マイロはその完璧なサポートに一瞬怯みつつも、新しいビールを一口飲む。
「……仕事相手です」
そして少し重い声で、淡々と答えた。
しかし、2人からの目線がマイロの腹に突き刺さっている様な気がして落ち着かない。
これ以上何を弁明する必要があるんだと思いながらも、口が勝手に動き出していた。
「言っときますけどね、俺は上司の命令でミラさんの担当をしているだけであって、特別な思いとか何もないんです。まじで変な推測されんの迷惑なんです」
マイロは実に迷惑そうな言い方だった。
「大体、俺、恋とかしてる場合じゃないし」
想定外のマイロの言葉に、アレックスもヒューゴも目を丸くする。
「恥ずかしい話ですけど、俺、金無いんすよね。大学も奨学金で通ってたから返済地獄真っただ中だし」
マイロは自身の生い立ちを恥じるように声が少しずつ尻つぼみになっていった。
そしてビールを一口飲んでコースターに置きなおすと、自身の人生はつまらないと愚痴るようにふーっと深い息を吐く。
「仕事の休みも不定期だし、姫さんのパパラッチなんて人として誇れるような仕事じゃないし、給料も多いわけじゃないしで、女の子と付き合うなんて考えられないっす」
「えぇ? そうですか? マイロさん真面目だし、顔立ちもすっきりされてますからモテそうですけど」
「んなことないですよ。俺、所謂Billy No Matesなんで」
マイロは自分自身を嘲笑しながら否定したが、それでもヒューゴは想定内だと言わんばかりにふふっと不敵に笑った。
「私は今、これをプライベートな時間だと思っているので、遠慮なしに聞くのですが……」
ヒューゴは両手で長方形、カメラの形を作ると、カシャカシャカシャ!と写真を撮る真似をする。不思議そうな顔をするマイロに、今度は少し意地悪っぽくにやぁっと笑った。
「なぜ、写真をまた撮りに行く約束をしたんですか?」
「……はい?」
マイロはまるで想定していなかった、とでもいうような顔をした。ヒューゴはカメラの手の形を解くと、そのまま肩をすくめながら説明をする。
「俺は、少し贔屓するような気持ちでもない限り、『一緒に撮りに行こう』なんて、社交辞令でも言わないと思うんですよね。だって、仕事相手ならそこまで気にかけてやる意味はないはずですから」
ヒューゴは腕を組み、満足げに頷いた。
彼の目はマイロを試すように光り、言葉の端々から真意を探ろうとしていた。恋愛リアリティーショーを何作も見てきたヒューゴにとって、人の感情を暴くのは朝飯前だ。
確かにミラは王族であり、彼女を追いかけることがキャリアのためになるのは理屈としては理解できる。
けれど、わざわざ「一緒に撮りに行こう」とまで言う必要があるだろうか。王族に気に入られることはメリットだけじゃないことは子どもにだってわかるはずだ。
しかし、マイロはそれに乗る気はなさそうだった。
「……それは、考えすぎですよ」
マイロは目を伏せるように顔を背けた。
「気を悪くしないでほしいんですけど、ミラ様を追っかけてるのはキャリアの為です。彼女の記事を書いて一山当てることができれば、俺はやりたい仕事に一歩近づける気がするんです。それがもし恋愛絡みのスキャンダルだろうが、俺は書きます。だってそれが俺の仕事だし、俺は自分の夢を叶えたいから」
ヒューゴは、その答えを聞くと少しの間黙っていた。まるでマイロの言葉の意味を十分に味わうかのような沈黙だった。
マイロの筋は通っていた。
彼はあくまで夢の為に働いていて、相手が王女だろうとスクープを撮ることが目的であること。
また、仕事やプライベートでいっぱいいっぱいで、誰かを気にかける余裕なんてないことも。
「なるほど。夢の為にね」
ヒューゴは口角をくいっと上げる。
「俺も一応聞いときたいことがあるんだけど……」
緊張した面持ちで、割って入るようにアレックスがヒューゴに言った。
ヒューゴも「はい? 何でしょう」とアレックスに向かい合う。
「こいつが言うには、ミラが
ヒューゴは思わず吹き出していた。
マイロは「おい」と注意するように声をあげたが、ヒューゴは部屋中が揺れそうなほどの大笑いをしながら「ないない!」と腕をブンブン振った。
「ミラ様が俺を!? がはは、ないない。本当にそれだけはあり得ないですよ! 俺はあくまで従者でSPで側仕えであり、よくて唯一の男友達ですね!」
ヒューゴはズバッと否定する。
そしてひとりでに納得していた。
マイロがクリスマスマーケットで、やけにミラとヒューゴを2人きりにさせたがっていた理由が、ヒューゴにはやっと理解できた。
彼は側仕えで唯一の男性である俺を恋仲だと勘違いしていたから、気を遣ってくれていたということが。
なぜそのような勘違いが生じたのかはこの時点では分からなかったけれど、ヒューゴはマイロに有難迷惑だという暖かな目線を送った。
一方でマイロは自分が建てていた仮説ががらがらと音を立てて崩れていったことに放心するような顔をしており、ヒューゴはそれもおもしろがった。
ヒューゴは放心したままのマイロをちらりと見る。
そしてマイロと目を合わせると、意味ありげな笑みを浮かべた。それがより一層マイロをたじろがせる。
(お、俺の方見んなよ)
空になれば新しいビールが来ていたせいで、マイロはだんだんと酒が回ってきて、体が汗ばみ、顔も赤くなってきた。
それでも、何とか否定しておかないと今後のキャリアどころか人生が無茶苦茶になるような危機感を覚えた。
もしミラが自分の事を好きだったとしても、『その思いを断る自由があるのだろうか』という漠然とした不安もあったし、――。
(……あのくそ野郎の顔思い出した。気分悪い)
自分が、誰かを幸せにできるイメージも湧き辛かった。
「――盛り上がってるところ悪いんですけど、ミラ様が……俺の事好きっていうのは間違いです。…………勘弁してください。俺、そういうの考えるの苦手なんです」
マイロは弱々しく呟いたので、ヒューゴは少し負い目を感じた。
ミラをパパラッチしている時のマイロはいつも生命力に欠けていて、いつも何となくだるそうにしている。
ヒューゴはそれを彼の生まれ持っての性格だと思っていたが、以前調べている彼の生い立ちを考えると、今の彼の弱った態度は、彼の心の傷が起因しているのではないかと推測した。
「……そうですか、いえ、失礼しました」
ミラのためとはいえ、1人の青年を責めすぎてしまった。とヒューゴは自責した。
誰だって心の柔らかくて脆い場所を不用意に触られたくないに決まっているのだ。
今日はもう、マイロのビールがなくなったらお開きにしてしまう方がいいだろうとヒューゴは思う。
しかし、そんなマイロの態度に納得のいかない男がいた。
「だけどお前、これだけは理解しておけよ」
マイロの弱った心臓に噛みつくようにアレックスが唸った。
「ミラは姫なんだ。恋愛するにしろ結婚するにしろ、お前みたいな一般人は絶対に選ばせてもらえない。もし恋人になってみろ、傷つくのはミラだぞ」
「……いやだから俺は」
マイロは言葉を継ごうとしたが、アレックスの目が冷たく光り遮った。
「お前から身を引け。本気になったミラが傷つくことは、俺は許さない」
マイロは、アレックスがまた子供みたいにぎゃあぎゃあと騒いでツンデレ劇場でも見せてくれるのだと考えていた。
しかしアレックスは泰然としており、物静かで、まるで格下の相手に冷静に言い聞かすような態度で、貴族たる態度を貫いている。
「ミラは王妃の寵愛を受ける立場だ。ヒューゴたちだってどれだけミラの事を大事に想っているのかお前だってよく理解しているだろ」
アレックスの言葉に込められた意志の強さは、マイロの胸を鋭く抉る。
「お前みたいなパパラッチは、絶対に王室に受け入れてもらえない」
恋をするな、と釘を刺されるのはかえって好都合のはずなのに、喉が詰まって何も言えない自分に何故か焦りを感じていた。
反論したくても、受け入れて承諾しようにも、マイロは何も言えなかった。まるで焼けた鉛でも飲んだかのように胸の奥が鈍く痛むようで苦しいとさえ思った。
*
「うわ、雨かよ」
マイロがパブの外に出たとき、外は雨が降っていた。
ザーッと途切れることなく振って来る雨はコンクリートを鏡のように濡らし、ハイビームで走る車のライトで白く光っていた。
「仕事残ってるし、傘もないのに……うわっスマホ充電ない。タクシーも呼べねーじゃん。あいつの金で送ってもらえばよかった」
マイロは帽子を目深にかぶり、少しでも雨を避けながら職場に戻ろうと思った。
けれども容赦なく降り注ぐ雨がマイロのまつ毛を濡らしていく。
雨が目に染みるので走る事も出来ないから、マイロは適当な店のテントの下に入ると少しだけ雨宿りをした。
――お前みたいなパパラッチは、絶対に王室に受け入れてもらえない。
アレックスの台詞が頭を何度も廻っていた。
マイロにとって好都合な台詞のはずなのに、心のもやもやが晴れてくれない。
(――何で俺はちょっと嫌な気持ちになってんだ)
マイロは自分の心が揺らぐ意味が分からなくて顔をしかめた。
雨でびしょ濡れになった髪をかき上げて、帽子をかぶり直す。少し温くなった雨水がマイロの顎を伝って何粒も落ちていった。
『なぜ、写真をまた撮りに行く約束をしたんですか?』
ヒューゴの肌の真下を探るような問いかけが耳に残る。
なぜ、写真を撮りに行こうと約束をしたのか。と聞かれてもマイロには答えが出せなった。
あれは口を衝いて出た言葉だ。
言ってしまえば社交辞令のようなものであり、彼らが思うほど深い意味はない。
深い意味はない。深い意味はないのだ。
けれど、ミラが泣き出しそうな顔をしていると思った時には、気付いたらマイロはミラの泣き顔を撮って、彼女を慰めたいと感じていた。
(なんで誘ったかなんて俺だって分かんねえよ。……風景撮りたいのに、姫さんばっか撮ってて頭がおかしくなったのかも)
そうだ。自分の夢を、立場を思い出せ。俺はカメラマンで、ジャーナリストで、ミラのスキャンダルを撮ってのし上がろうとしている野心家、マイロ・ガルシアだろう――と、マイロは心の中で言い聞かせた。
(……30分だけ撮って会社に戻ろう)
写真を撮ることこそマイロの唯一の自己表現だ。
ここは雨の似合う美しい大都会。雨に打たれ写真の事だけを考えていれば、きっと写真の事しか頭になかった少年時代に戻れるに違いない。
自分のポリシーや立場も忘れて、あの子と、一瞬でも心の底から楽しいと思ってしまったのは、きっと初心を忘れてしまっていたからだ。
マイロは傘もささず雨だれのする夜の街へ足を踏み入れると、そのまま闇夜に溶けて姿を消した。