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第35話「どうしたものか」

 私は話を続けた。


「その戦いの位置づけなのですが。今の私の知っているところを申し上げます」

「うん?」

「初めて聞くと思いますが、この大地はおそらくそう遠くない未来に、沈んで海の底になります」

「へ!?」


 バクの大きな黒い目が、見開かれる。


「いや、何言ってるの!? 冗談でしょ?」

「冗談ではないですし、嘘でもありませんよ。この帝都も、私たちが生きているうちに水没することになるかもしれません」

「ええー!?」

「海に行ったときに、一緒に見たはずです。浜は縮み、森は沈み……かなり速い速度で沈降が進行しているようです。宮廷賢者のハンサ様が言っていましたが、いたるところで起きている火山の噴火は、大地の地下に広がる空洞に溜まっていた空気を地上に噴出させています。それが沈降の原因のようです。

 最終的には、狼人族の住むはるか南の山岳地帯や、そのさらに南――最果てにあるブルードラゴンの棲み処くらいしか残らないと予想されているようです。まだ帝国民は気づいていませんが、もっと沈降が進めば否応なしに皆の知ることとなるでしょう」

「俺にはすぐ信じられないけど……でもケイがそこまで言うってことは、本当なのかな。ケイはいつも城の中にいるから、宮廷賢者さんたちあたりから聞いたんだね? いつ帝都のみんなに発表するんだろう」

「当分発表はしないと思いますよ」

「だ、だよね。みんな混乱しちゃうし」

「はい。あなたも含めて」

「え?」


 不安そうな顔になる彼に対し、さらに話を進めた。


「調べた限りでは、かつて人間の国がいくつもの帝国に分かれていたころ、そのうちの一つであったヴィゼルツ帝国は、爬虫人族やオーク族と相互不可侵の約束をしています。人間族の国をまとめるために後顧の憂いをなくしたものと思われます」

「それは俺も聞いたことあるよ。でもあっち側から破ってきたんだよね?」

「正確には、国境付近でごく小さな小競り合いが起きたことを口実に、ヴィゼルツ帝国側から破棄を申し出ていたようです。そこから帝国軍の遠征が始まっていきます」


 私は今までに入手した情報を交えて、バクの知識を正した。

 彼の持っている知識はおそらく、帝国首脳から見て彼に渡しても問題ないと判断されたものや、都合よく脚色や改ざんがなされたものだ。完全な嘘とは言えないのだろうが真実とも言い難い。


「ほんとー? って、これもケイが大真面目に言ってるから本当か。城にいるといろいろと見たり聞いたりしちゃいそうだもんね。でも、なんで帝国はそうしたんだろう」

「ここで大地沈降とつながるのです。低地が多く火山の噴火がいち早く始まった北部のほうから大地が沈んでいきますので、他の種族に勘付かれる前に、適当にこしらえた開戦理由をもって南へと領土を広げていき、最終的には人間族のみが、残された大地で繁栄を続ける――ということを皇帝陛下や宰相様はお考えになったようです。残念ですが、ヴィゼルツ帝国の進めている戦というのは、他の種族の国を滅ぼし、自分たちの国だけこの災厄から助かりたいという動機でおこなわれていたものなのです」

「えええ? そうなの? それも宮廷賢者さんあたりから聞いたの?」

「宮廷賢者様から直に聞いたわけではありません。ただ信憑性は高いかと思います」


 私は必死すぎて、相当に強引で不自然な会話の進め方になっている自覚はあった。

 ただここで彼を引退させられないと、族長命令により、私としてはありえない選択をしなければならなくなる。それだけは避けたいという気持ちが、自分を焦らせていた。


「うーん……」


 バクがうなる。頭を整理しているようだ。


「なんだかすごい話ばかりだったけど、今回ケイがそれを俺に話してくれたのはなんでなんだろ」

「私は、そのような理由で起こした大義なき戦に、バクがこれ以上命を賭け続ける必要はないと思っています。あなたの年齢にはそぐわない言葉ですが、もう戦うのはやめて、引退という道もあるのではないかと思うのです。慰留はされるでしょうが、今までのあなたの功績を考えれば、それを断っても断罪されるような話にはならないでしょう」

「あー、なるほど! そうか。よかった!」

「……?」

「いや、やっぱり俺のことを心配して言ってくれてたんだなって。気持ちはすごうれしい」


 ……。


「でも、情けなくもあるかなあ」

「情けない?」

「うん。だってさ。今回の戦で、俺があっちの指揮官相手にみっともない姿を晒しちゃったから、こうやってケイが気を遣わないといけないような感じになってるんでしょ? 俺がもっと強ければ、ケイが余計なこと考えなくてすんでたんじゃないの」


 ああ、なるほど、と私も思ってしまった。

 そうだ彼はそういう人だった、と。


「やはり、戦い続けるのですか?」


 きっと、この問いについても彼は――。


「うん! 戦いの大義名分のことは俺にはよくわからないし、もしそういうのがないならそれは残念だけど、そのへんは俺が決めることじゃないからね。それよりも、やっぱり俺は、陛下や宰相に拾ってもらった恩とか、兵士のみんなにここまで世話になった恩とか、ここまで帝国民のみんなが応援してくれた恩とかを返したい。俺が戦って勝つことで、そういう人たちが喜んでくれるのは間違いないし、みんなに報いることができるのも間違いないでしょ?」


 そうだ。彼ならそう答えてしまうのだ。

 そんな人物だからこそ、私も惹かれたのだろう。応援したくなったのだろう。人間なのに、私や族長よりも狼人族らしい考え方をする人物。そんな気さえしてしまう。


「そうですか」


 もしかしたら、心のどこかで、この答えを期待してしまっていた自分がいたのだろうか。

 ホッとしてしまう感情が起こることを否定できなかった。


「それにさ」


 彼はキラキラした顔で続ける。


「今の話、ケイが勧めてくれたことではあるんだけど、任された『救国の英雄』の仕事を放り出しちゃうと、そのケイ本人に嫌われちゃいそうだし……。お世話になった恩を仇で返したり、自分でやりますって言って引き受けた役割を無責任にぶん投げちゃったりするようなことって、そういうのケイはすごく嫌いそうな気がするんだよね。そうじゃない?」


 ああ、それも見事に当ててくる。

 そのとおり。さすがとしか言いようがなかった。


「だからさ、やれるところまでやってみるよ。引き続き応援よろしく!」


 また力強く腕に力を入れるポーズを作るバク。

 打撲で痛いことをまた忘れていたようで、ふたたび「痛ぇっ」と顔をしかめた。しかし今度はその後に照れ笑い付きだった。


 私は、何も言えなくなった。

 説得は明らかに失敗だ。彼の考えは現時点の材料だけでは変わらない。

 私の頭も、これ以上の説得を拒否している。彼にはこのままの彼でいてほしいと、心の奥底では願ってしまっている。


 彼をうまく使って皇帝や宰相へ停戦を提案させるというアイディアもあったのだが、それも明らかに無理だ。むしろそんなことを彼にやらせるべきではないと思ってしまう。

 彼は国策で利用されているということは百も承知で、それでも与えられた英雄の役割を全うしようとしている。どうして私ごときがその意思をねじ曲げられようか。


 ただ、もしこのままバクが戦い続けるのであれば――。


 族長の指示は絶対。それもまた、私たちの種族の掟。

 掟、なのだが。


 できるのか? 私に。


 私は自身の手を、彼の頸部に伸ばす。


「……」


 その手は、そのまま素通りし、彼の額に着地した。

 少なくとも、今の私の精神状態では無理だ。


「わかりました。応援しています」


 手に魔力を込め、回復魔法をかけていく。


「うん。頑張って強くなるから。ケイが心配しなくて済むくらいに」


 気丈に言う彼の笑顔は健気でもあり、しかしどこか悲壮感もあり、さらには何やらつかみどころのない正体不明な感情も含まれている気がした。


 ……。


 今度は、得体のしれない気持ち悪さが急速に私の体を満たしていく。

 今、私がしたこと。

 彼を翻意させられず、それでいて、彼がやっている戦いの真実だけは本人に伝わってしまった。


 これは、純粋な性格の彼にどんな影響を与えてしまうのだろうか。

 少なくとも、正の方向には働かないのではなかろうか。


 そして私は、この日のことを強く後悔することになった。

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