……。
聴覚と視覚はすぐ戻ったように感じた。
地面が、見える。
と同時に、自分が地に伏している状態であることが理解できた。
倒れている場合ではない。起き上がろうとした。
しかし力が入らない。
……まずい。
後ろから、鈍器、もしくはそれに準ずるようなもので攻撃を食らった。さらに、後ろを向こうとした瞬間、激しい殴打もしくは蹴りで飛ばされ、樹木に打ちつけられ、跳ね返されてそのまま地面に倒れた。
どうやらそうらしいということは理解できた。
だが、この場にはあの巨体の爬虫人の他に立てる者はいなかったはず。いったい誰が――。
私は倒れたまま、飛ばされてきたであろう方向を見た。
「――!?」
そこには、巨体の爬虫人だけでなく、異様に筋肉が盛り上がっている爬虫人がいた。
彼は左胸から血が出ていたが、立っていた。
先ほどの私の刺突は、おそらく心臓にまで達していた深さだったはず。私があの爬虫人に後ろからやられたらしいことは一目瞭然だが、いったいどうして。
「なぜ……ごふっ」
体への衝撃でまだ息ができず、せき込む。
弱々しい声しか出なかったが、私の質問には巨体の爬虫人が答えてきた。
「おれたちの村には、心臓が右にある者も、二つある者も、いる」
しまった、と思った。
身体がこれだけ平均的な爬虫人と違っている者たちであれば、臓腑も違っている可能性があることも想定しなければならなかった。
うっかりしていた。
ただ、いずれにしても、ここで私が倒れたままでは、バク含めこの場にいる全員の命が奪われる。
早く立ち上がらなければならない。
しかし、やはり体には力が入らない。
剣は少し離れたところに落ちている。
立たなければならない。
これ以上ないくらい全身に力を込めて、やっと少しだけ力が入った。
よし、立てた……。
と思ったが、激しいめまいがした。維持ができない。
「……っ」
そんなつもりはないのに、また地面に倒れた。
今まで、頭を強く打ったことも、体を強く打ったこともない。生まれて初めての経験だった。
こうなるのか。
体に力が入らず、平衡感覚もおかしくなるらしい。
故郷での修業時代、なぜ皆こんなにもコロコロと倒れるのだろう? なぜ起き上がることができないのだろう? と思ってしまったことがある。
今、それがやっとわかった。
立っていられないのだ。気持ちでなんとかなるものではないのだ。
そして、痛い――。
こんなに痛みを感じるのも生まれて初めてだった。
「け、ケイ……!」
悲痛な声をよこしてくるバクを見た。
私はなぜかまた、これは彼が受けてきた痛みの何万分の一なのだろうと、とても場違いなことを考えてしまった。
「お前については、オーク族に引き渡さないといけないらしい。でもおれは感じる。お前の強さは危険だ。生かしておけば同胞がもっと死ぬかもしれない。お前にも恨みはないが、ここで死んでほしい」
巨体の爬虫人がそう言って近づいてこようとしたとき、小さな影が飛び出してきた。
「待て! まだ私がいる!」
「……ペンギン!」
黒と白の体色に、ずんぐりむっくりな姿。ペンギンだった。
子の『一号』の姿は見えない。どこかに隠れさせたか。
「……。人間には見えない」
「私は人間だ!」
彼女は近くに落ちていた剣の柄を咥えると、飛びかかりながら首を振り、その剣で攻撃した。
「ぐえっ」
それは大きな剣で受けられ、逆に前蹴りを返されることになった。
剣が回転しながらどこかに飛んで行く。彼女も地をコロコロと転がった。
「お前は、異形だ。殺さない。お前は、きっとおれらと同じだ」
「私は……同じではない!」
起き上がったペンギンは必死に食い下がり、くちばしで巨体の爬虫人の体をつつきにいく。
が、ふたたび大きな足で蹴られた。今度は強めだった。
「うぐっ」
「同じだ。お前は殺さない」
ペンギンはより遠くに転がり、今度は起き上がれなくなった。
それを確認すると、巨体の爬虫人はふたたび私のほうへと近づき、見下ろしてきた。
――詰んだか。
敗れるつもりでここに来たわけではなかったが、こうなる可能性がないとも思ってはいなかった。
結果は結果として受け止めなければならない。
「何か、言い残すことがあれば、聞く」
「……。あなたには特にありませんが、バクにはあります」
苦悶の顔をしているバクを見た。
「充実した日々を送れたことに、感謝します」
「け、ケイっ」
痛みで歪んだバクの顔に、強い焦燥の色が浮かんでいくことがわかった。
彼は必死に起き上がろうとしていたが、やはりかなわず。また途中で地に墜落したようだ。
爬虫人はその巨体に合った大きな剣を、構えた。
「悪く思うな」
その瞬間。
「や、やめろぉっ――!!」
耳をつんざくような絶叫だった。
これもバクだ。
叫び声に、巨体の爬虫人の動きが止まった。
おそらく、倒れていたハンサやバクの部下たちも、バクへと視線を向けているだろう。
私も、あらためてバクに焦点を合わせた。
彼はまだ倒れたまま、顔だけを上げていた。その表情はやはり焦りと苦痛で歪んでいる。
そこから異変は起きた。
彼の黒い瞳が、突如、黒く光った気がしたのである。
いや、そんな光り方をするはずはないのだが、そうとしか形容できないものだった。
彼が顔を伏せる。
「グ……ゥ……アァァァァ……」
唸り声がした。
だが先ほどまでの彼の声ではなかった。
喉からではなく、もっと奥のほうから発しているような、やや低く、原始的な、獣のような響きにも感じた。
声は徐々に大きくなっていく。
ついには、地の底から響くような声量となった。
そしてなんと、彼は顔を伏せたまま、ゆっくりと立ち上がった。
「バク……!?」
いったい何が起きている?
今この場で意識のある者は、全員同じように思っただろう。
私が最初に気づいたのは、彼の頭部の変化だった。
人間の丸い耳ではなく、尖り気味の形状に変化していく。そして肌の色が見えなくなるまで黒色の体毛に覆われると、ぴくりと動く。
ついで、ボロボロになって派手に破れた服から覗く腕にも、黒色の毛が生え始めているのが見えた。
……え?