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第39話 一方、そのころ

 人間族の国・ヴィゼルツ帝国の南東。

 台地と山地が多いその地では、虎人族による国が栄えている。


 王城の建物は、盆地に整然と広がる王都を見渡せるよう、山の上に造られていた。

 その王城の最上階。

 凌雲台りょううんだいと呼ばれている開けた板張りの回廊に、二人の虎人がいた。


「兄者、参りました」


 ひざまずいているのは、布製の頭巾をかぶっている虎人。

 王の異母兄弟にあたる王弟ソウである。


 頭巾から漏れている髪や体毛の色は、白色と灰色で構成されていた。虎人特有の耳や尻尾の縞模様も、同じく白色と灰色となっている。黄色・白色・黒色で構成されるはずの虎人族としては、基本的にありえない配色だった。


 それは彼の母親、つまり先代王の側室が、虎人族の地の南端にある山岳地帯にごく少数が住むという白虎人であったことが関係していた。彼は母親の身体的特徴を濃く受け継いでいたのである。


「相談がある」


 手すりに右手を置き、外を見ていた虎人――虎人族の王が、振り返ってから言った。

 背はそこそこ高い。だが虎人族の青年男性にしてはやや筋肉量が少ない華奢な体をしており、頭に載せている青龍の細工が施された冠がやや心許なく見えた。

 そしてその左手には、巻物が一つ握られている。


「なんなりと。兄者」


 さらにソウが頭を低くすると、「相変わらずだな」と王は軽く息を吐く。


「そんなところでかしこまっていないで、こちらに来たらどうだ。今日は雲海が出ている。陽が高くなってしまうと霧が晴れてしまうから、見るなら今のうちだ」

「それではお隣で失礼いたします」


 王弟ソウはようやく立ち上がり、王の隣に行く。

 二人は一緒に景色を眺めるようなかたちになった。


 王城の周囲の盆地は条件が揃えば霧が立ち込める。まるで王城が雲海に浮かんでいるかのように見え、ここを訪れる他国の使者は「世界で最も美しい景色なのではないか」と驚嘆するという。


「ヴィゼルツ帝国の英雄が敗れたな」


 王がそう言うと、ソウはコクリとうなずく。


「不敗の英雄が初の敗北。流れが激変するかもしれない大きな出来事です」

「おそらくは我々虎人族の国にとって、この先の立ち回りは国の命運を左右する大事なものになるのであろうな」

「それがしもまた同じ心持ちにございます」


 王がフッと笑う。


「それは私にはちと荷が重い。自分の器くらいはわかる。体は見てのとおり病弱。頭もけっして優秀ではない」


 王弟は今度はうなずかない。


「なんの問題がありましょう。体はそれがしが手足となり動けばよい話です」

「頭のほうはどうするのだ。右を向けば左が見えなくなり、左を向けば右が見えなくなる、そんな男だぞ、私は」

「それも問題ございませんが? 兄者の意識が右を向いているとき、私が左を向きましょう」

「……」


 言葉に詰まる王に対し、王弟は生真面目そのものな表情で言葉を続けた。


「兄者は自己評価が低すぎます。ご自身の評判をご存じでいらっしゃらないのですか。王都の民は皆、兄者のお人柄に惚れ込んでおります」

「私は自分の能力が低いゆえ他人に厳しくできないだけだ。王としては評価されておらん。王都では『王に過ぎたるものが二つあり』と言われているとも聞いたぞ。それは『王弟ソウと凌雲の城』だとか」

「それはきわめて不正確な噂です。それがしの能力は兄者の一部。過ぎたるも何も、そもそも兄者は一体のもの。切り離して考えること自体が誤りです。この凌雲城にしても主がいなければただの木造建築。主と立場が逆転することなどありえませぬな」

「ふむ……。民のため、この難局を乗り切れるであろう優秀なお前に王位を譲るつもりで、その相談をしようとお前を呼んだのだが」

「もちろん想定してございました。ゆえにすべてに対し反論する準備は整えております」


 そう言って仰々しく一礼する弟を見て、王は降参を決めた。


「昔から変わらぬな、お前は。あらゆることに対応する柔軟な頭を持っているのに、そこだけは頑固だ」


 幼少のころより、優秀だった弟に何度も自分の地位を譲ろうとしていたが、ことごとく本人に察知され失敗を続けてきた王は、苦笑いするしかなかった。


「ではもう少し、王として醜態をさらし続けるとするか」

「ありがとうございます。青龍様に誓って全力でお助け申します」

「だが我々はどうすればよいのだ。西では爬虫人族、南ではオーク族が粘りを見せ、人間族がこのたびの敗戦で消沈しているとなれば、これを好機として我々も東から動くべきなのか? この国は永らく交易が自慢の国であったが、武力においてもけっして他には劣らぬ実力はあるだろう。それを行使しようと思えばいつでもできるからな」


 もし人間族の快進撃が止まり、これから西と南で押し返す動きが出てくるならば、東に位置する虎人族の動きはより一層大きな意味を持つと思われた。

 ここまでヴィゼルツ帝国と大規模な戦とはなっていなかった虎人族は、兵も民も消耗を抑えられている。ヴィゼルツ帝国領へ侵攻しようと思えば、すぐにでも可能な状態であったのである。


「すぐに切れる札を『すぐに切れる』という理由ですぐ切るほどもったいないことはないと申します。最も高い効果をあげられるときに切ることや、恩を売るなど付加価値をつけることを先に考えるべきかと」

「お前は小さいときから尋常でないくらい札遊びが強かったからな」

「それがしの見立てでは、まもなくどこかしらが我々に対して交渉をしてくるはず」


 それを待つことがよいかもしれませぬ――と王弟ソウが言おうとしたときだった。


「王。朝から失礼いたします」


 新たに一人の虎人族が現れ、ひざまずく。

 役人の一人だった。


「狼人族より使いの者が来ており、王への謁見を希望しております。本日の公務のお時間が始まり次第、お通ししてもよろしいでしょうか」


 王はそれを受け、驚いたというよりも、呆れたように弟を見た。


「ソウ、お前は未来の予知もできたのか」

「まさか。偶然、的中したに過ぎません。それに、真っ先に来たのが爬虫人でもオーク族でもなく狼人族というのは、それがしにも少々意外なことでしたな」


 ソウは顎を触り、わずかに口角を上げた。


「他種族へは不干渉、永世中立であるはずの狼人族が動くとは……。歴史に残る出来事になるかもしれません」

「お前は楽しそうだな。私としては頼もしい限りだが」


 王はそう言うと、役人に対し謁見の許可を与え、下がらせた。

 そしてふたたび弟を見る。


「謁見にはお前にもいてもらうぞ。私を持ち上げ続けた責任は一生取ってもらわねばな」

「無論です。どこまでもお供いたします」

「頼んだぞ。ところで、だ……」


 王はうなずくと、爪がきれいに切りそろえられている指で、左手に持っていた巻物を広げた。


「この絵はお前も見たか? この城宛に送られてきたものらしい。おそらく普段ならそんな怪しいものは処分されていると思うのだが、これについては『とても捨てられん』ということで私の手元まで来たようだ」


 そこには、二人の人間が並んで描かれていた。

 左側には黒髪の人間の少年、そして右には長身で銀髪の美麗な青年である。


「はい、すでに拝見しております」

「左の英雄バクについては前にも絵で見たことはある。しかし右側の者は初めて見る」

「英雄バクが常に傍に侍らせている者との噂です」

「こんな美形がこの世に存在するものなのか? それとも絵師が誇張して描いているのか」

「さて、そこまではわかりかねますが。この絵が大変美しゅうございますのは確かですな。兄者がもしお望みならば、この者を連れてまいるための計を考えます」

「いやいや、略奪は望まぬ。ただ、実在するならば一度は見てみたい。そう思っただけだ」


 王は微笑を浮かべると、巻物を元に戻した。


「そのうち、会えまする」

「根拠があるのか?」

「はい。きっと兄者は英雄バクに遭遇する機会がこの先ありましょう。そのときにこの銀髪の者とも会えるに違いありません」

「ほう、私は人間族の英雄にも会えるのか。まるで自分が大物になったかの気分だな」

「人間族の英雄だけでなく、兄者は各種族の英雄すべてに会うことになるかと。激動の時代には、世界中で時代に合った人材が出てきて活躍するのが相場。兄者はその一人という自覚をお持ちなさるとよろしいかと」

「ふむ」

「きっとこの先、兄者を楽しませてくれる者たちが多く現れるでしょう。楽しみにお待ちくだされ」

「まあ、お前みたいなやつにたくさん会えるなら、それはきっと楽しいのだろうな」


 そう言って、王は王弟に向けていた顔を戻し、また下に広がる雲海を見た。

 王弟もそれに倣ったが、彼のほうは少し首をひねっていた。


「しかし、不思議なものですな」

「何がだ?」

「異性を美しく感じるというのは、この世の生き物が子孫を残していくようにするために、青龍様がそう設計したからでしょう。ならば、なぜ異種族の者まで美しく思うのか。白虎人の血を引く私がこの世に生を受けたように、異種族との交配も不可能ではありませぬ。そのような仕様になっているということは、むしろ青龍様は種族が混ざることを推奨しているということなのでしょうか。それがしにはどう捉えたらよいかわかりませぬ」

「いや、そんな難しい話をされても私はわからんぞ」


 その銀髪の者・ケイは人間でもなく、異性でもないのだが、それはこの二人が知る由もなかった。 




 * * *




「おい。略奪するぞ」

「は?」


 爬虫人族への増援部隊を率いていたオークの隊長は、戦勝の報告のために都に戻ってやかたに行くなり、オーク族のおさにそう言われた。

 なんのことかわからず隊長が聞き返すと、長は板の間であぐらをかいたまま、太い両腕を動かして巻物を広げた。


「これだ。お前はこいつを戦場で直接見たんだろう? どうだった」


 その巻物には、人間族の、黒髪の少年と銀髪の青年が描かれている。

 左の黒髪の少年も魅力的な容貌をしていたが、右の青年の美麗さはあまりにずば抜けていた。

 当然、長が指し示しているのは右である。


「どうだった、とは?」

「絵の通り美しかったのか、と聞いているのだ」

「私が見たときは夜でしたが、かがり火に照らされた姿は、その絵よりも美しかったように感じました。名は、たしかケイと言っていたと思いますね」

「ケイ、か。実物はこれ以上とな。ぜひ余の伴侶の一人にしたい」


 長は緑色の肌の顔から下卑た笑顔を隠そうとせず、そんなことを言い出した。


「それは困難では……。その者はおそらく英雄バクの伴侶です」

「次に戦があったときは、オーク族の精鋭を出し惜しみなくすべて最前線に出動させろ。余の親衛隊も連れていけ」

「いや、それは話が違いませんか。我々の被害を抑えるために『バレない程度になるべく爬虫人族に戦わせる方針にしろ』とおっしゃっていたのは長ではありませんか」

「かまわん。完膚なきほどに大勝し英雄バクも討ち取れば、こやつを捕らえる余裕も出てくるだろう。やれ」


 隊長は長の元を辞すると、館の前の大きな階段を下りながら頭を押さえた。

 誰があんな絵を長に贈ったのか――そう思ったのである。

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