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第46話(また現れた……!)

 鬱蒼とした森。人間族の間では原始より、本来は立ち入るべきでない領域とされてきた。

 なぜなら、どんな危険が潜むかわからないところであるから。


 鼻を潤す、土と緑の匂い。そして木々のわずかな隙間より差し込み、目を癒す柔らかな光。不思議なほど人間を魅了する森の力も、誘い込むための餌であると考えられてきた。


 森での生活を得意とする知的生物・オーク族の存在が確認されてからも、人間族の森に対する意識が大幅に変わったわけではなかったという。


 切り開かれていない森の中は、大地の北に広がる荒々しい海と同じ。ブルードラゴンの加護を受けることができない世界。

 人間は今も、そんな教えを受けて育っている。


 しかしそれでも、今ここで繰り広げられている戦いの光景の恐ろしさを想像できる人間族の者は、いないに違いなかった。


 舞い上がる粉塵。

 おびただしい血による鉄臭さ。

 焼けつくような熱気。


 それらは深き蒼の香りを塗りつぶし、この地獄のような景色を一層際立たせ、まだ生き残っているヴィゼルツ帝国の兵士たちの希望を飲み込もうとしていた。


「――っ!」


 深い森の中でも、狭いながら部分的にやや開けた場所。

 軍の先頭で戦っていたバクは、また一人のオークを退け、奮闘を続けていた。


 彼の耳にも、絶え間ない喧噪けんそうが叩きつけられている。

 味方の悲鳴、剣戟けんげきの鋭い響き、鈍い打撃音、木々が薙ぎ倒される音――それらが一体となり、方向感覚すら奪うような騒音となって森全体に反響していた。


 また一人、木の陰から現れたオークをなんとか片付け、敵が見えなくなってから、バクは周囲を見回した。


 部下の姿を確認するためだったが、木々の隙間から差し込む陽光が土埃に乱反射しており、視界は極めて悪かった。部下たちが今どこでどうやって戦っているのか。それすらも把握が困難となっている。


 ヴィゼルツ帝国軍は完全に罠にはまり、深い森の中で待ち伏せされた。指揮系統は寸断され、ほぼ個人戦のような様相を呈しており、各所で孤立した部隊が各個撃破されつつあった。

 ただでさえ森の中に苦手意識のある人間族。ましてや戦ともなればなおさらである。利は完全に敵側にあった。


 バク自身も直属の部隊を率いて先陣を切っていたのだが、今やその隊列は見る影もなく崩れていた。

 ぱっと周囲を確認しても、誰も見えない。


「みんな! 無事!?」


 バクがそう叫んで周囲を見回すと、横からぼんやりと影が現れ、それが実体化していく。


「僕はいちおう無事ですが……戦況が悪すぎますね」


 現れたその一人は、青い髪をところどころ血で赤黒く染めているシンであった。


「まあ、あれだ。前回と同じところを同じように通って攻めようとしたら、そりゃこうなるってもんだ」


 赤髪の大男バロンも続いて現れた。

 部隊随一の体力を誇る彼も両肩が上下しており、疲労を隠せないでいる。


「総指揮役が今回初めてという人ですからね。工夫する余裕もなかったんでしょう」


 二人が言葉を交わしているうちに、他にも部下が数名現れ、お互いの生存を確かめ合った。

 この乱戦のなか、同じ部隊の者の無事な姿を見るだけでも多少の安心感は得られる。現れない者については心配だが、無事を祈るしかない。


 そして、そこから状況は一段と悪化することになった。

 バクたちの前に広がる粉塵に、またいくつかの影が映ったのである。


 今度は部下たちでないということがすぐにわかった。影のうちの一つが、異様な大きさだったためだ。

 一層の緊張がバクたちの体に走った。


 喧騒に交じり「ぐあっ!」という不吉な短い悲鳴が聞こえたのちに、影たちは実体化した。


 同時に、鮮血にまみれた人間の兵士の首が転がってきて、バクたちの目の前で止まった。

 観察する余裕がある者などいなかったが、その首の切断面は鋭利な刃物で切られたような平坦なものではなく、千切られたようになっていた。


 現れた彼らは、オークではなかった。

 顔は人間に近いものの、皮膚の色は茶褐色や暗褐色をしていた。尻からは、尻尾。

 爬虫人である。


 ただ、一般的な爬虫人の兵士たちとは明らかに違っていた。

 中央かつ先頭にいる者は、通常の爬虫人の二倍はあろうかという背丈だった。人間としてはかなり体の大きなはずのバロンですら見上げなければならぬ、そんな巨躯きょくを持っていた。

 他の爬虫人も、複数以上の尻尾を持つ者、二対四本の腕を持つ者、この乱戦下にもかかわらず半裸で武器を持っていない者など、いずれも異様な雰囲気だった。


「……やっぱり、この前の!」


 バクたちが彼らに遭遇するのは、これで二回目。

 先の戦いの敗因の一つであり、そしてバクも重傷を負う原因となったのが、この爬虫人の異形部隊による猛威だったのである。


「また嫌なときに現れたな。ま、今回はちょっとは違うところを見せられるかもな? バク様」


 そう言って武骨な大剣を構えたバロンが見据えた先は、中央にいる巨体の爬虫人である。


「うん。みんなよろしく頼むよ!」


 バクがそう激を飛ばし、剣を構える。

 他の者も全員それに倣った。


 先の戦では、特にバクの隊はこの異形集団にこっぴどくやられており、ただならぬ雰囲気に気づいた他の隊が助けに入っていなければ、隊が全滅していた可能性すらあった。

 そのため帝都に帰ってきてからは、軍としてはもちろん対策を重ねてきていたが、バクの部隊としても独自に演習をこなし、準備をしてきていた。


 全員元気な状態で遭遇することが理想ではあった。が、ここは戦場。敵が彼らだけではない以上、それは仕方ない。


あれ・・がいない! バク様! 上――」


 シンが真っ先に気づき、叫ぶ。前回の経験はここでも生きた。

 言葉の途中に、それ・・はすでにやってきていたが、間に合った。


「っ!」


 空から放たれた巨大な矢の如し攻撃を、バクが間一髪のところで避けた。

 強い風圧。

 皆、腕や手で目にちりほこりが入らぬようにしつつ、目は離さない。


 激しくのぼる土煙。

 それ・・は、空より急降下しながら攻撃してきたのである。


「気づかれたか」


 先の戦でヴィゼルツ帝国軍の兵士を最も苦しめた一人であるその爬虫人は、着地の体勢から立ち上がった。


 その腕と体の間には、飛膜が存在した。

 通常の爬虫人ではありえない身体的特徴であった。


 この急降下攻撃が新たな戦闘開始の合図となったかのように、異形爬虫人たちが動き出した。

 バクたちも疲労で重い体に喝を入れながら、この異形部隊を想定しておこなっていた訓練の動きを再現すべく、一斉に動いていく。


 バクの部隊の中では長い兵士歴を持ち、歴戦の兵と言ってもよいバロン。

 彼はその人間離れした大きな体を盾にするようにして、バクを狙おうとした巨体の爬虫人の前に立ちはだかった。


 一般的な爬虫人がよく使っている曲刀ではなく、重厚な戦斧による攻撃。それを、赤髪の大男は自慢の大剣で受け止めた。

 火花が散り、金属同士がぶつかる甲高い音が響く。

 赤髪の大男・バロンは小細工なしに、巨体の爬虫人の攻撃を受け止め、そして反撃していく。


「くそ、やっぱり馬鹿力だな」


 この爬虫人の力を何度も受けられる膂力があるのは、彼しかいないと考えられていた。訓練でも、彼がまずこの巨体爬虫人を引きつけることになっていた。


 それでもやはり何もかも質量差があるため、徐々に押し込まれていってしまうが、その間にバクやシンをはじめとした各人が他の異形爬虫人の数を減らしていく。それが基本的な戦い方とされた。


 そのとおりに、バクを含め他の者たちは、それぞれ他の異形爬虫人たちを相手にしていった。


「上!」


 ふたたびシンの叫び。

 空からの攻撃については、シンをはじめ剣技に優れ余裕ができやすい者が常に警戒を怠らず、気づいたらすぐ声を出すことになっていた。


 この異形爬虫人軍団、先の戦の後におこなわれた分析により、戦闘技術そのものは荒削りで大したことはなく、素人同然の者すらもいたことが報告されている。


 連携の技術も未熟であり、要は基礎能力の高さや異能力だけで戦っているということで、訓練においては、役割分担をしっかりおこない、慌てず対応できれば十分に戦える、という結論になっていた。


 しかし――。


「うっ……!」


 滑空しての攻撃の対象になったバクの部下の一人が、かわし切れず、吹き飛ばされた。

 ここまでの戦闘ですでに体力を削られ切っていたため、頭で思い描いている動きに対し、実際の動きがついていっていないのだ。

 そこに、今そのバクの部下と剣を交えていた異様なほど手足が長い爬虫人が、さらに襲いかかる。


「うあっ」


 慌てて立ち上がり、力強い斬り上げを剣で受けるも、また吹き飛ばされた。

 緻密な訓練をこなしてきても、そのとおりに動けなければ厳しい。すぐにほころびが出始め、バクの部隊は徐々に苦戦の沼に沈んでいった。

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