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第42話「答えは……一つしかなかった」

 私は帝都の城の側防塔をのぼると、窓の前に立った。

 空が曇っているせいか、やや湿っぽい風が頬を撫でる。


 窓から、出陣前の儀式がおこなわれている神殿前の広場を見た。


 私は今回、執事長から「神殿前での見送りには、あなたは参加しないようにお願いします」と言われていた。

 これは先日、ペンギンの散歩中に私が帝都民に囲まれ、罵声や投石を受けた事件を受けての措置である。


 あの一件以降、執事長をはじめ城の者たちは、帝都で流れている「召使ケイが救国の英雄バクを骨抜きにした」という噂の火消しに動いてくれている。

 ありがたいことだが、まだ現段階では安全が担保できないということで、外出禁止はやむをえないだろう。


 今日はたまたまこの時間に塔の掃除当番になっていた。

 やはり軍の出陣の儀式が気になったため、手にしたほうきを動かしながらでも、様子を見てみよう――そんな思いで、窓の前に立っていたのである。


「――!?」


 遠くからでもわかるその異様さに、愕然とした。

 箒を持つ手は止まり。衝撃の光景をそのまま呆然と眺めてしまった。


 スカスカ。


 そんな言葉がぴったり当てはまるほど、兵士の数が少なかった。前回より少ないのは当然ではあるのだが、それにしても不自然なほど少ない。

 私の視力は狼人族の中でもかなりよいほうだ。ここからでもある程度は細かく見える。なおも観察をしていく。


 他にも異変があった。

 バクの姿は見えるのだが、いつも出陣式で近くにいる将軍が見当たらない。他の軍幹部の姿もない。


「ケイ、心配になる気持ちはわかります」

「……! 執事長」


 振り返ると、スラリとした長身の老年男性。執事長だった。

 驚いた。気配に気づかなかったためである。


「兵士の数がが少ない。そう思ったのでしょう?」

「はい、そのとおりです」


 執事長は私の隣にやってくると、外の景色を見た。


「事情は宰相様や将軍様から聞いています。『先の戦の被害が大きく、休ませなければならぬ兵士が多数いる。兵力はいつもほどには用意できない』とのことでした」

「将軍の姿が見えないのは?」

「あなたは目がよいのですね。将軍をはじめ、軍の上層の多くは前回の敗戦のことがありますので、謹慎という名目で帝都に残るそうです」

「……」


 執事長は、今回の戦で総指揮を執るのは“新たに副将軍に抜擢された人物”であるということを説明してくれた。

 その者の名も教えてくれたが、城で働いていた私でも普段ほとんど聞くことがないような人物だった。


 これは……。




 二日が経過した。


 午前の仕事が全部片付くと、私はいったん自室に戻ってきた。

 ペンギン親子に食事を出し、なんとなくベッドに腰かける。


「ケイは心配しなくていいからね。ちゃんと勝って帰ってくるから」

 バクは出陣前に私に対しそう言っていたが、ここにきて心配は増すばかりだ。


 薄々そうなのだろうとは感じていながらも、あまり考えたくないので考えないようにしていたことがある。

 もう間違いはないと思う。


 バクは、帝国上層部から見限られたのだ。


 彼はもともと英雄の称号に見合う実力のある人物ではなかった。その中身は、同年代の子よりも少し剣ができる程度の普通の子供である。


 前回の敗戦時よりもはるかに少ない兵力。しかも総指揮を執るのは、とってつけたように急遽副将軍に任命された無名の将。

 バクが無事に帰ってくることができる可能性は……どの程度あるのだろう。


 バクをここで切るという発案をしたのは、宰相なのか、筆頭宮廷賢者なのか、将軍なのか。そこまでは私にはわからない。

 ただ、今回は無理に兵力を増員せず、常勝神話が崩れたバクについては見捨てよう、ということで話がまとまったのは間違いないのだろうと思う。


 奇跡的にバクが勝つならそれでよし。バクが敗れて戦死するなら、「帝国のために美しく死んだ」などと発表して、うまく帝国民の士気向上につなげようとしているのではないか。

 そして今回の戦で生き残った者から、帝国の首脳や軍の首脳から見て扱いやすく、帝都民に人気が出そうな若者を選び、新たに英雄の称号を与える――。


 あの夜に宮廷賢者の会議から盗み聞きした『新しい英雄探し』という言葉も、それならば矛盾しない。


 もちろんバク本人は、そんなことはつゆ知らずというところだろう。

 国のため、民のため、軍の信頼を取り戻すため、そしておそらくは私の立場のためにも、この戦いに勝つ気で出陣しているに違いない。

 もっとも、彼のことなので、知っていたとしても行動は変わらなかっただろうが……。


 そして狼人族の族長からは、彼が戦死ならそれでよし、生還した場合はあらためて彼の命を奪え、という指示が出ている。


 私はどうすればよいのだろう。


「ケイよ。私にはお前の気持ちの乱れが手に取るようにわかる。そう簡単に心を読ませては戦士失格だぞ」


 日に日に背丈が伸びている子の『一号』を短い手で撫でながら、ペンギンが小さな専用ベッドの上から話しかけてきた。


「私は召使ですよ」

「前にも言った。私はお前が召使とは思っておらん」


 ペンギンはベッドから小さく跳ねるように飛び降りた。

 一号がそれに続く。


「ついてこい」


 ペンギンはそう言うと、鍵のついた紐を首にかけ、部屋を出ていく。

 私はそれを追った。




「この部屋は……」

「そうだ」


 ペンギンが足を止めたのは、バクの部屋であった。

 いちおう彼女の保護者はバクということになっている。そのため、彼が遠征に出ておらず長期で城に滞在しているときは、基本的に彼女はバクの部屋で寝泊まりしていた。すでにこの城に住むようになって日数が経過していることもあり、慣れた足取りだった。


「ケイは中に入ったことはあるのか?」

「いえ、まだ一度もありませんよ。私はこのあたりの掃除当番になったことはありませんので」

「その答えはバクが気の毒だな。用がなくても鍵を盗んで覗くなどくらいはしてやらねばならぬぞ」


 いやそれはさすがにどうなのか、と思っていると、ペンギンは首に下げていた鍵を器用にくわえ、扉の鍵を開けた。


「ホラ、入ってみろ」

「しかし」

「よい。私が許す」


 強引に見させられたバクの部屋の内部は、異様な景色だった。

 大きさこそ部屋に見合っているが、飾り気に欠けるベッド。天板に何も置かれていない机。そして私の部屋にあるものと同じくらいの、ペンギン用の小さなベッド。

 それくらいしかない部屋だった。


「驚くよな。国の英雄様の部屋とは思えないだろう。まるで空き家だ」


 身分が高い者の部屋にありがちな高級な置き物などがなく、部屋に飾り気がまったくない。そもそもモノがない。

 バクが贅沢を好む性格であると思ったことなどは一度たりともないが、それにしても何もなさすぎる気がした。

 きれいと言えばきれいだが、生活感がないという表現も合うかもしれない。

 たしかに空き家のようだ。


「気になったので本人を問い詰めたことがある」

「どうだったのですか?」

「うむ。バクは受け取っている俸給のほとんどを、生まれ育った教会に寄付し続けているのだ」

「……。それは初めて聞きます」


 彼が幼少のころに両親と別れ教会で育てられているというのは、だいぶ前に密偵として調査をしているため、私も知るところである。

 しかし、その恩返しを今に至るまで続けていたということは初耳だ。


「あやつは『ケイには言ってないよ』と言っていた。自慢するのはカッコ悪いからとのことだ。まあ、そのあたりは年頃の少年らしいと言うべきか」

「……」

「もう一つ、お前の知らなそうなことを教えてやるぞ。この部屋はきれいだろう? ここの清掃当番の召使に聞いたとこがあるが、以前のバクはゴミはそのままにしたり脱ぎっぱなしの服を放置したりで、掃除したそばから汚していくものだから、部屋はいつもひどい有様だったらしい」

「そうなのですか」

「ああ。割とそのあたりは無頓着だったようだぞ。だが、あるときを境に急に変わったそうな」

「あるとき?」

「お前が召使として城に入ったとき、だ。『ケイに見られたらヤバい』と言い出して毎日片づけるようになったらしい」


 思わず、想像してしまった。

 顔を赤らめて慌てる彼の姿が目に浮かぶ。たしかに、彼なら言いそうだ。


「なるほど。しかし、なぜそれを今、私に」

「本人の死後に知りたかったのか?」

「……!」


 そのペンギンの言葉は、雷鳴のように私の頭を撃ち抜いた。

 あなたまで不吉なことを――とは思わなかった。

 身近な立場から言ってくれたことに、感謝した。


 もう一度、がらんとした部屋を見回す。


 そして、彼が使っていたベッドに吸い寄せられるように近づいた。

 シーツは剥がされて回収されているが、羽毛を詰めた布のマットレスは敷かれたままだった。


 かたわらに膝をつき、そっと頬を寄せた。

 かすかに、だがたしかに、バクの匂いが残っていた。


 立ち上がり、ペンギンに向き直る。

 彼女は私の目を見ると、小さく頷いた。


 私がこれからなすべきことは何か。

 その答えはもう、一つしかなかった。

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