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第86話 目覚めた賢者

 ファウストは大きな揺れを感じて、深い意識の底からゆっくりと浮上した。


 ほとんど身動きができなくて重かった身体が、羽のように軽い。身体の隅々まで魔力が満ちているのを感じる。


(こんなに調子がいいのはいつ振りだろう……)


 ファウストは左手で身体を支えて起きあがろうとして、義手でないことに気付く。


(え……義手じゃ、ない……っ!)


 勢いよく飛び起きて身体中を調べると、腕も足も元に戻っている。


「目も元に戻っている……薬が効いたのか……?」


 あの色鮮やかな世界が甦り、ファウストは心が震えた。


 また、カレンの綺麗なアメジストの瞳を見られる。頬を染めて顔を逸らしたり、嬉しそうに笑ったりするカレンを、色とりどりの世界で見ることができるのだ。


 そういえば、ファウストの最後の記憶はカレンが微笑む姿だった。


 でも、部屋はしんと静まり返っていて、カレンの姿はない。


「カレン……?」


 カレンならそばにいるかと思ったが、もしかしたらタイミング悪く席を外しているのかもしれない。


 一刻も早くカレンに会いたくて、ベッドから降りようとしたファウストは、ベッドの脇に転がる濃紫のローブを見た。


 頭からは銀糸のような美しい髪が流れるように、伸びている。


 ファウストは一瞬で血の気が引いた。


「カレンッ!!」


 瞬間的にベッドから飛び降りて、カレンを抱きかかえる。ぐったりとしていて意識がないようだ。


「息はしてる。心臓も動いている。体温は? 脈拍は?」


 震える指先でカレンの状態を確認していく。


 息は少し弱いけどちゃんと呼吸しているようだ。カレンの頬に手を添えると冷えてはいるが、温かい体温を感じる。


 手首に指を添えて脈拍を調べると脈が触れなくて焦ったが、胸に耳を当てるとトクトクと心臓が鼓動する音が聞こえた。


「よかった……生きてる……」


 また、カレンを失ったかと思った。


 本当に生きた心地がしなかった。


 次にカレンを失ったら、果たして自分は正気でいられるのだろうか、とファウストは思う。


(もう、とっくに正気を失っているのかもしれない……)


 ともかく、ファウストはカレンをベッドへ運び静かに毛布をかけた。

 そこまでして、一気に身体の力が抜けてベッドサイドに座り込んでしまう。


 どうしてカレンが床に倒れていたのか、ファウストは意識を失う直前のことを思い出した。


「そうだ……カレンは僕に魔力を吹き込んでいた……」


 いくら月露の雫を使ったとはいえ、ファウストが完全に回復するほどの魔力を吹き込むなんて無謀すぎる。


「今度は僕が月露の雫を採ってこないとかな」


 幸いにもカレンの魂は傷ついていないようだ。それなら月露の雫を飲めば、すぐに回復するだろう。


 そう考えて安心したのも束の間、魔天城内にレイドルの緊急通達が流れた。


【魔天城の主人が命ずる】


「っ!」


 ファウストは魔力を感知して、情報収集をはじめる。そこで、ここにいるはずのない人物の魔力を感じ取った。


【魔天城はただいまを持って封鎖する。残っている魔法使いは全員、至急退避せよ】


「ミカエル・バルツァー……!」


 緊急通達により魔法使いたちはいっせいに避難を始める。

 だが、賢者に関しては魔天城を守るため主人の元へ招集する必要があるのだ。


「カレンを安全な場所へ避難させないと……!」


 ミカエルが魔天城へ侵入したとなると、ここで全面対決することになるだろう。


 先ほどの魔力感知からすると、ミカエルとレイドルはすでに対峙していた。


 カレンを匿えるくらいの安全な場所に、大至急移動しなければならない。


 その時、バンッと勢いよく扉を開けてマージョリーとロニーが駆け込んできた。


「ファウスト! よかった目覚めたのね! レイドルの緊急通達を聞いた!?」

「ごめん、自分のせいでこんなことに……!」

「マージョリー、ロニー。詳しい話は後だ。カレンを避難させたい」


 そこでふたりはようやく、カレンの意識がないことに気が付く。聞きたいことは山ほどあるだろうに、マージョリーはグッと唇を噛みしめて、打開策を口にした。


「それなら魔天城の核がいいわ。魔天城が崩れても、あの管理室だけは壊れないから」

「うん、そこに行こう。サーシャにも声をかけて……いや、もう間に合わないか」


 賢者たちの場所を魔力感知で追っているファウストは、サーシャがすでにレイドルの元へ駆け出したことを察知する。


 カレンの安全さえ確保できれば、ファウストもすぐにレイドルとサーシャの応援に向かうつもりだ。


「先に管理室へカレンを運ぼう。ロニーはリュリュとセトを頼む。ふたりとも賢者の図書室にいる」

「わかった!」

「カレンを管理室に送ったら、僕はレイドルとサーシャのところに行く」

「あ、待って!」


 そこでロニーがファウストを引き留める。


「ロニー、どうした?」

「魔神デーヴァに関して重要な情報を掴んだんだ。このまま戦っても勝てる可能性が低い。一旦、レイドルとサーシャも管理室に連れてきてほしい」

「わかった、そうするよ」


 そうして、ファウストたちはいっせいに行動を開始した。




 ここまで話して、レイドルは深いため息をついた。


「そうか、なるほど。無駄死にしないで済んだようだな」

「ロニー、魔神デーヴァに関する情報とはどんなものなの?」


 サーシャに促されて、ロニーは口を開く。


「本当は目覚めてすぐに伝えたかったんだけど……魔神デーヴァは人間と契約を結んで願いを叶えるんだ」

「それが重要な情報なの?」

「そうだよ。神と契約を結ぶということは、絶対に反故にすることができない。神も人間も、万が一、契約を果たせなければすべてなかったことになる」


 ロニーの説明を聞いたサーシャは、要点をつくように訊ねた。


「その契約が果たせないようにすればいいということかしら?」

「いや、今回の場合、ミカエルが結んだ契約内容がポイントなんだ」

「契約内容?」


 ファウストの問いかけにロニーは深く頷き、言葉を続ける。他の賢者たちも静かに耳を傾けた。


「ミカエルは魔神に匹敵する強大な力を望んだ。その対価として魂を魔神デーヴァに捧げると契約している」

「それならもう願いは叶っているだろう?」

「多分だけど……さらに契約を結んだんじゃないかな。取り込まれている時に、あの男の思考回路を分析したから、十中八九間違いないと思う」


 レイドルの言い分はもっともだが、ロニーの分析も侮れない。研究を重ね、魔神デーヴァの神殿まで突き止めたのだ。


 ほんの数秒の沈黙の後、レイドルはニヤリと笑って言い放つ。


「それなら、新たな契約をぶち壊して、魔神デーヴァにミカエルの魂を回収してもらおう」


 ミカエルを倒すための戦いが、まもなく始まろうとしていた。




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