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第56話 役割を終えた爬虫人異形部隊

 遅れて戦場に向かっていた、爬虫人戦士長代理・フィルーズとその部下たち。

 彼らが戦地の本陣に到着したのは、すでに両軍で撤収の合図が出た後のことだった。


 本陣が畳まれはじめ、オークや爬虫人の戦士たちが慌ただしく砦へ引き上げていく。

 そんな中、フィルーズは短めの金茶色の髪を揺らしながら、じっと戦場の方向を見つめていた。


「あいつらが一人も戻ってきていないな。おれらだけで見にいくぞ」


 異形部隊の者の姿が見えないことに気づくと、引き連れてきた直属の部下たちに声をかけた。


「お待ちください。フィルーズ様自らも行かれるのは危険です。捜索をお望みであれば、私たちだけで――」

「敵も撤退指示が出ているんだろ? 問題ないさ」

「しかし何が起こるか」

「大丈夫だ」


 当然ながら、焦った顔の部下たちがこぞって引き留めてくる。

 もちろんフィルーズとしてはそうなるのは想定済みであり、問題ないと答えるのみである。


「私も連れていってください」


 しかしそのとき、一人の爬虫人戦士が静かな顔でためらいもなく近づいてきて、そんなことを言い出したのは、彼にとってやや意外であった。


「お前は?」


 その爬虫人戦士は、フィルーズ直属の部下の者ではなかった。

 種族内では異質なほど薄い体色を持つフィルーズほどではないが、薄めの茶褐色の肌を持っていた。細身の体であり、背もさほど高くはない。顎も細めで、どちらかと言えば軟弱な印象であった。


「私は回復魔法が使えます。傷の処置後にその場で一度応急的に魔法をかければ、万一生死の境をさまよっている者がいた場合、こちらに引き戻せる可能性が高くなるかもしれません」

「あまり戦士のような感じに見えんが、大丈夫なのか。おれが言うのもなんだが、危険がないわけじゃないぞ」

「望むところです」

「……そうか。よし、ならばついてきてくれ」


 フィルーズはうなずくと、流れとは逆方向へ走り出した。




 鬱蒼うっそうと茂る森の中にある開けた場所に、戦いの熱気はすでに残っていなかった。


 しかし爬虫人異形部隊の無惨な姿は、戦いがいかに激しかったのかをよくあらわしていた。横たわっている者たち、座ったままの者たち、誰一人として動きはない。


 折れた木に背を預けていた巨体の爬虫人の前に、フィルーズは座り込んだ。

 巨体の爬虫人は足がおかしな方向に曲がっていた。骨が折れているのだ。


「ずいぶんひどくやられたな。生きてくれていたのは何よりだが」


 人間側も一人一人確認してとどめを刺して回る余裕がなく、バクの部隊の重傷者を回収するだけで精一杯だった……という事情があり、彼らは見逃されていた。


 巨体の爬虫人もその雰囲気は感じ取っていたのだが、それを説明する必要を感じていないのか、説明する気力もないのか、特に口を開かない。頭を動かして礼の気持ちを伝えたのみだった。


「他のやつに救助を求めなかったのか? 誰かしら味方が通りかかっただろうに」


 フィルーズは持ってきた棒と布を使い、変に折れ曲がった太い足を整復し、素早く固定していく。

 回復魔法要員として連れてきた細身の爬虫人戦士も、まずはその応急処置を手伝い始めた。骨折の場合、整復・固定しないまま回復魔法をかけてしまうと、癒合せず偽関節となってしまう可能性が高くなるためだ。


 フィルーズの他の部下たちも、素早い動きで、同じく重傷を負っている他の異形爬虫人たちへの処置にあたっている。


「おれらを救助していると共倒れになるかもしれない。おれから断った」

「おいおい。潔すぎるのも問題だぞ」

「おれたちは英雄バクに負けた。終わりだ」

「ただのガキだろう、あいつは。何か事故でもあったのか? おまえたちが負ける相手じゃないと思うんだが」


 巨体の爬虫人はやや遠い目をした。


「あいつは人間ではなかった」


 フィルーズの手が一瞬止まった。


「どういうことだ?」

「突然体が変化した。黒い獣のような姿になった。おれはそれにやられた」

「あぁ?」


 にわかに信じがたいという顔のフィルーズ。

 そこに、細身の爬虫人が巨体の爬虫人へ質問をしてきた。


「獣のようなということは……耳と尻尾の特徴は覚えていますか。虎に近かったですか? 狼に近かったですか?」

「狼だと思う」

「ならば狼人族でしょう」

「いや、ちょっと待て。なんで狼人族が人間の国で英雄になっているんだ」

「たしかに不自然な話ではあります。狼人族は有史以来どの種族とも関わりを避けるという孤高の種族。しかも人間の姿に化けることはできないはずです」

「だよな。見間違いじゃないのか?」

「変身したのは間違いない。力も増した」


 フィルーズは衝撃的な話に驚きを隠せないでいた。


「そうか……。しかし、そうならよくとどめを刺されなかったな」

「英雄バクは、自分の姿に気づき、戸惑っていた。そしてその姿のまま、どこかに去った」

「ん? どこかに去った? 引き揚げたんじゃなくてか?」

「敵陣とは違う方向だった。味方にも別れを告げていた。それは覚えている」

「つーことは、だ。自分は人間だと思っていたのに違っていた。だからサヨウナラってことか」

「わからないが、おれにはそう見えた」


 そして巨体の爬虫人は、もう一つ思い出したようだった。


「ああ。召使だけは、英雄バクを追っていった」

「あの銀髪だな。来ていたか」

「あれも、おかしかった」

「まさかあっちも人間じゃなかったとでも言うのか?」

「見かけは普通の人間だった。だが強すぎて歯が立たなかった」

「……おれが前の戦で感じていた違和感は正しかったか。まるで歴戦の猛者のような雰囲気だったんだよな。見かけと放つ雰囲気がまるで釣り合ってなかった」

「他にも、魔法でおれたちの仲間を倒した金色の髪の者がいた」

「戦で魔法? それは無理だろ」

「確かに見た。間違いない。何も唱えずに大きな炎を出していた」

「あぁ? いったい何がどうなってんだ」


 混乱を深めていくなか、巨体の爬虫人の怪我の応急処置と回復魔法が終わった。

 他の異形爬虫人たちの処置もほぼ同時に終わっており、全員のそれぞれを担架に乗せる。

 出発である。


 巨体の爬虫人の担架は大きく、フィルーズ含め四人がかりで持つことになった。

 それでも抜群に力の強いフィルーズ以外の三人にとって軽くはなかったが、今は人数がいないので仕方がない。


「すまない」


 運び出すとすぐに、担架の上に横たわる巨体の爬虫人から謝罪の言葉が漏れた。


「気にするな。これだけの被害だ。帰ったらしばらく村で休むといいさ」

「……村の者たちに合わせる顔がない。おれたちは、もうあんたとの約束が果たせない」


 なだめたフィルーズだったが、異形爬虫人たちの消沈ぶりは大きかった。

『英雄バク討伐と引き換えに、彼らの故郷――身分がなく社会から外されていた異形の村――の者たちに身分を与え、爬虫人の社会復帰させることを長老会議に認めさせる』

 それがフィルーズと交わしていた約束であったためだ。

 すでに村の社会復帰は絶望的になったのではないか、ということである。


「それも心配するな」


 しかしそれも、フィルーズは彼なりに穏やかな声で否定した。


「お前たちが村のために命をかけて戦ったことを無駄にするわけにはいかんさ。引き続き、おれの職を賭けて実現を約束する。対価は要らん」

「それは、本当か」

「ああ。お前らの気持ちは届くだろう。いや、届かせるさ。都に戻ったらすぐ長老会議に死ぬ気で認めさせるから、期待して休んでいてくれ」

「……」

「おいおい、そのデカい図体で泣くな」

「すまない」


 とりあえず、急ぎ報告してもらいたいことは聞けた。あとは寝てろ――。

 そう告げた戦士長代理の横顔を、細身の爬虫人はじっと眺めていた。




 フィルーズたちが砦に戻ったとき、すっかり日は沈んでいた。

 にもかかわらず、多くのオーク兵や爬虫人戦士たちが門で彼らを待っていた。


 フィルーズに対し、ある者は安堵の声をかけ、ある者は感謝の声をかけ、ある者は賞賛の声をかけていく。

 回復魔法要員として同行していた細身の爬虫人は、その光景もじっと見つめていた。


 すぐにお休みください――。


 異形爬虫人たちが載っている担架が他の者に引き継がれると、フィルーズは今回代役を務めた指揮官からそう勧められたが、砦の奥には引っ込まなかった。逆にその代役の指揮官をねぎらって奥に引っ込ませると、かがり火の近くに腰を落とした。

 その様も、細身の爬虫人はやはり横からじっと眺めていた。


「どうした?」


 兵舎に行って休まないのか? お前も疲れただろ――。

 そう言うフィルーズに対し、細身の爬虫人は真顔で言った。


「提言させていただきます。もう、長老会議を全員蹴落とし、フィルーズ様が爬虫人族のすべてを握ったほうがよいと思います」


 そのときちょうど、低く響く噴火の音がした。

 かなり遠くであると思われるが、体の奥にまで届く音だ。地面も揺れている。


 フィルーズは珍しく目を丸くした。

 もちろん噴火の音に対してではない。ここ最近はますます火山の活動は盛んになっており、もうどこから噴火の音が聞こえてきたとしても不思議ではなかった。今さら驚く事象ではない。

 驚いたのは、とんでもない提言に対してである。


 フィルーズはすぐに周りを見た。幸いにも会話が聞かれてしまう距離には誰もいない。

 闇に浮かぶ松明の動きを見ても、噴火や地震のほうに気を取られており、このかがり火のすぐ近くに寄ってきそうな雰囲気はない。


「見かけによらず過激なことを言うんだな」

「誰もが思っているのに口にしていないように感じましたので、私が申し上げました」

「お前、捕まっても知らんぞ。まあおれがかばえる限りは庇うけどよ」

「……。失礼ながら、フィルーズ様は長老会議に煙たがられています」

「そんなことは本人のおれが百も承知だが、だからどうした」

「英雄バクがいなくなり、仮にこの先も戻ってこない場合、フィルーズ様が長老会議から『用済み』とされ、ふたたび戦士の長を降ろされてしまうのは確実です。そうなる前に手を打たれたほうがよろしいかと思います」


 ちょうど風がやむ時間帯なのか、闇の中でもほとんど揺らがないかがり火。

 フィルーズはそちらに目を移し、やがて答えた。


「降ろされるなら、それでもいいさ」


 仮に英雄バクがいなくなれば、ひとまずはヴィゼルツ帝国の侵攻は加速せずに済む。そうなれば、あとは異形の村の件さえ片付けば、さしあたり今の地位ですべきことはなくなる。その後はいくら降格されようがかまわない――フィルーズはそう考えていた。


「フィルーズ様がよくても下々の者が不幸となります」

「そうか? おれの思い上がりかもしれんが、長老会議がおれを降ろしても問題ないと判断したんなら、もう今のおれの地位を誰がやろうが困らん状況になっているということなんだろ。問題ないさ」

「……」

「それに、長老会議の連中にだってよいところもあるからな。多めに見てやってくれ」

「一つたりとも思い浮かびませんが」

「あるぞ? まず勇気がある。より権力のある奴に媚びる勇気がな。それに、クソ面倒な人付き合いをする忍耐力、下卑た笑顔を続ける顔の筋力、不毛な会議を延々と続けられる体力、そういうことにかけては誰よりも上だろうな。おれでは足元にも及ばんさ。爬虫人族にとって、いや、この世界にとって奴らは得難い人材だろ」

「……」


 また無言でフィルーズを見つめる細身の爬虫人。


「なんかお前、よくじーっと見てくるよな」

「今のは少し意味が違います。フィルーズ様はなんでもできる御方だと聞いていましたが、冗談はあまり得意ではないのだなと」

「なかなか言うな」


 今度は逆に、フィルーズがじっと細身の爬虫人を見つめた。

 そして気づいたらしい。


「ん……? お前、以前にどこかで見たような気もするが。気のせいか?」

「気づいていただきありがとうございます。気のせいではありません。私は長老会議末席の長老の子の一人です。捕虜となってしまっていたのですが、あのときあなたが決行してくれた砦への夜襲で解放していただきました」

「あ? こんなところまで長老会議のお目付け役が来てるのか……って、もしそうならもっと疑われにくい奴をよこしてくるはずか。怪しすぎて違うってやつだな」

「はい。実は父から『人間に捕まるなど爬虫人の面汚し』と言われまして。都での復職は許されず、今回の戦から一戦士の身分で戦に参加するよう言われておりました。半分勘当されています」

「ははは。ひどい話だ。気に入った。お前、名前は?」

「シャプールと申します」

「じゃ、シャプール、お前は今からおれの副官に抜擢する。長老の息子と聞けば誰も文句は言わんだろ。以後はこれを着けておいてくれ」


 フィルーズは道具袋に手を突っ込んだ。

 取り出したものは、青くきらめく宝石が埋め込まれた首飾りであった。


「……これは? 不思議な光り方をしますね」

「だよな。それを着けていればわかりやすいだろ。最近なぜか……いや最近じゃないのかな。少し前からのような気もするが……自分の種族であるはずの爬虫人の顔の区別が少し付きにくくなってきた気がするんだよな。特に若い奴らのな。他の種族の顔の区別は割としっかりつくんだが……目が衰えたかな」

「まだ老け込む歳ではありませんでしょうに」


 そう言いつつもシャプールは一礼し、それを自らの首に着けた。

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