ミラは目隠しの代わりに背中に冷たい銃口を押し付けられながら、舞台袖へと強引に連れていかれていた。
少しでも逆らう素振りを見せれば撃たれるという緊張が彼女を支配し、胃は締め付けられるような痛みがずっと続いていた。
そっと客席を覗き込むと、そこにはピカピカの新緑色の制服に身を包んだ生徒たちが、身を寄せ合って震えていた。
教師や大人はわずかしかおらず、子供たちだけで抵抗する力も逃げる術もない様子が痛々しかった。
その時、男のしゃがれた声がマイクを通じてセレモニーホールに響き渡った。
「あーあー、やぁ、ウェストメイン・スクールに今日から通うはずだった生徒諸君。おはようございま~す」
生徒たちからは返事一つ返らず、ただ泣き声を抑えるように鼻をすする音だけがホール中にひびいていた。
男はさらに言葉を続けた。
「あれぇ? こういうのって、おはよう以外の挨拶がいいんだっけ? まぁなんでもいいや。やー。セレモニーホールに集まってるのは新入生だけのはずだけど、多いね~」
ミラは舞台袖からその光景を強制的に見せられていた。
ウェストメイン・スクールは小中高一貫校で、入学式にあたるセレモニーは日を分けて行われる。
本日は中学生の入学式が予定されており、王族の中で新1年生に一番年の近いジャネットが祝辞を述べるはずだった。
(みんな怖くて泣いてる……)
だがミラの目に映るのは、新生活に胸を躍らせる子供達の笑顔ではなくて、絶望の淵に立たされて今にも泣き叫びそうな子供らの顔だった。
生徒たちは結束バンドで手を縛られ、自由に動いたり逃げたりすることが難しい。
ミラより年上とはいえ12、13歳の子供だ。今朝のミラと同じように、生まれて初めて暴力を目の当たりにした者も多いだろう。
ミラ自身も捕らわれの身でありながら、子供たちの心の傷がこれ以上深まらないことを心配し、彼らを一刻も早く解放してやりたいと願った。しかし、その力がない自分に歯がゆさを感じ、唇を強くかみしめた。
男の声が再びホールに響いた。
「君達はこう思ってることだろう。『何で僕たち・私たちが、こんな怖い目にあってるんだろ~』ってね。だけどおじさんたちは君達に詳細を話すつもりはない。君らには人質になってもらう。もし逆らったなら……、命はない。――”命はない”って分かる? 殺すってことだから」
10歳のミラよりわずかに年上の子供たちが、その声に震え合い、励まし合うように身を寄せ合った。
怯えた目で顔を伏せ泣く者もいれば、涙ながらに壇上の男を睨む者もいた。
そして、勇気ある1人が「ふざけるな!」と叫び、「早く解放しろ!」と続けた。
しかし、男たちは冷酷な目でその子を一瞥すると、ずかずかと近づき、思い切り殴りつけた。会場に甲高い叫び声が響き渡り、悲鳴がホールにこだました。
その時、ミラの耳元で誰かが低い声で囁いた。
「ほらミラちゃん。君がもし逃げようとしたら、ガキたちはあんな風に痛めつけて、全員殺すよ」
「や、止めてください。そんな怖いこと……!」
ミラは震えながら懇願した。
「分かったら、大人しくしとくんだな」
男の声は冷たく、容赦なかった。
(お兄様たちはきっと、私が誘拐された事には気付いてるはず。――カレンは大丈夫かしら、運転手のおじさんも……)
ミラは舞台袖で、息を殺しながらただじっとして時間が過ぎるのを待っていた。
(せめてテレビが見られれば状況が分かるのに)
ミラは見渡してみたが周りにはテレビやラジオなどの情報源になりそうなものはなかった。
男達が持っている携帯の画面は見えないし、奪うこともできないだろう。
――13人兄弟の末っ子なんて一番無価値じゃねえか。
同時に、先ほどの発言が何度も頭の中を巡っている。
もしそれが本当の事で、お母様、お父様、お兄様たちが私の事を切り捨ててしまったらどうしようという恐怖もミラから離れなかった。
それでも、ミラは自分の無力さに落胆しながらも、「なんとかして、この状況を変えられないかな……」とずっと考えていた。
(ミラ。泣いちゃだめよ。お兄様が言ってたわ。緊張した時は、――――)
兄と今朝交わした約束。
イヴァンが緊張するミラに向かって優しい言葉をかけていたことを思い出し、ミラは少し勇気が湧き出ていた。
――目の前にいる汚い男達のことは庭にいる彫像……、いや、お菓子のおまけについてくる少し安っぽい人形だとでも思えばいい。そう思えばミラは自分がすべき行動が何なのかが、手に取るように分かるような気がした。
「あの……」
周りの空気は重く、圧迫感があった。
誘拐犯たちの視線がじっとミラに注がれる中、彼女は小さな体を精一杯張り、まっすぐにボスの目を見据えた。
怖くないわけがない。足は震えそうだったし、喉も死にそうなくらい乾いていた。
それでも、唇を引き結び、王女としての誇りを胸に、堂々と声を張った。
「私は逃げません。約束します。その代わりに、生徒の方たちを解放してあげてください」
舞台袖の幕がすぐそばにあるというのに、声が思ったよりもはっきり響いたことにミラ自身が驚いた。
男たちは一瞬ぽかんとしたが、すぐに嘲笑交じりの声が返ってきた。
「お前、立場分かって――」
「待て。いいぜ、聞こう。話してごらん? お姫様」
その言い方には侮蔑の色がにじんでいたが、ミラは怯まなかった。
むしろ、ここが勝負どころだと感じた。
彼女はぐっと息を吸い、考えをまとめる。
「こんなにたくさんの子どもを監視するのは、あなたたちにとっても大変でしょう? 中には泣き出しそうな子もいるし、咳をしてる子もいます。トイレに行きたいと騒がれたら、対応するのは面倒ですよね?」
男たちが顔を見合わせる。完全に否定できないという表情だった。ミラはさらに畳みかける。
「私は王位継承権13位とはいえ、この国の王女の1人です。私がいれば、人質としては十分なはずです」
静寂が訪れた。ミラの心臓がドクン、と鳴る。
そして、もうひと押し。
「あと、……」
わずかに震える指を握りしめ、彼女は最後の言葉を放った。
「私の事、『13番目なんて価値がない』って言いましたよね? その発言……撤回してください。私は、プリンセス・ミラ・エリザベス・マーガレットよ! ホールにいる子ども100人より私の命の方が重いのよ。……あなたたちにも思い知らせてあげるわ」
挑戦的な言葉が空気を張り詰めさせた。
室内にいる男たちは言葉を失い、ボスもミラをじっと見つめていた。ミラも瞬きもせずボスの事をじっと見て、涙が出そうなのも我慢しながらルビー色の目で強気に睨み続けていた。
すると、ボスが突然、ピュウッ♪ と軽快な口笛を吹いた。
煙草の煙が細く立ち上る中、彼は1人だけ、ゆっくりと拍手を始めた。
「いいぜ気に入った。嫌いじゃないなぁ、プリンセス・ミラ」
その声には、どこか楽しげな響きが混じっていた。ミラを値踏みするような視線が一瞬鋭さを増したが、すぐに彼は肩をすくめて部下たちに目をやった。
「プリンセスからの命令だ。適当に選んで解放してやれ」
と、ボスは低い声で男達に命じた。