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5章

第45話「とんでもないものを見た」

 爬虫人族の地より東。ヴィゼルツ帝国の地より南。

 オーク族の領土内にある、深い森の中――。


 舞い上がった土埃が、視界を極度に悪くしていた。

 本来オーク族の地は、爬虫人族の地のように乾燥はしていないはず。森の中であればさらに湿度が高いはずなのだが、戦闘の熱気か、あるいは何か別の理由か、視覚的には異様な乾燥感が漂っていた。


 耳には、ときの声や金属音、足音、武器の交わる音、兵の叫びなどが、渾然一体となり、形容しがたい音となって絶えず届く。


 この先、オーク族と爬虫人族の連合軍と、人間族のヴィゼルツ帝国軍との間で、激しい戦闘がおこなわれているのだ。


 ついにここまでやってきた、私と宮廷賢者ハンサの二人。

 この場所が戦場になっていることに、まず驚いた。

 ヴィゼルツ帝国が攻略を目指している砦からは、まだ相当に離れている場所だったからだ。


「きっと待ち伏せされていたんだと思います。森の中ではやはり我々人間族は不利。少々まずいですね」


 若き宮廷賢者ハンサはそう言う。

 人間族はあまり森の中での活動を得意とはしていない。ハンサにしても例外ではないだろう。

 私も同様だった。狼人族の地では北部に針葉樹の森が存在するが、やはりオーク族ほど森が得意というわけではない。


 もちろん、それでも行かなければならない。

 両軍が森の中で入り乱れて戦っている中を、二人で進むことになった。


 目指すは、おそらく一番先で戦っているであろうバクの部隊だ。




 一見、両軍とも秩序を失っているように見えた。

 が、おそらくオーク族と爬虫人族の軍にとっては予定どおりなのだろう。


 ヴィゼルツ帝国軍側だけが想定外であり、木々や視界不良で細かく分断され、ほぼ個人戦に持ち込まれてしまっているというのが実状なのかもしれなかった。


 私たちは木々をかき分け、進もうとする。

 すると、すぐに敵が来た。

 木陰から現れたオークが槍を突き出してくる。


「……っ!」


 身を翻してかわし、剣で槍の柄を両断した。

 そのオークはすでに全身が血まみれだった。ただの棒になった槍を捨てると、背中に背負っていた剣を抜き、襲いかかってくる。


 私にとっては、さほど脅威となる斬撃ではなかった。あまり剣の扱いに優れているようには見受けられない。

 難なく受け止め、逆に力を込めて剣を遠くに弾き飛ばすと、攻撃手段を失ったオークは逃げていく。


 私は去る敵は追わず、横にいるハンサをすぐに確認した。

 彼の戦闘能力は未知数だった。

 宮廷賢者であれば戦闘の経験はほとんどないはずなので、場合によっては彼を補助しながら進むことになるかもしれないとも思っていた。


 見ると、まさに彼も、反対側の木陰から現れたオークの槍をかわしたところだった。

 宮廷賢者の身分を示す立派な外套を翻しながら、軽快な短剣捌きでオークを撃退していく。


 密かに戦いの修行も積んでいたのだろうか? そう思ってしまうほど、普段の物腰からは想像もつかない俊敏な動きと、冷静沈着な表情だった。


 驚きながら彼を見ていると、彼もわたしのほうをを見てきた。


「ぼくのほうは驚いてませんからね?」


 まるで、私の心の中を読んだかのような彼の言葉。


「執事長さんと同じ意見です。あなたは最初から召使の雰囲気じゃなかった」


 そう言うと、彼は次の敵に対応していく。


 私の驚きはそれだけにとどまらなかった。

 私が次のオークを相手にしていると、彼に対しては剣を持った二人のオークが向かっていった。

 対応できるのか? と、私が目の前のオークを退けながら思ったとき、見えた。

 いや、“見えてしまった”。


「――!?」


 彼は先に来たオークの斬撃を短剣で受けると同時に、空いていた左の手のひらを続いて来たもう片方のオークに向けた。

 その手のひらから大きな炎が出て、一瞬だけオークの全身を包み込み、そして消えたのである。

 突然に全身を焼かれたオークは甲高い悲鳴を上げ、顔を押さえて後方に転がっていく。

 ハンサはその隙に短剣を巧みに操り、最初に来たオークを片付けた。


 炎を浴びたオークのほうは走って逃げていった。が、遠ざかって土煙に映る影だけになったところで、その影が固まり、倒れた。力尽きて倒れたか、他のヴィゼルツ兵に倒されたようだ。


「詠唱をしたようには見えませんでしたが」


 それは、この世界の魔法の常識を覆すものだった。

 驚かないわけにはいかない。


 基本的に戦の場では、魔法に実用性はないとされている。

 詠唱と精神の集中が必要なうえに、威力があまりにも微弱であるため、対人戦においては実用に耐えるものではないのだ。今は日常生活において火をつけたり水を出したりという活用法にとどまっている。

 ヴィゼルツ帝国では宮廷賢者が戦争での応用を研究中であることになっているが、成果はあがっていない、あがる気配すらないと聞いていた。


 このハンサという人物にしても、三歳で魔法を使用した天才児とされているが、最年少で宮廷賢者となってからは特段の研究成果をあげていない……はず。

 しかし今見たものは、私の幻覚でなければ、殺傷能力を持つほどの威力を持ち、非詠唱で発動された、火の魔法――。


 私の調査に漏れがあった? いや、おそらくそうではない。

 なぜ?


 ……。


 開発しても、誰にも言わなかった。

 同じ宮廷賢者にすら秘密にしていた。


 それくらいしか考えられない。


「あ、見えてしまいました? 一瞬で消えるように撃ったつもりでしたが」

「ええ。割とはっきりと。どうやら私は他の者より目がよいようなので」

「すごいなあ、ケイさんは」

「なぜ秘密になさっていたのですか。大発明なのに」


 彼は微笑んだが、得意げな色は微塵もなく、その表情にはむしろどこか寂しげな影を帯びていた。


「そうですね。魔法は生き物を傷つけるためではなく……」


 新たにやってきた一人のオークを倒すと、彼は続けた。


「……生き物を幸せにするためにこそ、存在してほしかったからですかね」


 軍事に利用されることが嫌だったから。

 そういうことか。


 ただ、そうであれば、他種族とはいえ生き物を傷つける魔法を、こうやって使用しているというのは……彼にとってしんどいことのはず。

 それでも彼が、信念を曲げてまでこの場に来たということは――。


 私の頭の中で半ば勝手に思考が巡っていくが、目の前に敵がわらわらと湧いてくる。


「話している場合ではなくなってきましたね。とにかく今は片付けて進みましょう。バク様のもとへ」

「はい。失礼しました」


 私も同意し、目の前の戦いに集中した。

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