように口の端を上げる。
「マイロ・ガルシア。出版社『メディア・インク』雑誌編集部所属。下世話なゴシップ誌のジャーナリストで、王位継承権13位の"ミラ・エリザベス・マーガレット王女”の専属ストーカー。……素晴らしい仕事ぶりだな?」
アレックスの嫌味たっぷりの言葉に、マイロはぐっと眉をひそめた。
「言っておきますけど、俺の職業ならミラ姫様達も全てご存じですよ。今さら何か?」
あえて軽く流すように言うが、アレックスはふんと鼻を鳴らしただけだった。
マイロは心底うんざりした顔で窓の外に目を向けた。車窓に映る自分の疲れた表情を見て、もう一度深いため息をついた。
「話があるなら車の中で済ませてください。俺、仕事が溜まってるんです。貴族様とは違って紅茶を啜る時間もミルクにこだわる時間も酒を飲むような時間ないもんで」
「人様の噂話で飯を食うと顔の面が厚くなるみたいだなぁ? ま、いいさ、車の中で話そうか」
そう言ってスマホをポケットにしまい、改めてマイロに視線を向ける。
「お前、ミラと付き合ってんの?」
突如として投げかけられた問いに、マイロは一瞬目を瞬かせたが、すぐに呆れたように眉を下げた。
「……そんなわけがないでしょう。俺はただの一般人です」
「あのミラが、ただの一般人と遊びに行くわけがないだろう」
アレックスは訝しげにマイロを見つめながら続けた。
「姉のジャネットならともかく、ミラは昔から奥手なんだ。男遊びをするとは思えない」
その言葉に、マイロはアレックスから視線を外した。
(そんなこと言われたって知らねーよ。俺だってこの前は何故一緒に出掛けることになったのか知りたいくらいだ)
マイロにとってもここ数日の出来事は不可思議な事の連続であった。
一国の姫と食事をして、外を出歩き、写真を教える約束をする。
そんなこと、今までの人生では起こるはずのなかった事ばかりで、アレックスのような疑いを掛けられるのも少しは理解できた。
しかしマイロも一方的に疑いを掛けられていたんじゃ納得がいかない。
「と、言われましても……、俺とあの方がそういう関係ではないのは事実です。俺はミラ様に特別な感情は抱いていません」
マイロはミラが自分を好いているだなんて1mmも考えたことがなかった。
大学でミラフレンズに囲まれていた間、ミラフレンズの誰かが「ミラってば~幼馴染君以外に男友達とかいないから心配し・て・た・の♡」とジャック、もといマイロに言ってきたが、マイロは「どうしてそんなことを俺に言うんだろう」と不思議に思っていたし、ホテルでの食事もヒューゴとのデートのカモフラージュに利用されただけだと信じていたマイロは、アレックスが自分をライバルだと本気で信じている自体冷笑に値するものだった。
「はぁ? お前それ本気で言ってんのか?」
しかし、アレックスは呆れたように声をあげると、冷たい翠の眼差しでマイロを睨んだ。
(あのミラの態度を見て何も感じてないのならこいつは相当なあほだぞ)
クリスマスマーケットの遊園地で遊んだ夜、カメラでマイロをこっそりと盗撮し、頬を赤らめて満足げにほほ笑んでいたミラの姿をアレックスは見たのだ。
ミラと何年も付き合いがあるアレックスでさえ、あんな女の顔をしたミラは見たことなかった。
アレックスは心の中で毒突くが、マイロは自信たっぷりに返事をする。
「俺はただのジャーナリストです。たまたま年齢が近いし、使い勝手が良かったから、利用されてるだけに決まってるでしょ」
「使い勝手って何のだよ」
「カメラの先生すよ。最近カメラに目覚めたそうだから教えてもらう人を探してたに決まってますよ。あと、ついでに本命を隠すためのカモフラージュにされてるっす。もう帰っていいでしょ」
「は? 本命って誰だよ」
「あのいつも一緒にいるでっかいお兄さんに決まってるでしょ」
マイロはあくまで真面目にかつ冷静に言ったが、アレックスの顔はどんどん険しくなっていく。
「それってヒューゴのことか? あのミラの側仕えの。……お前、自分で言ってて違和感ねぇの?」
「? 別にないですね」
即答するマイロに、アレックスは苛立たしげに髪をかき上げた。
(あほだ)