どれくらい時間が経っただろうか。
それほど長い時間ではなかったのかもしれない。
バクの周囲からはすでに人間の声がしない。
森の中の喧騒自体も徐々に遠くなっており、あたりは熱が収まってきているような気さえした。
そしてバクの眼前には、異形爬虫人が一人、二人と増えてきていた。
バクの部下を片付け終えた異形爬虫人が加勢してきているのである。
装備品のおかげで致命傷こそないものの、いつのまにか一対多数となっており、もはや一方的になぶられ続ける展開であった。
鎧があっても、体の中にまで届く衝撃によるダメージはどうにもならない。
「うあ゛ああっ」
バクがもう何度目かもわからぬ攻撃を受け、飛ばされた。
「ごふっ……ぅぐっ……うあぁ……あぁっ」
口からは鮮血が噴き出し、仰向けであえぎながら激しい苦痛に全身をくねらせる。
すぐに、倒れている場合ではないと、剣を杖のように使って起き上がろうとした。
が、もはや限界であった。
「……ぅ……」
小さなうめきとともにふたたび崩れ、膝をつく。
顔だけは前を見据えるが、すでに虚ろとなっていた目に映るのは、交戦開始直後からバクと相対していた異様な筋肉の爬虫人をはじめ、巨体の爬虫人、腕が四本の爬虫人、手足が異様に長い爬虫人など、勢揃いしている異形軍団。絶望的な光景であった。
「バク様……!」
すでに地に沈み放置されているシンやバロンは、手足を動かしてもがくものの、上半身を起こすのが精一杯で、立ち上がるまでには至らない。
「これで、終わる」
異様な筋肉の爬虫人が言った。笑みを浮かべてはいない。ため息まじりで、その目もどこか遠くを見ているようだった。
「やっと、英雄バクの首が手に入る」
腕が四本の爬虫人も、どこかホッとしたように言う。
そして巨体の爬虫人が、戦斧を下げたまま、横並びから一歩前に出た。
「英雄バク。おれたちはお前になんの恨みもない。でもおれたちの村のために死んでもらわなければならない」
やはり笑顔もなければ、うれしそうな声の調子でもない。この戦争とは関係なく、彼らの長い戦いが終わる――その感慨だけが詰まっているようであった。
ポタポタと戦斧の先から血を垂らしながら、巨体の爬虫人が、まだ起き上がれぬバクに対し、一歩、また一歩と、ゆっくり近づいていく。
「待て」
その声で、爬虫類の足がピタリと止まった。
「誰だ」
横方向の土煙から新しい影が浮き出て、そして実体化した。
現れたのは爬虫人ではなかった。露出している顔や腕の肌は緑色をしている。オークだ。
人数こそ一人だったが、はっきりと輝く胸当てを着けていた。体躯もひときわ隆々であり、一般的なオーク兵と同じ雰囲気とは言い難い。
バクは知る由もなかったが、オーク族の
さらに絶望的な状況になった。
ただしそのオークは、豪華な装飾の槍をまだ構えてはいない。
「覚えてはいないだろうが、私は長の親衛隊の者だ。とどめを刺すのは少し待ってもらおうか」
「なぜだ」
「確認したいことがある」
何が起こっているのか、バクには理解できなかった。
仲間割れのようには見えない。
そのオークはバクに顔を向けると、見かけ同様に若い声で問いを発した。
「お前が人間族の英雄バク、だな」
やや訛りはあるものの、十分に聞き取ることができる。
「お前が常に侍らせているという、銀の髪の召使……ケイという名前らしいな。ここにいるのか? いるなら我々によこしてもらおう」
バクは混乱した。
敵がケイの名を知っている理由。そして今この戦場で、かつこの状況で、召使である彼の引き渡しを要求する理由。それがわからないのだ。
どういうことなのか?
ダメージで頭の回転が鈍っていることは関係なく、わからない。
だが、すべき答えは一つだった。
「……いない……いたとしても……渡さない」
いまだ立ち上がれないバクは、かすれた声で返した。
「いないか。その場合はお前のほうを捕らえるように命じられているが……」
そこでオークは初めて立派な槍を構えた。バクはまだ構えられない。
今度はそこに巨体の爬虫人が待ったをかける。
「いや、英雄バクは、命を奪う必要がある」
にらみ合うという雰囲気ではないが、異形爬虫人たちは全員オークを見ている。
オークのほうはそれを受け、槍を一度降ろしたが、特に爬虫人たちの事情などについて聞くわけでもなく。落ち着いて返した。
「心配は要らない。こちらの長の話では、英雄バクは銀髪の召使を入手するための餌にするとのことだ。おそらく用済みになれば殺害許可が出るだろう」
爬虫人たちは言葉を返さない。
が、オークのほうはそれで話は終了だと言わんばかりに視線を外し、ふたたび槍を構える。
「ここにいないとなると……後方の陣地にいるのか、それとも帝都にいるのか。それとも……」
バクに近づいていく。
「ここにいるのに嘘をついているか、だな」
戦意だけはあるバクが起き上がろうとするも失敗し、また小さなうめき声をあげ、尻餅をつき、倒れた。
そこに、槍先が突きつけられる。
「念のために聞く。今その銀髪の召使はどこにいる? 以前に戦場にいたことが目撃されている。近くに隠れているのではないか?」
そのときだった。
「――!?」
突然金属音がして、そのオークの槍が弾かれた。見えない何かがぶつかったかのようだった。
あまり強く握りしめていなかったのか、槍が手から離れ、近くの地面に落ちる。
オークは何が起こったのか理解しているわけではなさそうだったが、戦士の勘で危険を察し、素早く槍を拾い上げ、距離を取った。
「銀髪の召使というのが私のことでしたら、ここにいますよ。もっとも、隠れていたわけではなく、今到着したばかりですが」
大きくはないが、凛とした、よく通る声。
「……!?」
すでに力が失われていたバクの首が、勢いよく回った。それは紛れもなく、銀髪の召使ケイのものだったからだ。
影が、二つ浮き上がる。
そして、透明な風が一つ、このやや開けた場所を強く吹き抜けた。
それはただよう塵や
苦痛で開ききれていなかったバクの黒い瞳も、完全に見開かれた。
銀色の髪をきらめかせる青年召使が、剣を手にしながら、アイスブルーの瞳で鋭くオークを見据えている。
そして、明るい金髪に碧い瞳を持つ宮廷賢者が、左手に短剣を握りつつ、右手のひらをオークに向けている。
「ケイ……! ハンサ……」
厳しい表情での登場だった。
しかし、膝をついたままのバクの口から自身の名前が漏れると、両名ともわずかにそれを緩ませたように見えた。