「ケイ……! ハンサ……」
驚愕に見開かれた瞳で私を見上げていたバク。その姿を見て、そして声を聞いて、私は少し安心したのだと思う。
血と汚れにまみれ満身創痍でも、声が弱々しくかすれていても、生きていてくれていたことには変わりなかったから。
「な、なんで……また……来ちゃったの」
「助けるためです。帰れと言われても帰りませんのでよろしくお願いします。そのままそこで休んでいてください」
間に合ってよかったと思った。
この少し開けている場には、私とハンサ以外に立っている人間が一人も見当たらない。バロンやシンをはじめ、バクの部下たちの姿も確認できるが、全員がバクとたいして変わらない状態に見えた。
かなり危ないところだったのではないか。
最悪の事態だけは避けられた。
さて。どうやら実は非常に高い戦闘能力を持っていたらしい宮廷賢者ハンサとともに、この状況からどう戦っていくか……
と、考えなければならないはずなのだが、私の頭はすぐに切り替わらなかった。
……。
ハンサの魔法――おそらく氷球――で弾かれた槍を拾い上げている、一人の青年オーク。
いかにも手練れといった風情ではあるが、ここはオーク族の地であり、敵軍の主となっているのはオーク族。となれば、強敵となる者くらいはいるだろう。彼については特に意外性などはない。
しかし、少し離れてこちらを見ている爬虫人たちはまったく別だった。
最も目立つ巨体の爬虫人はもちろんであるが、他にも明らかに身体的特徴が規格外である者たちが、六名。ずらりと並んでいる。
異形の爬虫人で構成されている集団が、前回の戦から参加している――それはバクの口からは聞いていた。
あまりに他の爬虫人とは異なっているため、特化した対策がないと戦えないという話も聞いていた。そして、そのための演習を、ヴィゼルツ帝国軍全体でも、バクの部隊独自でもおこなっているという話も聞いていた。
それでもなお、驚いた。
実物は想像をはるかに上回る、異様な雰囲気であった。
――これは大変そうだ。
前回の戦では、異形爬虫人は十人ほどが参加していたそうだが、うち三人くらいは倒せたか重傷を負わせたと聞いている。爬虫人族もオーク族も回復魔法は人間より不得手であるはずなので、生きていたとしてもまだ傷が完全に癒えておらず、今回は出てこられなかったのだろう。
ただ、逆に言うと、今ここにいる者たちは前回の戦でバクたちを圧倒し、なおかつ軽傷もしくは無傷で済んでいた強者たちということになる。きつい戦いになりそうだ。
隣に立つハンサも、やはり厳しい表情をしている。彼も同じようなことを考えているのかもしれない。
私としては、本当は相手――特に異形爬虫人たち――が実際にどんな戦い方をしてくるのか、慎重に見極めながら戦いたい。ただ、こちらは二人のみ。そんな余裕もなさそうだ。
到着していきなり不安になる私を見て、オークは槍を構えず、まず口を開いた。
「ほう、お前が銀髪の召使いか。素直に捕まりに来たか?」
「まさか」
私は剣を構え、そのような意思が微塵もないことを態度でも示した。
「に……逃げ……」
「そうだ……」
「む、無理……だ」
バク、バロン、シンの声が聞こえてくる。
もちろん逃げる選択肢など存在しない。
なぜか、オークはすぐに動いてこなかった。ただ私を見ているだけだ。槍を構えない。
離れている異形爬虫人たちも、動きがない。やはり武器すら構えていない。
しばし、それだけの時が過ぎる。
不思議に思ったが、おかげで少しだけ気持ちに余裕ができた。
「私の顔に何かついていますかね」
じっと見てくる精悍な顔をしたオークにそう聞くと、彼は静かな声を返してきた。
「絵でも十分に驚いたが、実物はそれ以上だな」
「絵? なんの話でしょう」
「捕らえてから教える」
ようやくそこでオークは槍を構えた。
爬虫人たちは、まだ武器を構えない。
生け捕り狙いを宣言されるというのは、正直なところありがたいと思った。彼らの剣先が鈍る可能性があるためだ。
私は隣のハンサに目で合図し、まずは目の前のオークへと向かっていく。
そのオークの表情が驚愕のものに変わる。そして慌てたように槍を出してきた。
槍先にかなりの鋭さはある。
ただ、一突き、二突きされたが、難なくかわせた。見切れないほどの速さではない。
「……!」
私が距離を潰して斬りかかろうとすると、オークは後ろに飛びながら槍の使用を早々にあきらめ、投げ捨てた。背中に背負っていた棍棒を出し、構え直す。
オーク族はどちらかというと、槍より鈍器や剣を好む者が多いとされている。それに、ここは部分的にやや開けている場所とはいえ、森の中である。長い槍より棍棒のほうが使いやすいだろう。
もちろん私は故郷の地で、棍棒を装備した相手と戦うための訓練もおこなっていた。戦い方がわからないということはない。
優劣はすぐに明らかとなった。
「なんだ? 妙に手ごわいな。兵士ではないと聞いていたが」
「話している場合ですかね」
「!」
なおも攻め立てる。
守勢一辺倒になったオークが焦って私から距離を取り、一息つこうとしたところだった。
「っ!?」
オークの顎が跳ね上がる。
やはり、彼もここまでに遭遇した他の敵兵と同じく、かわし切れないようだ。
これはハンサの魔法が命中したものである。おそらく先ほど槍を弾いたときと同じで、氷球を放ったのだろう。本人いわく「森の湿度を凝縮して生成したもの」らしい。
後ろに位置していたハンサは、おそらく目の前のオークからは戦力としてまったく認識されていなかったのだと思う。
いや、認識していたとしても、魔法での対人攻撃など世界の理から外れている。さらには彼の場合、タメは必要なものの、詠唱せずとも魔法の発動が可能。それに対応することなど到底不可能というものだ。
もはや何が起きたのかもわかっていないのだと思う。顎を打ち抜かれたオークは、そのまま後ろに倒れた。
まず、一人片付いた。
異形の爬虫人族たちが呆気に取られている間に、一人でも多く片付けたい。
私はすぐに尻尾が三本ある爬虫人へと斬りかかった。
「……!」
その爬虫人もわかりやすく驚いた顔をする。
目を丸くしながら、曲刀で反撃してきた。
力は相当強そうではあるものの、技術的には大したことがないように感じた。爬虫人族独特の頑丈な尻尾による攻撃にさえ気をつけていれば問題はないように思えた。
大振りの曲刀の横薙ぎを必要最小限の動きでかわしながら、勢い余っているところに潜り込み、切り込む。
「グッ」
攻撃が首に入った。
尻尾が三本ある爬虫人は慌てて距離を取ろうという動きを見せていたが、間に合わず。手で首を押さえながら倒れることになった。
血が激しく噴き出している感じはない。この一撃で戦闘不能に追い込めるほどには深く入らなかったかもしれない。
追撃しようと剣を振るおうとしたが、横から割り込まれた別の曲刀に阻まれた。手足が異様に長い爬虫人だった。
私はすぐにそちらにも強く踏み込んでいった。
つばぜり合いになった。
その爬虫人は手足の長さだけにとどまらず、力もそこそこ強かった。
ただ、やはり技術的に高そうな印象は持てなかった。
力の入れ方が悪いことがすぐにわかった。こちらが体を斜めにしていなすと、その爬虫人の体勢は簡単に流れた。
私は側面に回りながら、空いた胴を払う。
これもやや浅いながら入り、爬虫人はやはり慌てたように飛び、距離を作った。
後ろにいた巨体の爬虫人が、口を開いた。
「全員でかかれ」
叫んだわけではないと思うが、その体に見合った、よく通る声だった。
今立っている爬虫人全員が、一斉に動いた。