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「訓練兵ガル、いえ、
「……訓練兵だと? 冗談ではないのか?」
ブラウン中尉の配慮で【ジャック・ブラウン訓練兵】という兵士を演じることになったマイロは、聞き慣れない自分の名前に居心地の悪さを覚えながら、敬礼を崩した。
(とはいえ、偽名で軍人っていいのかなぁ……)
マイロは10分ほど前の中尉との会話を思い出す。
『いいかマイロ。詳しくは言えないが、今回、
ブラウン中尉は日焼けした顔をまじまじと近付けながらマイロに命じた。
『(コノエってなんだ? まぁいいか)……はぁ』
YES以外の返事が出来るはずもなくマイロは空返事をする。
『その為、今回お前はマスコミ対策の為、偽名を使えとのことだ。……まぁ。お前の将来に変に影響しないためにも、その方がいいと思う。今からお前はジャック・ブラウン訓練兵だ』
(………………って、おっさんは言ってたけど……)
マイロは軍人らの厳しい目を感じながら苦笑いを我慢する。
(――ジャックはともかく、
会議には出席していなかった人質救出作戦のメンバーは、まるで神に祈るような顔で
ありがたいはずの助太刀が半人前の訓練兵なのだ。
半信半疑というより、もはや絶望的な期待すら滲んでいた。
「はい、間違いなく訓練兵です。……正直、俺なんて戦力としては不安ってゆーか、役に立たないと思うんすけど」
「貴様、上官に向かってなんという口の利き方だ!」
「申し訳ありません、サーッ!!」
ブラウン中尉に怒鳴られて、
緊張もあったが、それ以上に自分の立場の異常さに対するやけくそな気持ちが大きかった。
まともに考えれば、こんな場所に訓練兵がいること自体が間違いだ。
「ブラウン中尉。ブラウン訓練兵はお預かりします。訓練兵とはいえ、本日は我々と同じ兵士として扱います。本当によろしいんですね?」
「あぁ。最悪、防弾チョッキとして使ってくれて構わない」
「えぇ……」
その場にいた誰かが小さく呻いたのが聞こえた。それは困惑や不安の混じった声だった。
訓練兵一人を防弾チョッキ扱いする発言なのだ。無理もない。ブラウン中尉の発言に引いている者も多かった。
心の中では正直ビビっていたが、それを顔に出すことは許されない。
(分かる。ブラウンのおっさんってその辺乱暴だよな。訓練中に『死ね』って言われる程度なら優しいもんだし)
マイロは過去の訓練中、何度も怒鳴られ、罵倒され、時には全力で脇腹を蹴飛ばされたことを思い出した。
思い出しただけで完治したはずの脇腹が痛むような気がするけれど、1年間の訓練のお陰で多少のことでは動じなくなったし、体力や精神的にも成長した気がすると自分でも思う。
(でも、すんません。俺、この救出作戦頑張ったらご褒美もらえるらしいんで、がんばりたいんす)
場違いなほど緊張感に包まれた作戦室の空気の中、マイロだけは腹の底に小さな希望の火を灯していた。
いや、そうでもしないと、目の前の現実に押し潰されそうだったのだ。
それに、マイロの脳裏に、数分前のブラウン中尉とのやり取りがフラッシュバックしていた。
『――――――俺、訓練兵なのにいきなり現場なんて無理ですよ』
マイロの手のひらは緊張でびっしょりと汗で濡れていた。
毎年脱落者が多く出る厳しい訓練を生き残ってきたとはいえ、マイロは実戦に出たことは無いのだ。
圧倒的な経験不足。マイロが不安に思うのも当たり前のことだった。
『お前。前に高校に行きたいって言ってたよな』
だが、ブラウン中尉から帰ってきた言葉は突然の話題転換だった。
突飛な事態に、マイロは一瞬返事を忘れた。
高校に行く。
普通の子供たちと同じように、勉強して、笑って、友達を作って……そんな当たり前の夢を語った日のことを、ふと思い出した。
『もしこの作戦が上手くいって、パッケージを無事保護できれば、俺が高校を卒業するまでの学費と生活費を全部出してやる』
『……えっ!? マジっすか?』
『あぁ。大マジだ』
ブラウン中尉の目は真剣そのものだった。嘘や冗談ではなくて、本気で言っているのが分かった。
マイロが命をかけて働く代わりに――彼が喉から手が出るほど望んでいる未来を与える。そんな取引だった。
(もし、このまま18歳って嘘ついたまま軍人として働いたとして……、独立するまで2年、いや3年はかかるよな。でもパッケージを助ければ、俺は貴重な3年分の青春を失わずに済むかもしれないってこと?)
それは、マイロにとって夢のような提案――。いや、夢というよりも、「人生のやり直し」そのものだった。
ずっと目を背けてきた普通の道が、今、手を伸ばせば届くかもしれないところにある。
(高校まで生活費を気にしないでいいのは正直めっちゃいい。大学も奨学金を使えば何とか通えるだろうし、20代を無駄にしないで済むし……)
現実的に考えても、それは【普通】に戻るための最短の道だった
今の自分にはない選択肢が、その先にいくつも待っている。
未来の設計図が、頭の中で急ピッチで組み上がっていく。
(何よりも、夢を叶えることができるかもしれない……風景写真家になるっていう夢!)
風景写真家になるという夢は、マイロが幼いころに母と一緒に語り合ったものだった。
――ママ、飛行機が嫌いだからあんまり遠くまではいけないわぁ。だからマイロが写真で見せてくれるのよね。楽しみだわ
母親が笑いながらそう言ったのはいつのことだっただろう。
マイロは母親の姿を思い出すだけで、いつも少しだけ泣きそうになる。
美しい夕日が沈んでいく風景。地平線まで続くお花畑。ピンクフラミンゴが湖面一面に並ぶような幻想的な景色――。
全て、母が見たいと言っていた景色。
亡くなった母親とは、もう二度と会うことはできない
けれど、夢を追い続けるという行為を続ければ、きっといつか天国の母にも届くはずだ。
(母さんに恥ずかしくない人間に、今からでもなれるかもしれない)
マイロにとって写真を撮るという行為が、人生を前向きに歩むための糧なのだ。
パッケージを救出することができれば、マイロはその夢に一歩近づくことができるかもしれない。そう思うと思わず拳に力が入る。
『どうだ。命を懸けて仕事をする気になったか』
問いかけるブラウンの声に、マイロはほんの少し口元を緩めた。
『……大学生になっても飯奢ってくれます?』
その軽口に、中尉はわずかに眉を上げ、そして静かにうなずいた。
『あぁ。フィッシュアンドチップスくらいならいくらでも奢ってやるさ。俺の昇進もかかってるからな』
それは現実的なようで、どこか不器用な大人の優しさだった。
「パッケージ。誰か知らないけど、俺の夢を叶えるために――利用させてもらうぞ」
人質救出作戦の本部に向かう途中。
誰にも聞こえないようにそう呟いたマイロは、無言で自分の拳を握りしめた。
これは「正義のため」じゃない。
ただ、自分の未来のための戦いだった。