(マイロ・ガルシア。こいつは相当なあほかもしれん)
アレックスは髪をかき上げながらマイロの顔をまじまじと眺めた。
手入れされていない癖毛は最低でも1か月は散髪に行っていないことが分かる。
肌も冬の乾燥で荒れている様に見えた。恐らく普段からまともにお手入れをしないのだろう。
目には生気がなく、25歳という割には全体的にフレッシュさが足らない。座り方もだらしがなく、靴も汚れている。
それに、ミラがヒューゴの事が好きだと、このあほは言っている。
アレックスからするとそれもあり得ないことだった。そもそもミラの好みはどちらかと言うと線の細い美少年タイプで、ヒューゴのような顔の濃いゴリラではない。
(ミラはこんなヤツのどこがいいんだ)
「もう帰っていいですかね、俺」
「お前彼女いたことある?」
「失礼過ぎません?」
アレックスとミラが初めて出会ったのは――王宮が開催したパーティー会場でのことだ。
身分も高く、商魂もたくましいアレックスの父親は、跡継ぎであるアレックスを連れて真っ先に王へとあいさつに走った。
愚息が姫と同い年だと告げると王はミラを呼んだが、甘えん坊で人見知りのミラはナニーから離れようとせず、なかなかあいさつができなかった。
母親に怒られてやっと奥から出てきたのは、愛らしいドレス姿なのに涙目だったミラだった。その小動物のような姿にアレックスは一目ぼれをしたのだ。
それが3歳の時の話である。
それからアレックスは幾度となくミラにアプローチを続けた。
家の専用ヘリで南の島へ誘ってみたり、花が見ごろだと聞けば植物園を貸し切りにして見たり、苺が好きだと聞けば最高級苺を畑ごと贈ってみたりと、彼女の気を引きたくて必死だった。
そんなことを繰り返して早20年。
大人になったアレックスとミラの距離は縮まるどころか、突如現れた死んだ目をしているジャーナリストに邪魔されようとしているのだ。
アレックスにとって面白くない展開としか言いようがなかった。
「……もういいですか。降りますね、仕事が残ってるんで」
「! いや待て」
「もういいでしょ。あんたが気になってるのはミラ姫様と俺との関係なんだから。『何もない』が答えっす」
――いいものか。まだ聞き出すことはたくさんあるんだ。
と、アレックスは文句を言おうと思ったが、ちょうど車は赤信号で止まっていたからマイロはさっさと車の鍵を開けてしまった。
「おい! ちょっと待てよ」
「うち残業代出ないんす! 帰ります!」
アレックスも急いで車内からマイロを呼び止めたが、マイロはカバンを背負いながら中指でも立てそうな勢いでNOを突き立てた。
そして周りも見ずに扉を開けるとすぐ降りた。しかし、ちょうどその時車道を走っていたロードバイクが突然車から降りてきたマイロに驚いて、キキー!と急ブレーキを立てながら止まった。
「うわっ! ちょちょちょ、急に降りるなよ!」
ロードバイク乗りの男はマイロとの衝突を避けるために急ブレーキをかけたせいで、勢いを消されたロードバイクは一回転しそうなほどの衝撃を受けながらなんとか止まった。
「ちょっと! お兄さんここ車道ですよ! 降りるんならもっと注意していただかないと!」
冬だというのに薄手のサイクルウェアを着ていた男は、恐怖も覆すほどの声で怒鳴りつけた。
マイロも驚きで硬直し声も出なかったが、すぐ「す、すんません」と頭を下げる。
「……って、うん? あなたは……」
しかし、男にはマイロの声に聞き覚えがあった。
男は確かめるようにスポーツ用サングラスを外すと、掘りの深い眼でしっかりとマイロを捉えた。
「やっぱり、マイロさんじゃないですか! さっきぶりですね」
「! あなた姫さんの……」
ロードバイクにまたがっていたのは、ミラの従者の1人であるヒューゴであった。
彼はサングラスの下に隠された濃い顔を晒すと、爽やかにマイロに挨拶をする。
マイロとヒューゴは先ほどまでミラへのパパラッチで顔を合わせていたので、実に数時間ぶりの再会だった。マイロも驚きつつもヒューゴに挨拶をしようとする。
「…………えーっと、従者の、双子のお兄さんの……」
「ヒューゴです!」
「あ、ヒューゴさん。どうも」
名前を忘れていたマイロに嫌な顔もせずヒューゴは再び自己紹介をした。
ヒューゴはロードバイクに跨りながら話していたが、マイロが出てきた車の持ち主がアレックスだと知ると慌てて降りた。
「マイロさん、どうしてアレックス様とご一緒なのですか?」
「お前こそ何でチャリに乗ってるんだ」
アレックスは車から下車しながらヒューゴに問いかける。なのでヒューゴもロードバイクをひょいと担ぎ上げるとそのままガードパイプを跨り、歩道へと移動した。
マイロとアレックスも同じように歩道に入るとアレックスのじいやはそのまま車を出発させる。3人は車を目で見送りつつそのまま立ち話を始めた。
「退勤中です! 俺は今日もう仕事終わりですからこれからジムです!」
ミラの従者兼SPでもあるヒューゴは日ごろの鍛錬を欠かすことはしない。
ヒューゴは元来恵まれた体格もあり、格闘技の強化選手として注目されていたほどの男だ。
マイロは「双子の妹があれだけ手練れなのだからこの人も強いんだろうな」と若干恐怖を抱くが、ヒューゴは話を続ける。
「……と、ところで何故お二人だけでいらっしゃるのですか?」
ヒューゴは好奇心を隠しきれない顔でマイロとアレックスを交互に見る。
普通なら交わるはずのない関係の2人が同じ車から降りてきた。それだけでも充分すぎるほどのスクープだというのに、相手はあのマイロとアレックスなのだ。
(恋敵同士で何があったのか気になる……!)
今日はジムで鍛錬に励む予定だったが、この2人の間に何があったのかを知り、特にマイロについて有力な情報をつかめればきっとミラは喜ぶだろう。
恋バナ大好きヒューゴは全部聞き出すまで絶対に2人を逃さないと心に決めた。
一方でマイロもジャーナリスト心がうずうずと刺激されていた。
(姫さんの本命ヒューゴさんと、姫さんLOVERのアレックスが同時にいる、だと……!?)
ミラ姫の本命である従者ヒューゴ(※マイロだけがそう信じている)と、ミラの婚約者候補であるアレックスが一堂に会する機会なんてめったにないはずだ。
もしこの現場で何か尻尾をつかめれば昇格に繋がり、ゆくゆくは風景写真家の夢を叶える手掛かりになるはずだ。
マイロも何かを掴むまで絶対にこの場から離れないと決めた。
さらにアレックスもこの出会いに宿命的なものを感じていた。
(ミラが好きかもしれない男が2人同時にいる……!?)
マイロとの話は決着がついていない。それに、マイロが言っていた「本命はヒューゴ」という言葉も、あまり信ぴょう性はないが正直気にはなる。
この2人をなんとか懐柔できればミラは俺を見直して惚れ直すかもしれない。そう思うとこのまま諦めてしまうのは商売人として顔向けできないほどの不利益だと感じた。
「ヒューゴ、マイロ、お前ら酒好きだったよな!?」
「好きです!! あと俺、明日休みです!」
「俺も急に喉が渇きました!」
結局3人はそのままパブに向かうことになった。