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第41話「本音は、明らかにこっちだ」

 ヴィゼルツ帝国の軍が、また次の遠征へと向かうことになった。

 前回奪取に失敗したオーク族の砦の再攻略を目指すとのことらしい。


 いくらなんでも早すぎる。

 話を聞いたとき、私は真っ先にそう思った。


 感覚的には、まだ戦から帰ってきたばかりというところだ。

 前回の敗戦では死者が多数出ている。

 そのうえ、生きて帰ってきている兵士の中にも、心身ともに消耗しており、まだ軍に復帰できず療養中の者が多いと聞く。回復魔法でも心の消耗や疲労感といったものはなかなか回復できない。仕方のないことだろう。


 その状態で次の遠征である。

 私から見ても尋常な感覚ではない。軍として十分に機能しないままの状態で出陣することになるが、いったいどんな成算があるというのか。


 バクに疑問を投げかけた。早すぎるのではないか? と。

 彼は責任感が強い。それゆえ、失点を取り返したい思いが強すぎて、彼が自ら早めの出陣を願い出た可能性があると思ったためだ。


 だが、私の予想は外れていた。


「俺はもうちょっと軍を休めてからのほうがいいと思ったかな? でも大丈夫! ちゃんと勝って前回のぶんを帳消しにするからね」


 私の膝の上で、訓練によるあざがたくさんできた痛々しい姿にて、彼はそう言った。

 彼だけでなく、帝国そのものが、先の敗戦に焦っているのだろうか?

 わからない。




 遠征の決定を聞いた翌日の夜。


 私の部屋の鏡に、銀色の狼が映っていた。

 これは私である。

 狼人族の地には、ここまでの精度の鏡がない。自分の狼姿をこんなに鮮明に見るのは初めてだった。もちろん特に感慨があるわけでもない。


 久々の狼態となったのは、宮廷賢者ハンサより、夜に宮廷賢者の会議があると聞いたためだ。

 いわゆる盗み聞きが目的である。わざわざ夜に開かれる会議であれば、重要な議題を扱うはず。決定されたという遠征についての話が出るかもしれない。

 人間の姿では万一発覚したときに大問題となるのは確実であることや、闇に紛れるには不向きであることなどから、この姿で窓の外から聞き耳を立てるつもりだった。


 自室の窓から部屋を出た。


 人間とは違う、低い視界。鋭敏になった嗅覚と聴覚が、夜の闇の情報を克明に伝えてくる。


 会議室のすぐ外側の位置へと向かう。

 城の庭には当番の兵士もいるが、会議室が使用中であった場合、窓のすぐ近くには寄ってこないのが慣例。まず発見されることはない。

 もっとも、万一見つかったとしても、人間の兵士に狼態の自分を捕まえることはできないだろう。


 橙の光が漏れる窓の近くに着くと、耳に意識を集中…………するまでもなく、中から声が聞こえた。すでに始まっていたようだ。


 聞いていた開始時間はまだ少し後である。全員が揃えば始まるものなので、こういうことも珍しくはない。

 もう少し早く部屋を出られればよかったのだが、召使としての仕事があったために不可能だった。仕方ない。


「……『次の英雄探し』とはどういうことですか」


 次の遠征と直接関係があるのかどうかはわからないが、いきなりとんでもない言葉が聞こえた。

 その声は、宮廷賢者のハンサのものであった。


「不満か? この場でもっとも異議を唱える資格がない者がお前だ」

「たしかに私が言えた身ではないかもしれませんが、人の運命はそんなに軽く扱ってよいものではないと思います」


 どうやら筆頭賢者とハンサが言い合いになっているようである。

 驚いたのは、ハンサがかなり強い口調で話していることだった。


 彼はバクに対しかなり好意的な人物である。そのためか、私に対しても城内ですれ違ったときにはほぼ必ず声をかけてくる。長めの会話をすることも多くあった。

 よって宮廷賢者の中ではもっとも馴染みがあるのだが、今のような口調で話すことなどとても想像できないほどの温厚な人物に感じていた。

 いったいどうなっているのか。


 さらに聞けば話が見えてくるだろう。

 そう思ったとき、下からまぶしい光を感じた。


「……!」


 今は銀狼の手になっているが、私の左手の指の指輪が青く光っていた。

 非常に都合の悪いときに族長から連絡が来た。今の時間や状況では、光を完全に隠すことが困難。きわめてまずい。


 声を出すわけにはいかないため、一度通信を受け入れてから、すぐに無言で切る。

 一回で状況を察してくれというのは無理だったようで、また指輪は光ってきた。


 もう一度同じことを繰り返すと、今度は取り込み中というのが通じたようで、ふたたび光ることはなかった。

 が、外にいる当番の兵士が光に気づいてしまったのか、松明たいまつの灯りがこちらに動き出すことが確認できた。


 危険を感じた私は、すぐにその場を離れた。

 そのため、ハンサたちがいったいどのような議論をしていたのか、結局よくわからずじまいだった。




 自室に戻り安全が確保できたため、族長に折り返しの連絡を入れた。


 バクが英雄の称号を与えられて以降、軍が初めてはっきりとした敗戦を経験したこと。戦死者や傷病者が続出であり、バク本人も重傷を負ったこと。にもかかわらず、皇帝や宰相、宮廷賢者たちがすぐ次の遠征を企画したということなどを、まとめて報告した。


 また、あまり報告したくはなかったが、私がバクを骨抜きにしたという噂が流れているということも伝えた。


「ほう。そんなことになっていたとは。連絡がないものだから知らなかったな」


 族長の言葉には、あからさまな棘がある。

 バク暗殺を実行できずにいる後ろめたさから、私は族長への定時連絡すら怠っていた。それを暗に咎めているのだ。


「帝都民が敗戦の責任をお前に転嫁しているのは、もうどうでもよい話なのだろうな」

「もとより私は気にしておりません。城の者たちや兵士たちは私のことをかばってくださっていますし」

「そうではない。密偵としてのお前の仕事は、今やあと一つしか残されていないからだ」

「……」

「その調子では、いまだ決心つかずといったところだな」


 これもかなり痛い指摘である。まさにそのとおりだからだ。

 軍が出発してしまう前に早く実行しろと叱責されるのかと思い、身構えてしまう。


「まあいいだろう」


 返ってきたのは意外な言葉だった。

 しかし、安堵は一瞬で霧散する。


「人間族はこれから、戦力が大幅に低下したままの軍で、理由は不明だが勝算不明の遠征をおこなおうとしているのだろう? ならば都合がよいではないか」

「……」

「順当に英雄バクが戦死すればそれでよし。お前が手を下すまでもなくなる。まあもちろん、予想を覆して生還した場合は、あらためてお前が暗殺する必要があるが……。軍の遠征中は時間があるはずだな? その間に決意を固めておくことだ」


 順当に戦死。

 その冷酷な響きに、背筋が凍った。

 なんということを言うのか、と思った。

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