目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第14話 訓練兵マイロ・ガルシア 1/4

 9月1日、午前9時ごろ。

 生ぬるい夏の風が吹き抜ける大通りを、一台の汎用四輪駆動車が駆け抜けていく。

 その車両には、軍服に身を包んだ訓練兵たちがぎっしりと乗っていた。

 皆、年の頃は18歳前後で、少年と呼ぶにはやや頼もしくなりつつある年齢だが、その表情は一様に暗く沈んでいた。

 今日、彼らは一年間の訓練の集大成となる卒業訓練に臨む。

 卒業訓練は、これまでの訓練とは比べものにならないほど過酷だと言われている。

 だが、これを乗り越えれば、晴れて正式な部隊の一員となれる――それだけに重要な節目だ。しかし、もとより熱い志を抱いて入隊した者などほとんどおらず、卒業訓練を目前にした彼らの心は憂鬱さでいっぱいだった。


 その中でも、特に憂鬱そうにため息をつき、暗い表情をしていた少年が、網目越しの窓の外を眺めながら大きくあくびをした。

 彼の名前はマイロ。

 まだ成長期の最中だと分かるその小柄な体格は、とても18歳に達しているとは思えなかった。


 マイロはたわしのような手触りの丸坊主頭を時折かきながら、この世に何も期待していないような目を外に向けている。

 その無気力な視線は、何も期待しておらず、ただこの憂鬱な時間が過ぎ去るのを待っているようだった。


「おいマイロもっとシャキッとしろ!!!!」


 その瞬間、マイロのあくびを断ち切るように、車内に怒号が響き渡った。上官の怒声は、まるで頭を叩きつけられたかのように鋭く重かった。

 他の訓練兵たちはというと、クスクス笑うこともなく、マイロに一瞬だけ冷たい視線を向けると、すぐにそっぽを向いた。

 無愛想で不真面目で、無口で嫌われ者のマイロには極力関わりたくない。そんな空気が彼の周囲には蔓延していた。

 だが、マイロはそんな視線を恥ずかしいとも思わず、


「あい、すんません」


 と、心ここにあらずな返事をして、あくびの涙を拭っただけだった。

 反省の色は皆無。顔つきも緊張感のかけらもなく、相変わらず気だるげなままだった。

 怒声を飛ばした上官は、憤りを抑えるように息を吐いた後、車内の訓練兵全員に向けて声を張り上げた。


「いいか訓練兵ども! 今日はお前らが一般兵になれるかどうかの審査も兼ねた、重要な訓練日だぞ! マイロのようにだらけていたら、ただ怒鳴られるだけじゃ済まないぞ!」

「「「「「イエス・サー!!!」」」」」


 先ほどまでの沈黙が嘘のように、訓練兵たちが一斉に大声で応じた。その迫力に、車内の壁がわずかに震えるほどだった。

 その中で、マイロは耳を塞ぎたくなる衝動をなんとか堪え、唇だけを動かして「いえっさー」と、適当に口パクで応じた。


「貴様らは今回の卒業訓練を終えた瞬間、この国に血の一滴まで忠誠を誓う存在となることを心得ておけ! あくびなどしている者は、即刻脳天を撃ち抜かれると思え!」

「イエス・サー!」

「いえっさー」


 訓練兵たちは腹の底から声を張り上げて返事をする。

 その中で、マイロだけは叱られないための義務感だけで、口先だけの返答をしていた。


(あーーー。卒業訓練だっるいなぁ)


 今度はバレないようにあくびを噛み締める。

 同時に、マイロは、「どうして俺はこんなことになってるんだっけ?」と素朴な疑問を抱いていた。


 マイロ自身は、別に兵役を希望した覚えはない。

 いや、マイロなんかがするはずもない。

 マイロは別に愛国心なんて持ち合わせていない!


 軍隊ノリが好きそうな陽キャが大の苦手だったし、ましてや、目の前で怒鳴り散らす脳筋――ブラウン中尉のようなタイプは、心底嫌いだった。

 そもそもブラウン中尉が率いるこの訓練部隊には、18歳以上でなければ入隊できないという決まりがある。


 だというのにマイロはまだ15歳だ。

 本来、ここにいる資格すらないはずなのに、マイロは大人と同じ軍服を身にまとい、固いシートに揺られている。


(俺ってまだ15なのに何でここにいるんだろう。ブラウンのおっさん、裏で一体何をしたんだか……)


 戸籍をいじったのか何をしたのかマイロには分からない。

 分かることは、マイロは厳しい訓練を生き残ってしまい、これから一般兵になるという未来。

 乱暴な振動の中、マイロは目を伏せ、耳障りな怒号を無視するように思考を巡らせた。


(……母さんが死んで、に学費を払えってもらえなくなったせいで、学校は退学。家も追い出された。やけになって、路上暮らししながら酒飲みまくって……、でも、あのおっさんに喧嘩売ったあの日、俺の人生は変わっちまったんだ……)


 後半に自業自得の部分もあるとはいえ、当時のマイロには帰る家がなかった。


 マイロはシングルマザーの子供として生まれた。

 シングルマザーと言っても、母親の両親――祖父母も同居だったこともあり、マイロは父親がいない寂しさを感じる暇がないほど愛に満ちた家庭で育った少年だった。


 ……ところが、マイロの愛する家族は、病気や交通事故などの不幸で立て続けに亡くなってしまった。

 たった一人取り残されたマイロは、それをきっかけに、いわゆる【不良】と呼ばれるグループに紛れ込むようになる。

 そして、そんなある日出会ったのが、今の上官――ブラウン中尉だった。


(あのとき、ブラウンのおっさんに喧嘩ふっかけて、ボコられて……。でも、軍に入れば衣食住完備で訓練兵にも給料出るからって、無理やり入隊させられて……。くそ、あの日の俺の馬鹿! バカ! バカ! 甘い言葉に釣られやがって……)


 マイロは、誰にも気づかれないように、こっそりと額を窓に打ち付けた。


 訓練兵の生活は、想像以上に苛酷だった。

 母が「その髪、綺麗ね」と優しく撫でてくれた柔らかな黒髪も入隊初日に丸刈りにされたし、地獄さながらの訓練に何度も心を折りそうになった。


 それでも、マイロが軍の衣食住に救われたのも事実だった。

 遅れていた勉強も軍の福利厚生のお陰で少しずつ取り戻せたし、軽食でたまに出されるチョコレートは地味に嬉しかった。


 狭苦しいベッドの周辺しかプライベート空間がなくても、毎日の訓練が吐き気を催すほどきつくても、ストリートチルドレンとして生きるよりはよほど人間らしい生活を送れていた。

 明日のパンの心配をしなくていい。

 それだけで、ありがたさは十分に理解していた。


(くそ、あのおっさん、詐欺罪とかで捕まっちまえ)


 しかし、理解はしていても苦しい日々を送るマイロはブラウン中尉に対して素直に感謝する気にはなれなかった。


(でも、もうあんな生活はしたくない。もしあのままだったら俺は多分廃人になってただろうし……)


 脱走なんていつでもできる。

 けれど、ストリートチルドレン時代の生活に戻りたくないのも本音だった。


(……自立できるだけの貯金ができたら傭兵なんて絶対にすぐに辞めてやる)


 だからこそ、今のマイロを支えていたのは軍を抜けた後の人生だった。


(早く大人になりたい。金を稼いで、家買って、いつかは自分の家族を持つんだ)


 天国にいった家族も、立派な人間になったらマイロを見れば安心するはず。


(――母さん。俺は、まず与えられた試練だと思って、まとまった貯金ができるまで大人しく軍人するよ。辞めたら定時制でいいから高校に通うんだ。それから――)


 マイロは神様なんて信じてない。天涯孤独の彼に守るべき人もいない。

 けれど、愛する家族が、母親が、マイロの幸せを祈ってくれていた。

 それならば、マイロができることは一つ。


(夢を叶えて、胸を張って生きなくっちゃ)


 天国の家族に胸を張れるような大人になることだった。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?