セレモニーホールの空気は一言で言えば異常そのものだった。
怯える子供たちのすすり泣きに、薬物漬けの人間の独特な体臭――。
この場所に満ちる情報のすべてが、ただ事ではない現実を物語っていた。
(……くせぇな)
マイロは顔をしかめそうになるのを堪えつつ、悪事が見つかって焦っている学生を装い、わざとセレモニーホールの真ん中の方へと歩いた。
一歩、また一歩と歩くたびに目線が突き刺さるのを感じる。
特に子供たちは怯えと困惑に満ちた目で彼を見つめていた。
この制服姿の男は、助けに来た神なのか、それとも悪魔なのか。
神ならば早く助けて!
悪魔なら今すぐどこか行ってくれ!
そんな切実な願いが瞳の奥に宿っている。
(中一ってこんなにガキだったっけ)
マイロは黒の瞳をわずかに動かしながら、子供たちの様子を観察する。
いずれの子たちも疲れ切っており、空腹を訴えるようにぐったりとしていた。
差し入れがあったはずの食料は子供らに配給されていないようだ。
「……何だそのガキ!? どこにいたんだ」
鋭く響いた怒声に、マイロは足を止めた。
声の主は、粗野な雰囲気のひげ面の男。セレモニーホールの一角からこちらをにらみつけている。
(間違いない。写真で見せられたリーダー格のやつだ。……でも、何であのおっさんの周りにだけ女の子が集められてんだ?)
その男の周囲には、金髪の少女たちが固められていた。
数人は紙袋を頭にかぶせられており、袋越しでも恐怖に震えているのが伝わってくる。
(パッケージは金髪……! でも、ちくしょう、ぱっと見、全員一緒に見え…………、っ⁉)
けれども、その中に、ひときわ目を引く少女がいた。
マイロはその子と、はっきりと目が合った。
背が低く、ひどく怯えた表情を浮かべた少女だった。
――だがその目の奥に、かすかに光る意志のようなものが宿っているのを、マイロは見逃さなかった。
(……あれがパッケージ、か?)
そう思わずにはいられなかった。
ぼやけたピントの中、そこだけに焦点が合ったかのように鮮やかに浮かび上がる一輪の花。
カメラのフラッシュすら霞むような、真の輝きを放つその瞳――
無数の人々が集う中で、ただひとり圧倒的な存在感を放つ『本物』。
人質にされた子供たちの中で、彼女だけが別格として扱われることに、誰も疑問を抱かせないほどの説得力が、確かにそこにあった。
彼女のきらめく瞳には、決して消えることのない炎が宿っている。
顔には疲労の色が濃くにじんでいたが、内に秘めた気高さまでは覆い隠せてはいない。
彼女は、不意に現れたマイロを戸惑いがちに見つめながらも、その眼差しの奥で、次に取るべき行動を懸命に思案しているのが伝わってきた。
本来なら、ただ怯えて泣くだけでも許される年頃だ。むしろ、恐怖に声を上げて叫ぶ方が自然だったかもしれない。
けれど彼女は、静かに、冷静に、状況を見極めようとしていた。
「――――す! すんませんすんません! 俺、セレモニーとか怠いから適当な部屋に隠れて寝てただけなんです! 先生たちがそこまで怒ってるなんて思ってなかったんです! すんません! 鉄砲とか怖いからやめてください!」
マイロはわざとらしく叫んだ。
自分でも「ちょっと棒読みだったかな」と思いつつ、セレモニーホール全体に響くよう、喉が裂けるほどの声を張り上げた。
普段はそんな大声を出すことなどないせいで、喉の奥にじりじりとした痛みが広がる。
「さぼってたわけじゃないんです! ただちょっと眠かったから、その辺の裏でこっそり寝てたら……思ってたよりぐっすり寝ちゃってて……っていうか……!」
背中越しに男たちがあざ笑うのが分かったが、マイロは仕事を成し遂げなければならない。
(せめて30秒でも時間を稼げれば)
――道化でも何でも演じてみせる。
実際に、マイロの言葉で、ホールの空気が一瞬だけ緩んだ。
学生服を着たマイロが外部から来た兵士だなんて微塵も考えていないらしい。
誘拐犯たちの間に微かな笑い声が広がり、ボスもあきれたようにため息をつく。
「お前、どこで寝てたんだ?」
心臓がどきどきと荒ぶるのを感じる。
「む、向こうの大道具室です!」
タクティカルベストの下が汗だくで、汗というよりは水流のように流れ落ちていくのを感じた。
「いや、ほんとに、向こうの大道具室で寝てたんです! 最初は誰もいなくて、夢かと思いましたよ!なんか静かすぎて、これ本当にここ学校? って……」
しかしそれも利用するまでだ。叱られることを恐れて緊張している生徒を装えばよい。
言葉を早口でまくしたて、少しでも不自然さを減らそうと必死になった。
「それに、寝る前に靴はちゃんと脱ぎましたし! 俺、その辺はわきまえてるんで!」
10歳の女の子が、自分よりも年上の子供たちを守るために動いたのだ。
それなら15歳の自分は、もっとやることがある。
(――母さんならこう言うだろうな。『男なんだからしっかりしなさい』って)
わざとらしいほどの強調に、背後の男たちの嘲笑はますます大きくなった。
自分でも辻褄が合っているのか怪しい話を必死で繋げていく。
それでも、マイロはこう考えていた。
――10歳の女の子が子供達を守るために頑張った『勇気のバトン』を受け取ったのは自分なのだと。
「ほら、俺、セレモニーとか正直怠くて……先生たちがそんなに怒るなんて思ってませんでした!」
声がだんだん震え始めるのを感じながらも、マイロは決して弱さを見せまいと頑張った。
緊張で口が段々乾いていくのを感じる。
あぁ、この仕事が終わったら、キンキンに冷えたコーラが飲みたい……切実にそう願った。
「それで、寝すぎて喉が渇いたんす! だからジュース買いに行こうとしたら『見張り』の人に見つかっちゃって」
その嘘くさい言い訳に、男たちの嘲笑はさらに響き渡った。
(……あと少し、あと少しだけ)
必死に時間を稼ごうとするマイロの視線は、犯人たちの動きを鋭く追っていた。
だが、
「――――セレモニーホールと大道具室を繋ぐ廊下と扉には、見張りの男がそれぞれひとりいたはずだ」
その言葉が放たれた瞬間、ホールの空気が一瞬だけ引き締まった。
マイロはうつむいたまま目を見張る。動揺と緊張で心臓が口から飛び出そうだった。
この男には最初からすべてバレていたのだ。マイロが一般的な生徒ではないということが。
(……バレた)
喉の奥にこみあげる唾を無理やり飲み込む。
「……あぁ、すんません」
しゃがれた声で、マイロは呟くように言った。
そして視線は落としたまま、記憶の中にある光景を思い出していた。
わずか数秒で『見張り』を制圧した、仲間のプロの動きを。
「――上官と比べたら、めっちゃしょぼかったっす」
まぁ、俺がやったんじゃないけど。マイロはそう思いつつ、唾をいっぱい飛ばしながら大声で叫んだ。
「――カーテンを下ろせ!!」