なかなかに腑に落ちてきた、と王弟ソウは言った。
ということは、おそらく――。
「人間族――ヴィゼルツ帝国が南に侵攻を始めたのは、さもあらん、大地沈降に備えてのことだろう。最終的には狼人族の地を奪い、大地沈降後も生き残ろうというつもりではなかろうか。
一方、狼人族の族長が書簡で虎人族に対し『人間族包囲網に加わって戦え』と記してきたのは、それを他力で防ぐためだ。そして、書簡で大地沈降に一言も触れぬは……そうは思いたくないが、虎人族、オーク族、爬虫人族にはその事情を知らせず、人間族と共倒れになり、最後は皆で海没してほしいという思惑があるとしか思えぬ。事情を知れば、どの種族も人間族と戦う場合ではないと考えるかもしれぬからな」
やはり。ここまで情報が揃うと族長の狙いは丸わかりのようだ。
今の王弟ソウの説明を聞くと、王は小さくため息をついた。
「そうか……。大地沈降を知った人間族と狼人族……前者は他種族を滅ぼすことで、後者は言い方は悪いかもしれんが、他種族を利用することで生き残ろうとしていたわけか。先日届いた書簡も、それに乗って人間族と開戦してしまうと、狼人族に利用されてしまうという罠になっていた……と。なんとも恐ろしい話だ」
途端にバクが、手をバタバタとさせて慌て出す。
「あっ! どっちの種族も地面が沈むってのは上の一部の人しか知らなかったみたいです。民のみんなは全然知らないままだったので。あ、でもそう言うと上の人は悪いみたいに言ってる感じか……んー、俺はそうは思ってなくて、どっちの上の人たちも、自分が助かりたいから、というよりは、自分の種族だけでも助けないといけないって考えるのに必死で、他の種族のことまで考える余裕なかったと思います。できれば、どっちも責めないで、ほしいかな、って……」
王は、腕を組んだ。
「しかし、人間族も狼人族もそんな方針だったと聞いてしまったら、私も虎人族のみが助かる道を模索したくなってしまうぞ」
なかなか不穏なことを言うが、流れとしては自然だとも思う。
人間族の南下政策、狼人族の対人間族包囲網、どちらが実現したとしても最終的に虎人族は消えてしまうことになる。それを知れば「我も」と考えてしまうのは当たり前である。
ただ、王の表情はけっして厳しくはない。むしろ穏やかにも見える。私にとって虎人族の表情というものは馴染みがないはずなのだが、それはしっかりと読み取れた。
王は王弟のほうを見た。
「ソウ。お前はどう思う? 我々としてはどうすればよいのだろう」
出会ったときから、何かと彼は王弟を見る。そして相談する。相当な信頼関係があり、仲がよいのだろうということが伝わってくる。
歴史上どの種族でも、皇室や王室の兄弟間の対立というのは定番であった。最高権力者は二人同時に存在できないため、権力や継承を巡る構造的な問題がどうしても出てきて、ぎくしゃくしたり激しく対立したりといった例が多くなるのである。目の前の二人のようないかにも良好そうな関係はきわめて稀有なものであろう。
「そうですな……。それがしとしては、先にバク殿の考えをうかがいたい」
これはさすがに意外だった。
私にも、どうやらバクにも。
「えっ? 俺?」
「さよう。バク殿はありがたくも、民を思う我が王の心を汲み、真実を述べてくれた。されど、貴殿がこの状況をいかにしたいと願うのか、未だ聞き及ばぬ」
「俺、王でも皇帝でもないですよ? しかも半分人間族で半分狼人族みたいだし……今はどっちからも関係が切れちゃってますし……」
「ゆえにだ。貴殿はこの先どうなればよいと思っているのだ? 我々は狼人族族長への返事を保留しているが、近いうちに態度をはっきりさせねばならぬことになるだろう。それを考えるうえで参考にしたいのだ」
バクは、私のほうを見てきた。
いきなり話を振られて困惑した顔はしている。ただ、迷いというよりは、心に決めたことを口にするかどうかためらっているように見えた。
虎人族でない彼は、何が好感されて何が嫌気されるかなどはわからない。一抹の不安があるのだ。
もちろん。
私から言えることは、これだ。
「あなたの気持ちをお伝えすればよいだけです」
バクは気づいていないようだが、私たちの横、壁の中から、人の気配がする。おそらくは兵士が控えているものだと思われた。場合によっては……という嫌な予感もないわけではない。
ただそれでも、私は彼の場合、変な駆け引きなどはしないほうがよいと思っている。いや、してほしくない。それにより不利益が生じようとも、だ。
理由は、まだ子供なのでそもそも駆け引きが上手にできないであろうということもあるが、何よりも、実直さは彼のよいところだと思うからだ。人間として育ったのに、私が知る誰よりも狼人族らしい。失われてほしくない部分だった。
「俺、今は、全部の種族に生き延びてほしいなって、思います。全部……」
バクは、正直に答えた。
「ほう。それは本当に貴殿の本心かな」
「?」
王弟に聞き返され、バクの首がこてんと
「我々は、今の王の代になってから戦をせず、商業国家として知られるようになっている。だが、歴史を振り返れば周辺種族との戦いが多く、虎人族の歴史は戦の歴史と言えなくもない。他種族に比べ肉体的に強い者も多く、本能的には好戦的な種族という見方ができなくもない。今でも屈強な戦士は多く、豊富な兵力を有している」
王弟ソウは落ち着いた声で続けた。
「噂に聞くところ、貴殿、人間族として最大の功労者なるも、先の戦にて寡兵での戦いを強いられ、事実上処断されんとしたと耳にしている」
よく見ないと気づかないほどわずかに、バクがうつむいたようにも見えた。
上層部から見限られたことをいつ悟ったのかは、本人に聞いていないので不明である。彼のことなので、戦前に感づいていたとしても、彼は決死の戦いに臨んでいたのだろうとは思うが、悟ったときは何を思ったのだろう。
「そして狼人族としての貴殿は、族長によって亡き者にされかける……。それがしの目には、両種族のしたことは鬼畜の所業と評されても過言ならぬものと映る。さような壮絶な経験をしたならば、両種族に対し復讐の念が生ずるも当然と考える。
両種族のどちらの思惑が達成されようとも滅びる運命の我々。両種族のどちらからも弾き出された貴殿。利害は合致しているといってもよいだろう。貴殿は使いたいのではないか? 我々の戦力が」
ふとハンサを見ると、体を硬直させていることがわかった。彼の碧い瞳も驚きに見開かれている。彼は狼人族の地での一件を知らないはずなので、当然の反応だ。
バク本人のほうは、さらに慌て出した。彼としては思いもよらぬ方向に話が行きそうに感じたのだろう。
「いえ! そういうのは全然ないです! 俺は本当に全部助かればいいと思っています」
「ふむ。遺恨はなし、と。そしてこれまで敵として相対したる種族すらも救われんことを願うか……。大いにお人好しにも映る。それが貴殿の人生観ということか」
「えーと、そんな立派なやつじゃなくて……なんて言ったらいいんだろう。んー、帝国軍にいたときは何も考えてなくて、とにかく目の前の敵を倒せばいいと思ってました。でも、軍を抜けて、いろんな話を聞いて、いろんなことを教えてもらってから、だんだん考えが変わってきたというか。ついこの前までめちゃくちゃ戦ってきたんで、どの口が言うとかそんな感じだと思うんですけど……全員が助かる道があるなら、戦う必要もないし、それが一番いいと今は思ってます」
「たとえ悪者でも、か?」
「最近、悪者って本当にいるのかな? って思うこともあるんです。みんなそれぞれ事情ってのを抱えてて、そんなに簡単にいい悪いって分けられないんじゃないかなって」
理知的な瞳をバクにじっと向けた王弟ソウだったが、やがて一つコクリとうなずいた。
「よい答えだ」
「えー? 今のがいいの? ホントですか?」
「さよう。『どの口が言う』とは思わぬ。旅する間に考えが変わってきたというのも、それは進歩であろう。誇ってよい」
「あれ? 褒められてる? ありがとうございます?」
「褒めている。ただ、実現の可能性という点はどうなのか。貴殿にとってその願いは、ただの夢幻なのか、目標なのか」
これは、本人の中ではおそらく固まっている。
「夢ではなく目標です。実現したいです」
バクはおそらくこの大地で最も知名度がある知的生物の一人であるが、今は社会的に力を持っているわけではない。それでも言い切った。
もっとも、これは私やペンギンが彼をつついて願望を目標にさせてしまったようなものではある。ペンギンを見ると、胸を張り、よくぞ言ったというように満足げに頭を動かしてはいるが……。現実的かどうかと言えば、私はもちろん、ペンギンもなかなか難しいぞとは思っているに違いない。
ハンサは……いつのまにか、かすかな微笑みを浮かべたいつもの表情に戻っており、見かけだけではよくわからない。
ただ、私がヴィゼルツ帝国に潜入していたとき、彼はかなりバクに心酔、もしくは崇拝だろうか? そのような特別な感情を有していたような印象があった。おそらく今もそうだろう。それこそ、バクが何をしても何を言っても、受け入れるくらいには。
「大地が海に沈んだあとも残る地にみんな逃げて、なんとかならないのかな? って思ってます。狼人族の地は見てきましたけど、ギュウギュウ詰めにすればなんとか入るんじゃあ?」
「広さや厳しい気候条件はさておき、狼人族の族長が首を縦に振るまい? そして人間族や爬虫人族、オーク族らが戦いをやめることも必要な条件となろう」
「そうですよね……納得してもらわないと」
「となれば、だ」
そこで王弟ソウはバクから王へと向き直った。
一段と姿勢を正す。
「兄者よ――」
「よしソウ。お前の思うとおりにする」
「……まだ何も申し上げておりませぬが」
ガクッとなったわけではないのだが、おそらくは王弟の心の中はそうなっているであろうと思われた。
「だいたいわかる。今英雄バクが示した道で行きたい、我々も協力して狼人族の族長を動かそう――ということだろう? よいのではないか。私も戦は好まぬ」
「恐れ入りました」
このあたりは、やはり兄弟。言葉は不要だったか、ということで、王弟はふたたびこちらへと体を戻した。
「バク殿。それがしは王の弟だが、母が異なる。母はここから南にいる少数種族・白虎人族であり、私の体には半分白虎人族の血が流れておる」
「そうなんですか!? それで体が白いんだ」
「さよう。それがしは幼き頃、母から、白虎人族に伝わりし昔話をよく聞かされた。曰く、世界の均衡が大きく乱れしとき、中立の立場からそれを整復するための種族が必要──その思いをもって青龍様が創り出した種族が、狼人族であると。ゆえに狼人族は太古より非接触の種族として存在し続けるのだと」
ここで王が小さくうなずく。彼はその伝説を聞いたことがあるのだろう。
狼人族内にはそのような話があっただろうか?
幼少の頃、種族誕生の際にブルードラゴンより「どの種族にも寄らぬ孤高を貫け」という神託が……という話は伝説の一つとして聞いたことがある。だがその理由まで付いていただろうか?
まあいずれにせよ、それはあくまでも神話。皆大人になる頃には忘れているか、覚えていてもそれを深掘りしようとはしないか、どちらかだ。
私も、自らの種族である狼人族について『世界に果たすべき役割』などという大きな視点で考えたことはなかった。他種族と接触がないというのも、単に「興味がなかったから」「そういう文化だったから」としか思っていなかった。
私がそんなことを考えているうちに、王弟は話を続ける。
「もし今、人間族が本来得るべからざる『均衡を崩す力』を得ており、また同時に、狼人族が本来有する『均衡を整復する力』を行使することを忘れておるとすれば……その両の血を引くバク殿こそ、まさに今、青龍様の志に応え得る人物ではなかろうか。バク殿が青龍様の意を汲み、そのために立つのであれば、我々がこれに協力するはやぶさかではござらぬ」
王弟も彼なりの構想があり、そのために知名度の高いバクを担ごうとしているのかとも取れる言い方である気もする。そうではなく、純粋なブルードラゴンへの信仰心から来る言い方であるような気もする。なかなかその青い瞳は奥底が見えない。
ただ、バクがぶつけた思いをきちんと受け止めてくれている。それは間違いない。
また少し、確信が深まった気がした。
やはりこの世界はバクを放ってはおかないのだ、と。
そうとしか思えない展開だった。