店の入り口には看板がなく、一見するととてもパブが入っているとは思えなかったが、アレックスが扉の前につくと同時に店主が出てきてアレックスを出迎えた。
高級スーツとジャージとサイクルウェアという謎の組み合わせにも店主は全く動じず、そのままさらに奥の個室に案内された3人は、各々好きな酒を頼んで一息ついた。
(会員制のパブとか生まれて初めて入ったな~。こんな感じなんだ)
ビールの泡を舐めながら、マイロは生まれて初めて入った会員制パブの内装をまじまじと眺めていた。
何時間でも座れそうな柔らかいソファと、100インチを超えそうな巨大なTVモニターがある以外は普通のパブと変わらない。
マイロはまたビールを一口飲むと、アレックスの頼んだフィッシュアンドチップスを勝手に食べた。
ちょうどいい塩加減で美味だったので、勝手に小皿に取り分けて自分の分を確保しておいた。
「……そんなにうまいなら俺が直々に追加注文してやろうか?」
「えぇ、お願いしますー」
アレックスの嫌味に負けずにマイロは魚のフライにタルタルソースをかける。アレックスはごほんと咳払いをすると、ネクタイを緩めながら気だるげな声を出す。
アレックスが言葉を切ると、マイロはビールを飲む手を止めた。同席者であるヒューゴも特別に作ってもらったプロテインドリンクを揺らしながら息を呑む。
「……ところで、ミ……ミラは最近どうなんだ?」
まるで娘との関係が上手くいっていない父親のような話の切り出し方に、マイロは思わず飲みかけていたビールを吹き出しそうになった。
「どう、とは何でしょう?」
「い、色々だよ。色々」
アレックスの曖昧な言い方にマイロもヒューゴも動きを止めたが、ヒューゴはそのままにこりと微笑んだ。
「ミラ様は最近新しい趣味を始められてとても楽しそうですよ」
ヒューゴはソーセージを齧りながら質問に答える。
アレックスは恐る恐るまた口を開いた。
「新しい趣味って言うのは、……カメラか?」
「はい。隙間時間を見つけては、王宮内や庭で撮影をしておられます。俺も撮っていただきました、ほら」
ヒューゴはにこにこ微笑みながらスマホを差し出すと、ミラが撮ったという写真を見せた。
それはヒューゴの濃い顔面が前面に出された渾身のキメ顔であり、ヒューゴは「SNSのアイコンにしようと思って」と嬉しそうに教えてくれていた。
アレックスは特にそれ以上も以下も感想はなく、同時に「はぁー」と失望するようなため息をついた。
「……やっぱりそれってこいつの影響なのか?」
「は?」
「カメラの先生なんだろ。こいつ」
マイロは写真を見ながらローストした肉にじゃがいもを挟んでいる最中だったので少し間抜けな声が出た。
「ミラはなぁ、元々、洋服とか、化粧品とか、そういう女の子っぽいものが好きなんだよ」
アレックスはそう言い放つと酒を一気に飲み干し、グラスを叩きつけるようにテーブルに置いた。
そして少し赤くなった翠眼でマイロを睨むと、さらにネクタイを緩ませながら喧嘩を売るように口を歪ませる。
「あいつがカメラなんかに目覚めるなんて不自然だ。絶対にこいつが唆したに決まってる。女は男に影響されるっていうだろ、絶対それだ」
そして決めつけるようにマイロに指を指したので、謂れ無い言葉にマイロも少しカチンときた。
カメラという趣味を低俗なものだと決めつけられたような気がしたし、何よりその言葉はミラ自身の選択を否定しているように思えて、マイロにとっては不愉快だった。
「影響を与えた? 俺が?」
マイロは少し驚いた表情を見せると、冷ややかに笑みを浮かべて言った。
「さっきから何を勘違いしているのか全く理解できないっすね。それに、どうして俺が巻き込まれる必要があるのかもさっぱりです。――分かりましたよ。あんたがそう思いたいなら一旦それでいいですよ。庶民ですからね、従いましょうアレックス様」
一呼吸置いて、マイロはさらに一歩踏み込んだ。
「でも、それならミラ姫はあんたからは何も影響を受けてないんだろ? ……だったら黙っとけよ、そういうことを言える立場にも立ててないだろ。ただの親の七光りが」
「……はぁ?」
マイロの言葉にアレックスの目は一瞬で血走った。
アレックスは酒の入ったグラスを音を立てて置き苛立ちを露わにする。
そして大袈裟に足を組むとまるで見下すようにのけ反りながらマイロに怒鳴るように言った。
「君こそ、どんな立場にいるのかというのを考えるということをできないらしい。庶民は眼鏡を得ることもできないのか? 相手が誰なのか見えていないのか」
マイロも負けじと鼻で笑う。
「目は悪かったとして金をかけたところで改善されるもんじゃないってことが、今、目の前で立証されました」
「はぁ!?」
「あぁ!?」
「まぁまぁお二人とも。お酒が不味くなりますよ」
「「お前が飲んでるのはプロテインだろ!」」
嗜めようとしたヒューゴに2人の声が重なった。
しかし、男2人に同時に怒鳴られようとも少しも怯むことないヒューゴはサイクルウェアの袖をまくる。
「ほらほら。今日集まったのはミラ様の件ですよね? 俺も、実はずっと気になっていたんです。――お二人がこれからどうされるのか」
そして濃い眉毛をぐいっと動かし「さぁ腹を割って話そう」と言わんばかりに前のめりになってにやりと笑った。
「アレックス様は、まぁ隠すまでもなくミラ様の事お好きですよね?」
アレックスは顔を一瞬で真っ赤にしながら否定する。
「す、好きとは言ってないだろ! あいつはあくまで幼馴染ってだけだ。向こうから頼むんなら結婚してやってもいいけど……!」
ヒューゴは優しく笑っていながら軽くあしらうと、「では」とマイロの方に向き直した。
「じゃあ、マイロさんはぶっちゃけミラ様のことどう思ってるんですか?」
ヒューゴはちょうど運ばれてきた新しいビールを、ゆっくりとマイロに差し出しながら言った。