目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第37話「私はとんでもないことをした」

 帝国軍の遠征が失敗した。

 私はその知らせを、執事長から聞いた。


「バク様も傷を負われたとのことです」


 彼は戦のたびにいつも傷を負っている。わざわざそれを執事長が私に言ってくるということは、相当重い怪我なのではなかろうか?


 それを問うと、執事長は早馬から聞いた話を詳しく教えてくれた。

 応急処置はしているそうだが、やはり私以外の者が回復魔法をかけても効果が薄いようで、傷の治りがきわめて悪いということだった。

 やはり今回も私を軍に同行させるべきだったのではないか。あらためてそう思った。


 今回はほぼ完全な敗戦ということで、大神殿前の凱旋の儀式もおこなわれないらしい。

 バクは治療を急ぐために軍よりも先に帰還予定であり、まもなくこちらに到着するとのこと。傷が化膿する危険性などを考慮すれば、おそらくその判断は正しい。


 私は執事長に願い出て、城門でバクを待ち受ける許可を得た。




 バクは、自分の足では現れなかった。

 棒二本と布で作られた簡易な担架に乗せられ、赤髪の大男バロンと青髪の少年シンに運ばれてきたのである。


「バク!」


 その上に横たわる姿は、痛々しいものだった。明らかに重体だった。

 目は開いていない。体はおびただしい量の包帯で覆われている。


「……ぅ……」


 私の声に反応したのかどうかはわからないが、彼の眉間に苦悶のしわが刻まれ、うめき声が漏れた。だが、それだけだった。


「今回は戦死者も重傷者も続出だった」


 そう言って顔をしかめるシンも、袖からのぞく包帯が痛々しい。


「血は止まってるんだが、日数が経ってるのに意識がはっきりしないままなんだよな。おれたちの声も届いてるのか届いてないのかよくわからん感じだ。ちょっとヤバいかもしれんぞ。治せるもんなのか?」


 バロンも全身包帯まみれで、その顔には隠せない疲労が滲んでいた。

 ただ、彼らはすでに魔法が効いて回復しているのか、たたずまいに不安定さはない。比較的しっかりしていた。


「必ず治します。二人ともありがとうございました」


 門にいた兵士に頼み、シンとバロンの二人から一緒に担架を引き継ぐと、私の部屋ではなく設備の整った城の医務室まで運んだ。

 ここまでひどいと、相応の場所が必要だ。




衝立ついたてを用意します」


 意識混濁のバクをベッドに置くと、兵士がそう申し出てくれた。近くにいた他の召使と一緒に素早く動き、すぐに医務室の一角に半個室ができあがる。


 これは、身分の高いものが運ばれてきたときの対応として決まっていることではある。ただ、やはりありがたかった。私としては丸見えでもまったく問題ないが、バク本人はもし意識があるならば「それはやめてくれ」と強く望んだだろうから。


「……」


 治療用の狭いベッドに横たわるバクの傍らに腰を下ろし、ぐったりとした彼の頭をそっと持ち上げ、自分の腿の上に乗せる。


「……ぅ……ぁ……」


 彼の苦しげな息遣いと、途切れ途切れのうめき声が、耳朶じだを打つ。

 今回の遠征失敗を受け、城内はいろいろと対応に追われている。この部屋にも喧騒が届いてきているはずなのだが、バクのわずかな声は、それらに紛れることなく私の耳に入ってきた。


「バク、私です。わかりますか。しっかりしてください」


 呼びかけるが、彼の瞼は開かない。返事もない。

 失血で青白い顔が、断続的に苦痛に歪むだけだ。

 意識はまだ、どこかを彷徨っているか。


 しかしやがて、彼のうめきで、言葉としてわかるものが聞こえた。


「……ケイ……ごめん……みんな……ごめん……」


 目をギュッとつぶった状態のまま、半開きだった口から漏れた。

 やはり、ほんのか細い、かすかな声だった。


 胸を、えぐられた。


 おそらく彼は、ここに私がいるということまではわかっていないと思う。

 それでも、言わないわけにはいかなかった。


「私のせいです。あなたは誰にも謝る必要はありません」


 彼に突出した技術はない。おそらくは、強い意志と純粋な心で戦う剣士。

 そんな彼の心を迷わせ、鈍らせるような言葉を投げかけたのは、私だ。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?