バクのもとへ行く。
その気持ちは固まった。
自室の隅に置いてある剣を持ち、腰に差した。
ペンギン親子についても、私とともにバクのもとへ行くという意志が固かった。私が引き止めるのは筋が通らないため、一緒に旅立つことになった。
準備は完了。
あらためて気持ちを整える。
これから私がしようとしていることは、私の派遣元である狼人族族長の意向に対し、明確に反する行動となる。
そして、派遣先の上司である執事長の言いつけに対しても反することになる。
今の私は、従軍どころか出陣式にも参加不可であり、城外への外出すらも許可が必要と言われている状態だからだ。
当然のことながら、狼人族の族長には相談などできない。執事長にしても、相談したところで引きとめられることは間違いないと思った。
よって、心苦しさはあるものの、あえて両者には何も言わずに城を出発しようと思っていた。
派遣元、派遣先、どちらの立場も失うことになる可能性が高いのは承知の上だ。
自室の扉を開け、ペンギン親子とともに廊下を進む。
すると……出会ってしまった。
「追いかけるのですね。バク様を」
長身の老年男性、執事長だ。
その言い方からすると、どうやら私の考えは見透かされていたらしい。
「お見通しでしたか。申し訳ありません」
頭を下げた。
彼は直属の上司。本来であれば、私は彼の命令を聞かなければならない立場だ。
もちろん今は引きとめられたとしても、従うつもりはない。
「安心してください。あなたが本気であるならば、私は引き止めません」
しかし下げた頭に降ってきたのは、予想に反して穏やかな言葉だった。
私もそれを受け、素直に告げようと思った。
頭を上げ、打ち明ける。
「ありがとうございます。私は回復術師としてだけではなく、彼の盾となるべく、剣士としても行ってまいりたいと思います」
腰に差した剣はただの形作りではない。敵を相手に振るうためのものだ。
バクが戦う戦場の最前線まで行き、そして彼を守るために戦う。そのつもりであることを、執事長に伝えた。
それについても、彼にとっては想定外なことではないようであった。
「私も昔は少し武芸をかじっておりました。この城に入ってくださったときから、あなたの雰囲気が平凡な召使のものとは異質であることは感じております」
あらためて執事長の灰色の瞳を見た。
その眼光は、限りなく穏やかだった。
どこか、懐かしかった。
似ていた。
狼人族の地を離れるとき、私を見送ってくれた両親のそれに。
あのときも『族長の特命』としか説明が許されていなかった自分を、両親は温かく送り出してくれていた。
この地では今、私は英雄バクにとって害悪な者という悪評が流れている。しかも、今まさに上司の命令に背こうとしていたところである。
にも関わらず、執事長も……。
「私を、信用してくださるのですね」
「自分にはわかります。あなたは悪意を持ってバク様をたぶらかしたりするような人ではありません。まったくの逆でしょう。バク様はあなたに出会ったことで確実に成長なさったように思います。帝都で広まっている愚かしい噂など、聞くに値しないものです」
どうか、バク様をよろしくお願いします――。
執事長は私よりも深く頭を下げてきた。
傍らでは、ペンギンが小さな頭でこくりとうなずき、子の『一号』は私たちのやり取りをじっと見ている。
「ですが、私はこれでもあなたの上司です。やはりあなたの身のことは案じております。少し外に出ただけで民に囲まれてしまうような状態であるならば、バク様のもとへたどり着くまでに万一のことがなければよいのですが」
「それについては、ぼくにお任せください」
「おお……これはハンサ様」
爽やかな声とともに、金髪碧眼の青年が現れた。フードはかぶっていない。
ここでちょうど現れたというのは、彼も執事長と同じく、私がバクを追うということを察知して待ち構えていたか。もしくは――。
「末席とはいえ宮廷賢者のぼくが一緒であれば、どこに立ち寄っても石を投げられることはないでしょう。ともに行かせてください」
ここでやや執事長の顔が曇る。
「あなたのお立場は?」
「今は帝国にとって代えがたい人材を失う危機だと思っています。こうなった以上、立場など要りません。筆頭賢者様には書き置きを残していきますが、このまま解職となっても本望です」
そう答えるハンサの碧い瞳には、揺るぎない意志の光が宿っているように見えた。
執事長もそれを感じたのだろう。すぐに表情を戻し、一礼して礼を述べた。
「ケイの上司として感謝申し上げます。どうぞよろしくお願いいたします」
私もそれに追随した。
「感謝します。戦場の最寄りの街までお供いただけるのであれば、こんなに心強いことはありません」
「いえ。最寄りの街までと言わず、戦場まで、バク様のところまで、お供させてください」
「……!」
予想外の言葉に、私は驚きを隠せなかった。
「本来は召使であるあなたが、回復術師として、さらには戦士として戦場に赴こうとしているのです。あなたのように一人三役は無理ですが、ぼくも宮廷賢者としてだけでなく、一人の戦士としてもお力となりたい。骨を戦場に
廊下の窓から、風が吹き込んできた。
彼の外套が小さくめくれ上がり、腰に差した短剣が見えた。
彼がそこまでバクに肩入れする理由は、まだよくわからない部分もある。だが彼の雰囲気から、その覚悟が本物であることは疑いようもなかった。
きっと彼は一人でも行くつもりだったのだろう。私から言うことなど何もない。
私は執事長に向き直り、もう一度頭を下げた。
「では行ってまいります。私はあなたの下で働けたことを誇りに思います」