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第13話 13番目のお姫様 3/9

 ミラは恐怖から身を守るように小さな拳をぎゅっと握るが、バックミラーを見ると自分の不安そうな顔が写っていたので、ミラは自分を慰めるようにあえてニッと笑顔を作ってみた。口角を無理やり上げ、歯を見せて笑うその姿は、イヴァンお兄様が褒めてくれるような「元気なミラ」になろうとする努力だった。


 だが、その笑顔を作った瞬間、バックミラー越しにミラたちの車に近づいてくる黒塗りの車が見えた。霧の中からゆっくりと現れたその車は、王宮が使用している車両と同じ形と色だった。


 ミラの心が一瞬軽くなり「後続の車が追いついたんだなぁ」と軽く考えていた。


 きっと、イヴァンお兄様の護衛か、カレンの指示を受けた誰かが来てくれたんだろう。


 ミラの小さな頭に、そんな安心がちらりと浮かんだ。


 ただ、その車は路肩に停まるミラたちのすぐそばでピタリと停車した。エンジンの低い唸りが止まり、静寂が車外を包んだ。助手席のドアが開き、スーツ姿の男が一人降りてきた。背が高く、黒いサングラスをかけたその男は、ゆっくりとミラたちの車に近づき、運転席の窓をコンコンと叩いた。


「お疲れ様です。早速ですが、皇太子の事はご存じでしょうか?」


 スーツ姿の男が、窓越しに落ち着いた声で運転手に尋ねた。


 霧の漂う朝の静けさの中で、その声は不自然に低く響いた。運転手は少し驚いたように男を見上げたが、王宮の警備の誰かだろうと思い丁寧に対応した。


「えぇ存じておりますが、何かありましたか?」


 男はごほんと咳払いをすると、一瞬の間を置いてから続けた。


「本部からの連絡です。王女様は予定通り、ウェストメイン・スクールにお向かいくださいとのことです」

「えぇ? しかし、警備の本部からは何も連絡が……」

「とはいえ、これは警視庁からの指示です」


 運転手は一瞬言葉に詰まり、助手席のカレンに視線を向けた。カレンは携帯電話を手に持ったまま、眉をわずかに寄せて男を見据えた。


 ミラは後部座席で小さく息を呑み、状況がよく理解できないながらも何かおかしいと感じていた。


(この人は本当に警備の人なのかしら)


 ミラの小さな頭が急速に動き、不安が胸に広がった。

 『警視庁』という単語自体は聞き慣れているものだったが、何か連絡があればカレンら護衛に直接連絡が行くはずだ。

 何かがおかしいと、幼いミラでさえ感じていた。


「警視庁からの指示なら、一度確認を取りますのでお待ちください」


 カレンが毅然とした態度を崩さず、60の老女とは思えない力強さできっぱりと言い放った。

 カレンは携帯電話を手に持ったまま、男を鋭く見据え、すぐに電話を耳に当てようと手を動かした。その動作は、ミラを守るための揺るぎない決意を映しているようだった。ミラの小さな胸に、カレンの頼もしさが一瞬だけ希望を灯した。


 だが、その瞬間、男の行動が素早く変わった。


 スーツの内ポケットに滑り込ませていた手がまるで訓練された動きのように黒い物を取り出すと、それを運転手の額にピタリと当てた。

 金属の冷たい光が朝の薄暗さに映え、ミラにはそれが何かが分からなかった。

 ただ、黒く光るその形が、どこか不気味で、見たことのないものだという感覚だけが頭をよぎった。彼女の大きな目がその物体を捉え、息が止まった。


「下がりなさい!」


 カレンが威嚇するように鋭く叫んだ瞬間、車内に異常な緊張感が走った。

 カレンの声は、ミラが今まで聞いたことのないほど強く、怒りに満ちていた。助手席から身を乗り出すようにして、彼女は男に立ち向かおうとした。その叫び声に、運転手が「えっ」と小さく驚きの声を漏らし、体を引こうとしたが、男の手は微動だにしなかった。


 ミラの小さな体が座席の奥に縮こまり、心臓が喉まで跳ね上がった。


「王女をお預かりいたします」


 男の声が冷たく響き、感情のない平坦な口調が車内に広がる。


「伏せて!」


 カレンが再び叫び、ミラを守るように鋭い命令を放つ。

 だが、10歳のミラには何が起こっているのか理解する時間がなかった。


「え? え?」


 バンッ!


 カレンの叫び声の直後、乾いた銃声が車内に響き渡った。

 運転手がうめき声と共に前のめりに倒れ、額から赤い血が滲み出てダッシュボードに滴った。


 ――運転手のおじさんが撃たれた。ミラは突然の事に目を見開き、頭が真っ白になっていた。


 火薬の匂いが鼻を突き、カレンが何かを叫ぶ声が聞こえていたが、ミラは何が起こっているのかを理解するには周りの状況が瞬きをするたびに変わりすぎていた。


「抵抗は無駄です」


 男の声はひどく冷たく、感情が感じられなかった。

 運転手の血がダッシュボードに滴り、火薬の匂いが鼻を刺す中、カレンはミラを守ろうと必死に助手席から身を乗り出していた。

 カレンは白い髪が乱れさせながら男に掴みかかろうと腕を伸ばしたが、その動きを嘲笑うかのように、運転手を撃った男が窓ガラスを拳で叩き割り、ロックを解除した。


 ガラスの割れる鋭い音がミラの耳を切り裂き、彼女の体がビクリと震えた


「離れなさい! その子に触らないで!」


 カレンが声を上げ、必死に叫んだ。

 だが、その叫びが終わる前に、また新たな銃声が車内に響いた。


 バンッ!


 乾いた音が空気を切り裂き、同時に「あぁ!」という悲痛な叫び声がミラの鼓膜を貫いた。

 ミラの心臓が止まりそうになり、彼女の小さな体が反射的に跳ねた。


「カレン!?」


 ミラははっと顔をあげると、カレンの腕から血が噴き出て、助手席に赤いしぶきが飛び散っているのが見えた。

 カレンの顔が痛みで歪み、冷や汗が流れ落ちるのがはっきりと見えた。血を流して苦しんでいるカレンはそれでも力を振り絞ってミラを守ろうと必死になっている。


「姫! お逃げください!」

「カレン! やだ! カレンに酷い事しないで!!」


 それでもミラの声を無視して男の手がミラの腕を掴んだ瞬間、彼女の体が一気に凍りついた。

 男の冷たい指が皮膚に食い込むのが気持ち悪くて、ミラは小さな悲鳴を上げて、足をばたつかせ、腕を振りほどこうともがいたが、10歳の力じゃ何もできなかった。

 ミラは必死に叫んだが、男達は無表情のまま彼女を引きずり降ろして、黒塗りの車にミラを無理やり乗車させた

 冷たい朝の空気がミラの肌を刺し、遠くでカレンの叫び声が聞こえた。車は朝の霧を切り裂くように、ミラの希望をかき消すように、急発進してその場から去った。


 襲撃から誘拐までわずか1分の出来事であった。

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